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これが映画だ! 第二回
私は『これが映画だ! 第一回』を読み返して、意図せず伏線を幾つか張ってしまっていた事に気づいてしまった。散文的に、あっちへ飛びこっちへ飛びしながら、なんとか起承転結で落ち着いて着地しただろう第一回。今回も散文的につらつらと記していこうと思う。また、そこで新たなる伏線は、とりあえず第一回分を回収するまで、なるべく張らないようにするべく気をつけながら第二回を記していこうと思う。でも張っちゃったりして…。まあ、肩肘張らずに読んでいただければ幸いである。
ガキの頃の私が愛読していたのは、月刊『OUT』(アウト)という、如何にも怪しいコンパクトな雑誌であった。私の記憶に間違いなければ、この雑誌の方向性は定まっていなかったような気がする。それが『宇宙戦艦ヤマト』の特集を掲載するしてから、重版をするようになり、超マイナー雑誌からメジャー雑誌に、それこそ『宇宙戦艦ヤマト』の如く浮上したのである。
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やがて、私たち四人組をワクワクさせた『宇宙戦艦ヤマト』の放送が全26話で終了する。しかし実は、『宇宙戦艦ヤマト』は最初から26話で終わるわけではなかったのである。大人の事情(視聴率)の問題で打ち切られたのである。本当は帰途へ着くヤマトのストーリーがあったのである。起承転結の“結”の部分だけ、なんと最終回(記すべきことでもないが30分)で、済ませたのである。
しかし物語はまだ終わらなかった。この『宇宙戦艦ヤマト』の総集編を映画にしようと貪欲なプロデューサーは動き出した。当時のテレビ・サイズの映像を劇場に掛けるという。これはあまりに無謀な賭けだった。しかし、サイズ感の違いから、スクリーンに投影すると画質の粗さが際立った。でも、客は満員御礼、私の町にあった東映系の劇場でもそうだった。因みに私の町の東映系映画館というのは、歓楽街の一角にあり、ヤクザの皆様方がドンパチやったり、トルコ風呂(現在のソープランド)が乱立していたりと、およそ『宇宙戦艦ヤマト』を掛けるコヤとしては、そして子供たちが並んで鑑賞しようという土地柄ではなかったのである。でも、それでも、観に行ったなぁ…。
タイトルが赤茶けた地球をバックにほぼ無音のまま大きく映し出される。やがて宮川泰先生の“音”が映像に合わせて流れ出す。「ヤマトよ、ついにここまで来たか!」と私たち四人組は、粗い画像ながら大スクリーンを観て、確かに感動を新たにしていた。
でも、ちょっと待て!この徒然なるもののタイトルは『これが映画だ!』だったはず…。第二回にして、主軸からかなり脱線してしまった。これを読んでくれているであろう方々、これより軌道修正をして、貴方を映画とその周り、そしてその“映画”の沼へ私が引きずり込んでいこう…。なんて、まるでスプラッター・ムービーのキャッチコピーのような感じで、次回へ繋ぐこととする。
まあ、第一回、第二回を“まえがき”とでも思って頂ければ有難いのだが…許してくれるかな?