なんにもない家【禍話リライト】

とある住宅団地の八区に、ものすごい門構えの、いかにも金持ち然とした、大きなお屋敷があった。
ところが、20世紀の終わりにバブルが弾けた後、いつの間にか住人がいなくなってしまったのだという。
おそらくは夜逃げだろうと口さがない人々は噂しあっていたが、不思議なのはその後の処理である。
いなくなった理由がなんであれ、売り払うなり、取り壊すなりされそうなものだ。
ところが、その家は、取り壊されることなく、さりとて新しく住む人がいるでもなく、いなくなったときのままで放置されているのだ。
門構えはそのままで、庭は荒れ放題。
しかし、これもまた不思議な話なのだが、あまりにも荒れ方がひどくなりすぎると、誰かが来て草を刈って、庭をそれなりに整備していくのだ。
そのあとはまたしばらく放置されたままになり、庭は再び荒れ果てる。
そんな状況が、かれこれ20年以上、続いているのだそうだ。

そして。
いつの頃からかはわからないが、一番外側にある門のところに、紙が貼られるようになった。
ボロボロになると交換されるので、誰かが意図的に貼っていることは間違いない。
その家は売家ではないので、不動産の看板などは掲げられていない。
管理している人物も、どうやら不動産関係者ではない。
だから、どのような素性の人物がその紙を貼っているのかは皆目わからないのだが、そこにはこう書かれているという。

「この家は無人です
家の裏にある焼却炉には近づかないでください」

その家の裏には、立派な焼却炉がある。
それが設置されたのは、まだゴミを各家庭で勝手に焼却処分してもお咎めがなかったころのことだ。
その紙が貼られるようになってからしばらくすると、その焼却炉で人が焼かれた、などというくだらないうわさが流れるようになった。
ところが、それを「単なる噂」と一概に切り捨てられないような事態が発生する。
実際にその家の前を夜に通ると、敷地内に女の子を見かけるという事例が多発したのだ。
見かける女の子は同一人物のようで、白い浴衣のようなものを着た背の低い女の子が、パタパタ走り回っているのだそうだ。
そんなものを見た人は当然驚く。
そのうち皆、夜はそこを通るのを避けるようになる。
そのことが原因ではないとは思われるが、なぜか、その家の周りにだけ街灯が一切なく、今、その家の近くを夜に通りかかると、その家は漆黒の闇の中に沈んでいるのだという。
無論、最初からなかった訳ではない。
昼間に見ると、街灯が取り外された跡がはっきりと見える。

———————————

「……そんな家がうちの近所にあるんですよね」

Jくんたちはサークルの集まりの時に、自分の実家についてなんてことのない雑談をしていたのだが、ある一人のメンバーがそんな話を始めて、空気は一気に変わった。

「そりゃ……行くしかないな!」

皆が怖がっている中、社会人になってもまだサークルに顔を出しているO先輩が興奮気味にそう言った。

「いやいや、そこはマジでタブーなんです」

話をしたメンバーがそう切り返す。
彼は六区に住んでいるので、その家については子供の頃から知っているのだという。
噂として聞くようになったのはここ10年くらいのことで、聞いた時からすでにタブー扱いだったそうだ。
大通りではない、少し奥に入ったところにある家なので、意図しなければその前を通りかかることもない。
だから知っている人たちは、皆昼間でもそこを迂回するという。

「じゃあ尚更、そこにいくしかねえな」

諦めさせるために説明を重ねたにもかかわらず、Oさんはさらに一層興奮して前のめりになる。

「え?」
「そういう話題じゃないでしょ……」
「や、今度行こうや」

周りが引き気味なのも構わず、Oさんは話を進めてしまう。

「場所、知ってんのか?」
「いやぁ、だめですよ」
「いや、ダイジョブダイジョブ。お化けってのは気合で吹き飛ぶんだろ?まあ、最悪明かりをもってけば大丈夫だ。あ、あと、塩とか」
「知り合いに寺生まれの人でもいるんですか?」
「違うよ。世の中、気合と根性!!」

ええ……大丈夫、この人?

Jくんたちはそう思ったが、Oさんはひどいオラオラ系の先輩で、誘いを断ると後々面倒なことになるのが目に見えていた。
結局、後輩たちを集めて、サークルのみんなでその家にいくことになってしまった。
その家の話をした、六区の住人が謝る。

「みんな、ごめんな」
「まあ、仕方ないよ……あの先輩だけ行かせようや、やばいところには」
「ああ、本当にやばいとこだって話だから……まあ、監視はされていないらしいんだけど」

結局、何台かの車に分乗して、その住宅団地に唯一あるショッピングセンターに車を停めて、その家に向かうことになった。
家にたどり着いてみると、本当にその家の周りだけが、街灯もなく真っ暗である。
おお、本当に真っ暗だ……と言いながら進むと、話の通り大きなお屋敷が目の前に現れた。
屋敷が見えてきたところでOさんは、そこそこの大きさの懐中電灯を皆に配った。

「さ、行こうぜ」

こういうのだけ準備いいよな……と、内心Jくんは毒づきつつ、そもそもこの家、入れるのだろうかと考える。
みるからにがっしりした作りのお屋敷で、門もしっかりしている。
当然施錠もしてあるだろうと考えていたのだが、さにあらず、Oさんが押しただけで門が開いた。

え、開くの?
鍵かけるべきじゃないの?

そう思うが、Oさんはさっさと中に入ってしまう。
そうなるとこちらとしても躊躇しているわけにもいかないので、Jくんも後を追う。
門を潜る前に門柱を見ると、友人の言っていた通り、「この家は無人です」という貼り紙が貼ってあった。
それだけでなく、その横に、違う人が貼ったと思しきボロボロの紙が貼られているのが目に入る。

「肝試しはやめろ」

「やめろ」の部分が特に強調されていて、それもなんだか薄気味悪い。

「ねえ、Oさん」
「ん?」
「これ見ました?」
「何?……ああ、はーん」

Oさんは貼り紙を一瞥すると、気にするそぶりもなくまた敷地の中に戻っていく。

「え、Oさん、俺ら宛ですよ、これは。やめましょうよ」
「まあまあ、大丈夫大丈夫」

そう言って先に敷地に入ると、こちらを振り向いて、「おい、こいよ」と促してくる。
勘弁してくれと思いながらも、従わないわけにもいかない。
皆、黙って門を潜った。

門の先にあるお屋敷の本体は、当然ながら経年劣化で荒れた建物だった。
日本家屋なのだが、それなりに厳重に封鎖されていて、中には入れなくなっていた。
お金持ちが住んでいたということで、もともとはセキュリティ的にもしっかりした家だったのだろう。
風化はしているが、第三者に荒らされた様子もない。

「……入れねえな」

Oさんは玄関をしばらくガチャガチャやったあと、諦めたようにそういった。
どうやら鍵や窓を破壊してまで中に入るつもりはなさそうだと、Jくんたちは胸を撫で下ろす。

しかし。

Oさんの目的は別にあり、だから屋内には執着しなかったのだと、Jくんたちは思い知らされることになる。

「じゃあ、問題の焼却炉、行っちゃいますか」

そういえば、そうだ。
焼却炉に近づくな、という家だったのだ。
項垂れながら歩く皆をよそに、Oさんの足取りは軽い。
Oさんの先導で裏側に回ってみると、確かに焼却炉があるのが見えてきた。

「お。じゃあ玄関あたりまで戻って、今から一人ずつあそこに行こうか」

……こいつ、バカか?

ここにくることでさえ嫌だったのに、ここからさらに何かさせようというのか。
と、そこで、Kさんという女子が敢然とOさんに異を唱えた。

「絶対に行かない。絶対に行かないからね!!」

目が血走っている。
普段はこういう場でのノリを断らないタイプで、先輩も立てる心遣いもある子だったのだが、断固拒否の姿勢を示している。
その場にいたほかの面々だけでなく、Oさんもその様子を見て少し気勢を削がれたようで、「……や、そこまで嫌ならいいんだ」と譲歩する。
ただそれはKさんをはじめとする女子に対してのみの気遣いだったようで、Oさんは男性陣を指さして、指示を与え始めた。

「じゃあ、お前とお前。それからお前な。じゃんけんしろ」

幸いJくんは除外されたようで少しホッとする。
だが。

「これは様子見の第一陣ね。次は残りの奴らで、何するか決めてからじゃんけんするから」

Oさんの言葉に、Jくんはぬか喜びしたことを後悔した。

最初にランダムで選ばれた四人がじゃんけんをして、順番が決まる。

「じゃあ、一人ずつ行ってこい」

なんだよ、お前が先陣切らないのかよ。

誰もが心の中でそう突っ込みつつも、焼却炉の様子見、という謎の肝試しが始まった。
一人目が裏手に行くと、すぐに戻ってきて報告する。

「昔、学校にあったような焼却炉ですよ。結構でかいですね」
「ふーん、何か焼くものがあるのかね?」
「さあ、なんであんなとこにわざわざおいてんのか、わかんないですけどね。俺、近くまで行ってやめましたけど、中は見ませんでした」
「どんな焼却炉だったんだ?」
「上の方に重い蓋があって、ボロボロにさびてました。軍手も持ってないから、触ってません」
「あっそ。じゃ、次」

二人目も、行ってすぐに戻ってくる。
そこそこ広いとはいえ、大した距離ではないのだ。

「あれはだめですよ、ボロボロの焼却炉があって、煙突が見えて……怖くて近づけませんでした」
「だらしないなぁ。じゃあ、次」

三人目もやはり、行くことは行ったものの、近づけずに帰ってきてしまう。
四人目は、先輩にも割合はっきりとものを言う、Mという頼もしい男だった。
彼は待ち時間中に、ゲンナリしているJくんたちに、そっと「先輩にはうまいこと言って俺で終わらせるよ」と言ってくれていた。

「じゃあ、行ってきます」

Mがああ言うからには、何か考えがあるのだろう。
ならばこの次は先輩に行かせて、それで終わればいい……Jくんたちはそう楽観していたのだが。

帰ってこない。

これまでの流れでは、2分くらいで帰ってくるだろうに、5分過ぎても帰って来ないのだ。

あれ、帰ってこないな?
ちゃんと焼却炉を見てんのかな?

そんなことを思っているうちに、Mが、時間がかかった割には早足で戻ってくる。

だが、その様子がおかしい。

「で、出るぞ出るぞ出るぞ!!」

それだけしか言わない。
そして、皆を外に押し出そうとする。

「この家の敷地から出るぞ!!」

先輩に対しても、「ほらほら早く!!」と外に出るよう強く促す。
普段の様子とあまりにも異なるその切羽詰まった雰囲気に気圧されて、皆、“これはまずい“と感じたのか、続々と門から外に出ていく。
Oさんも、Mの指示に素直に従っている。
ようやくショッピングセンターの駐車場に戻ったところで、「どういうことだよ?」とOさんがMに尋ねた。

ショッピングセンターの街灯の灯りの下でMの様子を改めて見ると、明らかに普段とは違っていた。
全身汗まみれになっていて、額にも脂汗が滲んでいる。
顔色も照明の加減ではなく、はっきりと血の気が引いているのがわかった。
ただ、駐車場についたら若干安心したのか、最初に比べると幾分かは自分を取り戻しているように見えた。

「どうしたんだよ?」
「どうしたんですか?」

周りの問いかけにも、Mは「あのなあ、あのなあ、あのなあ」と何かを言おうとしては言葉がまとまらず、同じ言葉を繰り返している。

「とりあえず、水飲んで」

Kさんがペットボトルを渡すと、Mはそれを口に含んで軽くうがいをして、「はあ」と大きく息をひとつついたあと、ようやく話し始めた。

「女の子がいてさ」
「え?マジで言ってんの?」

例の噂話と付合するその語り出しに、皆が一様に驚きの声をあげる。

「や、だから一瞬仕込みかなと思ったんだよ、状況が突飛だから」

Mは硬い表情を浮かべて話を続ける。
水をもっている手もブルブル震えていて、彼が感じた恐怖がありありと伝わってくるようだった。

「最初、俺は誰かが仕込んだんだと思ったんだよ。だって、俺が裏に行ったら、焼却炉の前にこっちに背を向けて立ってる小さい子がいるんだぞ?誰かが仕込んでるんだと思った。“なーんだ、そういうことなのか“……そう軽く考えながら近づいていったら、その子がこっちをくるっと振り向いた。その子の様子、どんな感じだったと思う?……普通なんだ。仕込みだったら、いかにも怖そうな感じで来るだろ?でも、ごくごく普通の感じで振り向いたんだよ。人が近づいてきたから、誰だろうって確認する……みたいな塩梅でさ。で、俺の方をじっと見るわけだ。……そこでわかったよ。背の低い人を雇ったんじゃなくて、正真正銘小学生くらいの女の子だって。そんな仕込み、ないよな?
 ……で、よく見るとその子が、手に何かを抱いてる。……小さな壺だった。俺は近づいて行って、『君、何してんの?』って聞いたんだ。そりゃ聞くだろ?仕込みとは違う意味になってきてるんだよ。夜も遅くに、そんな小さい子が外にいたら危ないしな。でも、実際は聞けなかった。聞こうとはしたんだ。でも、『何して……』くらいで止まっちゃったんだ。……その子が何を抱えているか、わかったから。……小さな骨壺、だよ。
 そのまま固まってしまった俺のことを、その女の子は何するでもなくジーっと見てる。それがまた、“この人だれだろう?“みたいなごく自然な感じだったんだよな。
女の子はぱっつんみたいな前髪してて、肩まで髪があってな。俺の方をじっと見ているんだ。……そこで、聞いたよ。『お母さんはいないの?』ってな。

『お母さん死んじゃった』

明日の天気を予想するみたいな、ごく普通の調子でそう言ったよ。で、答えてすぐ、抱えてた骨壷を、両手でシャン、と上下に振った。中身が擦り合わさるような音がしてね、生理的に気持ちが悪くてしょうがなかった。でもそれもさることながら、動き自体が気持ち悪くてね。意図もわかんないし。ただ、だからと言ってこれで終わりにするわけにもいかないよな?……だからまた聞いたよ。『お父さんは?』って。そうしたら変なんだ。その子、首を傾げて「お父さん?」って聞いてくるんだ。まるで“お父さん“が指し示す存在が誰なのかわからない、みたいな感じだった。念の為、もう一度聞いたよ。『お母さんはごめんな、お父さんは?』って。

『その人も死んだ』

そう言って、もう一回シャンと骨壷を振る。……戸惑うよな?俺も何聞いていいかわからなくなって、迷った末にバカなことを聞いた。

『えーっとね。えーっと……あの……家族の人は?』

するとまた、家族という概念がわからないかのように、その子が「家族?」と言って首を傾げる。

『だからえーっと、おじいちゃんおばあちゃんとか、お兄さんお姉さんおじさんおばさんとか……』
『みんな死んだ』

シャン。

女の子は、相変わらず、昨日の夕飯は何食べた?って聞かれたときみたいなトーンで、そんなことを言うんだ。その後、くるっと背を向けた。で、焼却炉の方を向いて立ったまま、動かなくなったんだよ。
 ……このとき、俺の頭の中に、妙な考えが浮かんだ。この状況で、こんな普通のトーンで、この子が『私も死んでる』とか言い出したら、自分が発狂するんじゃないかって。その瞬間、向こうを向いたまま女の子が何か言いかけたから、もうダメだって思って、俺はもう、早足で出てきたんだ……。

……念の為に聞くけど、仕込みじゃないよね?」
「……仕込まないよ」
「先輩、仕込んでないですよね?」
「……そんなことしてねえよ」

先輩がそう言うなり、Mは頭を抱えてへたり込んだ。

「じゃあ、もうだめだ!!俺、明日からどうしたらいいかわからん……そんなもん見ちゃったし、変なものと会話しちゃった……」

Mはへたり込んだまま、周りに尋ねる。

「これ、どこ行ってどうなればいいの?何すればいい、俺は?」

そんなことを聞かれても、誰も答えられない。
しばらく沈黙が続いた中で、Kさんがポツリと呟く。

「これ、責任……どうとるんですか?こういうとこ連れてくるから、こんなことになってるんじゃないですか?」

そうOさんを詰ったのだ。
すると、追い詰められたのかOさんが半ばパニックに陥ってしまったようで、強気に言い返し始める。

「そんなことねえ!!勘違いだよ!!」
「でも、勘違いでこんなことになんないでしょ?」
「あー、もう!!お前らこい!!」
「え?!」

Oさんは一番光量のあるライトをもって、何人か引きずって屋敷の方に戻っていく。

「んなわけないから!!勘違いだから!!なんかの間違いだから!!」

そんなことを言われても、Mの様子は明らかに異常で、嘘や勘違いであるはずもない。
しかしOさんはすっかり意固地になって、「こい!!俺が確認してやるから!!」と言って、気の弱い奴らを無理やり引っ張っていく。

「ちょっと待ってくださいよ」

Jくんたちは全員で追いかけたけれども、Oさんは屋敷の門のところまで、あっという間に戻ってしまっていた。

「やめましょうよ!!」

Jくんにそう言われるも、Oさんは血走った目で叫ぶ。

「全員で行くぞ!!ないから、そんなわけ、絶対ないから!!」

結局、全員が奥まで連れていかれることになった。
先ほどは断固拒否の姿勢を示していたKさんも、「ちょっとやめてくださいよ」とOさんを止めようとするうちに、屋敷の裏にたどり着いてしまう。

屋敷の裏には焼却炉があるだけで、誰もいない。

「おら、ただの焼却炉じゃないか!!」

Oさんが強がってそう叫んだところで、遅ればせながらMもやって来て、「ダメです。ダメですって」と制止する。
しかし、何かのスイッチが入ってしまったように、Oさんは全く聞く耳をもたず、こう宣言した。

「お前らそこにいろよ!!」

そして、遠巻きで見つめるJくんたちをそこに残したまま、一人焼却炉に近づいていく。
Oさんは鉄製の蓋を開けて、焼却炉の中を覗く。

「何にもねえよ、ほら!!」

そして乱暴に蓋をバーンと閉めて、正面のガラス窓を覗き込む。

「何にもねえよ。ゴミも灰もねえ!!綺麗なもんだ」

そして、横から灰を出す扉も開けて、「何にもねえよ、ほら」と言うや、中に手を突っ込んで、「何にもないから!!」と叫んだ。

「だめですよ、帰りましょうよ」

その行動に他の皆はすっかり及び腰になってしまって、必死にOさんに呼びかける。

「もうやめましょ?帰りましょ?」
「何にもねえから!!」
「何にもないのわかりましたから、帰りましょうよ!?」
「何にもないから!!」

そこで、Jくんは、「あれ?」と思った。

「何にもないから!!」
「何にもないから!!」

Oさんは誰も何も言わなくても、同じ言葉をずっと繰り返している。

「わかったから帰りましょうよ!」
「何にもないって言ってんだろうが!!」

流石に何かがおかしいと、皆が気づき始めた。
先輩は焼却炉から手を出さない。
中に手を入れたまま、「何にもねえから、何にもねえから」と言い続けている。
するとMが、「ちょっとまてよ……」と言って、二、三歩前に出て、ライトでOさんの顔を照らした。

「……あれ?」

JくんはMの横に進んでいって、「どうした?」と尋ねる。

「……泣いてねえか?先輩」
「え?」

明かりに照らされたOさんの顔をよくよく眺める。
ライトの発する光が、Oさんの涙に反射していることが、Jくんにもわかった。

「何にもねえから!!何にもねえから!!」

……でも、何もないのに泣かないよね?!

Jくんはゾッとした。
おそらくMも同じ考えに至ったようで、二人同時に後ずさって事情をまだ掴めていない他のメンバーに今自分たちが見たことを説明する。

「先輩泣いてるけど……」
「何にもねえって言ってんだろ!!何にもねえんだよ!!」
「あれしか言ってないよ?!」
「いや、泣いてるよ」
「ええ?!」

すると。
Kさんが一歩前に足を踏み出して、Oさんに声をかけた。

「先輩」
「何だよ?」
「先輩、なんか掴んでるんですか?それとも何かに掴まれてるんですか?」

おい!!

言ったな、踏み込んだな……皆がそう思った。

その問いかけに、ふっとOさんの言葉が途切れる。

沈黙。

え……黙ったけど、なんて答えるんだろう?

「んー……」

Oさんは困っているようだ。
しばらく唸った後で、Oさんは口を開いた。
後から思うと、おそらくはテンパった中で、なんとか彼なりに状況をフォローしようと思ったんだろう、とJくんは語る。

「大丈夫だ」

一言Oさんはそう答えた。

「何がですか?」

Kさんが重ねて問いかける。

「これ、冷たくねえから。温かいから」

その言葉で全員の恐怖は頂点に達して、その場から一斉に逃げ出した。
走るJくんたちの背中に、「大丈夫だからぁ!!」というOさんの声が聞こえてくる。
そのままJくんたちは全員で敷地を出て、車まで走っていき、申し訳ない話ではあるのだが、Oさんを置いてそのまま車に飛び乗って逃げ出したそうだ。

結果的にOさんを置いて行ってしまったのだが、これにはやむを得ないところもある。
一部メンバーは恐慌状態になっていて、その場を離れないことには収集がつかない状況になっていたからだ。
一旦、街中まで出たところで、JくんがMに尋ねた。

「これからどうする?」
「みんなを下ろしたら、警察に電話して、俺、戻るよ」
「ええ?……じゃあ、俺もいくよ」

皆を明るいところに降ろして、まだパニックに陥っているメンバーの介抱を他のメンバーに任せて、MとJくんは再び車に乗った。
車を発進させて、警察に電話しようと助手席のJくんが携帯を取り出したところで、はたと気づく。

「あそこの住所、わかんねえや……」
「じゃあ、近くまで戻るかね……」

逃げ出してから戻るまで、おおよそ30分くらいだっただろうとJくんは言う。
屋敷のあたりに行ってみると、人だかりができていた。
ただ、その屋敷の前に、ではない。
屋敷から少し離れた、明かりがあるところに人が集まっている。
屋敷の前まで、誰も行かないのだ。

ああ、近所の人が起きてきているんだな……Oさんが叫んでたから。
でも、誰も家の前に行こうとしないな?

そう思いつつ屋敷に近づくと、まだOさんが「大丈夫!!全然大丈夫!!」と叫ぶ声が聞こえてくる。
流石にこれはどうにかしないわけにはいかない。
人だかりに向かって、申し訳ない思いになりながら声をかけた。

「すいません、あれ先輩なんですけど……」
「お友達?」

品の良さそうなおばあさんが、MとJくんの方に向き直って尋ねてくる。

「まあ、はい……」
「すいません、ここの住所教えてもらえますか?警察呼ばなきゃ」

そう言うと別の人が、「あ、呼んでる。もうすぐ来るよ」と答える。
Jくんたちはすっかり恐縮してしまい、集まった人たちに謝った。

「あの……本当にすいません。この叫んでるので起きちゃいましたか?本当にごめんなさい。ぼくらもここに来たくなかったんですけど……」

すると、中年の男性がJくんたちの言葉を遮るように手を横に振る。

「ああ、起きたのは、なんて言うのかな……」

あれ?
叫び声で起きたんじゃないの?

Jくんたちが戸惑っていると、その男性は言葉を続けた。

「あのねえ……大体こういうことがあると、玄関叩かれるんだよね」
「そうそう。大体玄関叩いたり、窓叩いたりして教えてくれるんだよね」

そこに集まった人たちの話によると、玄関を叩く音は、バンバンという乱暴な音ではなく、“ほとほと“のような控えめな音なのだが、目が覚めてしまうのだそうだ。

そんな話をしているうちに、パトカーと救急車がやってきた。
ただ、それらの車両も屋敷の前に横付けはせず、明かりのあるところに停車する。
そして、車から降りてきた若い警官や救急隊員たちが、屋敷の中に入っていく。
Jくんたちも行こうとするのだが、ベテランの警官に「行かなくていいよ」と制止される。
そしてそのベテラン警官は、若い人たちに向かって、「おい、あんまり呼吸するなよ」などとアドバイスを送っていた。

呼吸するなって……どういうこと?

そんなことを考えていると、しばらくしたらOさんが連れ出され、そのまま救急車に乗せられて、運ばれていった。

—————————

「そのあとは色々ありましたよ、もちろん。大変でした」

Jくんはそう言って、その時を思い出すように遠い目をした。

「……ところで、その、先輩は?」

私が尋ねると、Jくんは思い出したようにあっさりとこう答えた。

「だめでした。仕事にも復帰できなかったし、実家に戻ったんじゃないかっていう話ですけど」
「そうなんですね……Mくんには、何も?」
「ああ、Mですか」

Jくんの表情が陰る。

「亡くなってはいません」
「亡くなって“は“?」
「ええ。あのすぐ後に、交通事故に遭って後遺症が残ったんですよ。仕事もして結婚もしているんですが、体が不自由になってしまって……」
「そうでしたか……」

そう言いつつも、私は「だからと言って、何もあらゆる不幸ごとをそこに結びつけることもありませんよね」と、フォローしようとした。
しかし私が口を開く前に、Jくんが言う。

「あいつだけじゃないです。Kさんも、いや、行った人全員に何らかの不幸があったんです。それも、家に行ったことと関係してるんじゃないかみたいな不幸でしたね。全部、あの家に行ってから半年以内に起きたことです。あそこは本当にやばいです。だからかあなっきさんも行かない方がいいですよ。どこの県で起きたことかも、僕は言いません」
「いや……それはこちらとしても聞くつもりはありませんので……ところで、その子は何なんですかね?」

Jくんは、少し考えてから、こう言った。

「……最後にあんまり怖かったんで、上品そうなおばあさんに、その女の子をこいつも見たっていうんですけど、って言ったんですよ。Mのことです。そうしたらおばあさんは気の毒そうな表情を見せて、『その子はあの家の養女だったんだけどね』って言ったきり、黙ってしまったんです。……それ以上は教えてくれませんでした。僕らも、そうか血がつながってない子なのか……って思ったら、なんだか空恐ろしくなってしまって。それ以上考えるのをやめました。多分、ずっとその子がいるんですよね、その家には。いまだに真っ暗なんですよ、そこだけ」

その家は、日本のどこかに、取り壊されずにまだあるのだそうだ。

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この記事は、「猟奇ユニットFEAR飯による禍々しい話を語るツイキャス」、「ザ・禍話 第29夜」の怪談をリライトしたものです。原作は以下のリンク先をご参照ください。

ザ・禍話 第29夜
https://twitcasting.tv/magabanasi/movie/645332399
(49:47〜)

※本記事に関して、本リライトの著者は一切の二次創作著作者としての著作権を放棄します。従いましていかなる形態での三次利用の際も、当リライトの著者への連絡や記事へのリンクなどは必要ありません。この記事中の怪談の著作権の一切はツイキャス「禍話」ならびに語り手の「かぁなっき」様に帰属しておりますので、使用にあたっては必ず「禍話簡易まとめwiki」等でルールをご確認ください。

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