圧倒的帰宅欲
“帰りたい”という感覚がずっと身体に染み付いている。
仕事をしていても、買い物をしていても、自宅にいても、ああ、早く帰りたいなあ、と常にどこかで思っている。
仕事が死ぬほど辛い訳でも、買い物が楽しくないわけでもない。自宅は好きなインテリアに囲まれてとても住み心地が良い。
でも何故だかずっと帰りたい。何処にいてもふんわり足元が浮いてるような、不安定な気分とともに生きている。この感覚は一体なんだろうと、あらためて考えてみた。
物理的に帰りたい、を強く意識したのは小学生の頃、『日本に帰りたい』とずっと思い続けた2年間があった。
小学4年生の時に親の転勤が決まり、突然シカゴに移住することになった。
それまで全く海外に縁がなかった田舎の子供は、意味がよく分からないままイリノイ州の日本人学校にぶち込まれた。
”日本人学校”という小さな閉鎖空間で過ごし、外国人としてアメリカに暮らして感じたのは、世界中の子供達と友達にはなれないということ。
自分は殺される(或いは殺されたかもしれない)側の人間だったということ。
自分は差別される側の人間だったということ。
世界にはどうしようもない絶望があちこちに散らばっていて、自分の力ではどうにもならないことが多すぎると、おさなごころにショックを受けていた。
アメリカの広大な大地には全く馴染めず、外で自由に遊ぶこともできず、毎日自室や地下室に籠って絵を描いたり、工作したり、飼っていたハムスターを過剰に可愛がったりしていた。
学校のクラスメイトは“近いうちに別れが決定している”状態の人間の集まりなので、交友関係もふんわりしていて、どこかよそよそしかった。
(他人に興味がなさそう、と思われがちなのは、この体験が原因かもしれない。興味を持って仲良くしても、短期間で永久にさよならなんだから仲良くしても仕方がない、と当時は思っていた。)
日本の漫画、アニメ、ファッション、カルチャーの全てが恋しくて恋しくて仕方がなかった。
日本食のマーケットにある小さな本屋に行くこと、現地のスーパーのグリーティングカード売り場に行くことが唯一の楽しみだった。
毎年夏休みの一時帰国が待ち遠しく、早く日本に帰りたいとずっと思いながら生活していた。
そして小学6年生の夏、ようやく日本に帰れたと思ったら、『アメリカから来た人』と見せ物扱いされ、ゆるくいじめられた。
せっかく日本に帰ってきたのに、ここは自分の帰る場所ではなかったのか、と空虚な気持ちを抱えながら仕方なく日々をやり過ごしていた。
成人前に家を出てから、何度か引っ越しを繰り返しているが、どこに住んでも謎の帰宅欲を常に抱え、今に至っている。
寺山修司は自殺学入門で「帰る」ことについてこう書いている。
寺山修司の哲学も、よくわかる。
時間と時代は一方向にしか進まないし、この世の一切は続かない。
しかしこの圧倒的な帰宅欲の中、私は帰る場所が無いというみなしごの気持ちに生涯耐えられそうにない。
私はどこかに帰りたい。
自分にとっての安息の地を見つけて、そこに帰りたい。
安息の地で、人間として、自然の時間に任せた生活を送りたい。
そんなことで、2023年は『帰宅』をテーマに動くと決めた。
私はどこかに帰る。
帰れるといいな、と思う。
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