motherを観て
映画「mother」を観ました。どこかでこの映画の画像か動画を見たときに「長澤まさみ可愛い!」ってなって観たらとんでもない内容でした。鑑賞し終えた後の喪失感はたまらなかったです。
1.借金とりに追われて簡易宿泊所を逃げ出すシーン
私個人的にはこのシーンがとても記憶に残っています。長澤まさみ(三隅秋子)の言いなりだった奥平大兼(周平)ですがこの借金取りから逃げ出すこのシーンで初めて秋子に対して反発しようとします。周平は「俺ここに残っちゃだめ?」と秋子に尋ねます。「ここに残る」ではなく「残っちゃダメ?」と聞くところにあくまでも決定権は周平本人ではなく秋子にあるところも周平らしいですが。売れないホストである阿部サダヲ(川田遼)と秋子に向かって「二人でいけよ」と反発します。
二人から妹を連れて逃げ出そうとしますが、ドアを前にしてなかなかそのドアを開けることができます。結局秋子と川田に言いくるめられて一緒に借金取りから逃げ出すわけですが、もしこのときドアを開けて自立していたらあんなことには、、、と考えてしまいます。
このシーンこそがこの映画のテーマとも言える「共依存」を象徴的に表していると思います。周平は小学校にも行っておらず、知り合いや家族も秋子しかいませんでした。そうなると母親である秋子から離れることは容易ではありません。秋子から離れることは周平にとって一人外国に放り出されるくらい、いや宇宙空間に投げ込まれるくらい孤独で恐ろしいことなのです。その弱みに、秋子は何度でもつけ込むのですが。
2.秋子は周平を愛していた?
周平は最終的にお金のためと秋子にそそのかされ祖母と祖父を刺殺するわけですが、そんな非道な命令を下してきた秋子のことを今でも「好き」なのだと獄中で語っています。これは完全なる「依存」ですよね。では、秋子の方は周平のことをどう思っていたのでしょうか。当然秋子は母親としては失格ではあるのですが、時々母親らしい一面を見せることもあります。また、秋子は自分の息子や娘に他人に干渉された時に「私の子だよ!!」と怒号を飛ばします。一応の母性のようなものはその行動や発言から確認できますが、私は秋子は自分の子供達をものとしか扱っていないように思います。つまり愛していないのだと思います。お金を手にいれたときや物事がうまく行って気分がいいときだけ母親のふりをする。私は秋子と周平の関係を「共依存」とは思えないのです。依存している周平の気持ちを秋子が利用しているだけのように思います。