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これが映画だ!
日常の中の非日常…そしてその彼方へ…
デイヴィッド・リンチ監督を偲んで…
デイヴィッド・リンチ監督が逝ってしまった。『ツイン・ピークス』では、あれほど饒舌なFBIの上司を演じていたのに、『デイヴィッド・リンチ : アート・ライフ』(ドキュメンタリー作品)でも語るには語っているが、その実はリンチ流の闇の中へとぼやかしている。ただひとつ、デイヴィッド・リンチ監督版『デューン/砂の惑星』(1984)が失敗作だと、はっきり明言している。ファイナル・カットの権限を有していなかったため、配給会社の大幅なカットにあってしまったのである。結果、興行的にも批評面でも失敗してしまう。もう一本の同作、テレビ放送用長尺版が存在するが、デイヴィッド・リンチ監督が関知するところではなく、映画ファンなら多分ご存知であろう監督、アラン・スミシー名義になっている。
そもそもデイヴィッド・リンチ監督と言えば、『エレファント・マン』(1980)という方も多いのではないだろうか?確かにアカデミー賞作品賞など8部門にノミネートされ、一躍知名度を上げた。ジョージ・ルーカスからは『スター・ウォーズ ジェダイの復讐』の監督オファーがきたが、リンチ監督は断っている。デイヴィッド・リンチ監督のテイストでの『スター・ウォーズ』はちょっと恐々だが観たかった気もするが、これには無理がありすぎると思うのは私だけだろうか?
シュルレアリズムをこよなく愛したというデイヴィッド・リンチ監督の本質はいくつものの短編、そして学生の頃に4年の歳月をかけて自主製作した『イレイザーヘッド』(1976)にあるような気がする。そしてリンチ監督は本作とともに長編映画監督デビューをする。その後も折を見て、短編は製作され続けていた。私が初めて『イレイザーヘッド』を鑑賞した時、ありきたりと言えばありきたりであるが、ルイス・ブニュエルとサルバドール・ダリが創り上げた『アンダルシアの犬』(1929)の衝撃にも似た感覚を覚えたものだ。見た目のグロさではない。その感覚、タッチの面でである。さもあろう、先ほど記したようにデイヴィッド・リンチ監督がシュルレアリズムに造詣が深かった証拠である。
今あげた3本以外にも『ブルーベルベット』(1986)、『ワイルド・アット・ハート』(1990)、『ツイン・ピークス/ローラ・パーマー最期の7日間』(1992)、『ロスト・ハイウェイ』(1997)、『ストレイト・ストーリー』(1999)、『マルホランド・ドライブ』(2001)、『インランド・エンパイア』(2006)と長編映画だけでも、多作ではないがこれだけ残している。まあ、こうして並べてみると、『ストレイト・ストーリー』だけが、ごく普通の人情ものロード・ムービーなので、逆に異彩を放ってしまう。それだけ如何にデイヴィッド・リンチ監督の作品が、日常の中に潜む非日常の隙間の、その向こうへ誘う作品たちであるか分かるであろう。しかし、その独特であるデイヴィッド・リンチ監督の世界は、カンヌ国際映画祭ほか数々の賞に輝いている。そうその作品たちは認められてきていたのだった。
例えば、貴方が見知らぬ“穴”を見つける。誰にも知らせず、独り好奇心でその穴を覗くと…デイヴィッド・リンチ監督の作品はそうなのである。第二の“デイヴィッド・リンチ”テイストを持った映像作家は現れるのだろうか?そういえば、ある企画があったという。日本の漫画(劇画?)家・大友克洋氏の『童夢』という傑作がある。それをデイヴィッド・リンチ監督で映像化というもの。もしも…もしもそれが実現していたら…と思うと、今回のデイヴィッド・リンチ監督の訃報は残念で仕方がない。そしていくつもの独特の映像体験に感謝!内面を抉られるような表現法、ありがとうございました。
合掌。