見えてない見えてない【禍話リライト】
とある駅の裏通りに、細長いビルがたくさん立っていた。
基本的に雑居ビルらしく、中に入っているのは雀荘やらカラオケパブやら、大人の社交場ばかりだった。
そんな中に一軒だけ、ゲームセンターが営業していた。
そのゲーセンは格闘ゲームが充実していて、一プレイあたりの料金も他に比べて安かったため、高校生やら大学生やら、若者たちで賑わっていたそうだ。
ビル自体は古かったが、ゲーム機は最新であり、店員もちゃんとしていて治安も保たれている。
そのゲーセン自体には、何も問題はなかったのだが。
一つだけ、そのゲーセンを使う者たちの間に、奇妙な不文律があった。
ゲームセンターのある一階フロアのトイレは、使わない方がいい、というのだ。
もしトイレに行く時は、二階に行った方がいい。
別に封鎖されているわけでもないのだが、少なくとも高校生の間ではそう伝わっていた。
当時Kくんは、ゲームの金額が安かったことに釣られて、そこまで熱心なゲーマーというわけではなかったが、仲間と共にそのゲーセンを溜まり場にしていたという。
トイレに関する噂は、その時に仲間から聞いたのだった。
「あのさぁ、トイレはこのフロアのは使わない方がいいよ」
「え、そうなの?詰まりやすいとか?洋式じゃないとか?」
Kくんとしては、不便だから……というのがその理由かと思っていたのだが、仲間は首を横に振る。
「いや、そうじゃなくて」
彼の話はこうだった。
以前、彼の先輩がこのゲーセンを利用していた時のこと。
一階トイレの個室で用を足してたら、個室の外からヒッという引き笑いのような声が聞こえてきた、というのだ。
慌てて外に出てみたが、誰もいない。
そのビルは古いので、トイレの出入り口のドアを開くと、錆びた金属が擦れる不快な大きな音がたつ。
しかしその時は、一切そんな音はしなかったそうだ。
「……へえ、リアルな話なんだ」
仲間の話す怪談めいた噂話に好奇心をそそられたKくんは、仲間に重ねて尋ねてみた。
「それって、お化けとかそっちなん?」
「そうらしいよ」
「ええー、そうなんだ」
俄然興味はそそられたが、Kくんは元来臆病である。
肝試しなどもしたことはない。
だから、本当かな、と半ば眉に唾をつけつつも、一階のトイレは使わなかった。
ところが。
ある時、そのゲーセンでゲームをしている最中に、急にお腹が痛くなったことがあった。
やべえやべえ、さっき食べたアイスか……
脂汗が額から滴る。
「ちょっとこれ、代わってくれ」
後ろで覗き込んでいた仲間に席を譲ると、Kくんはトイレに向かって歩き出す。
そこで、悟ったのだという。
これ、階段上ってたら、間に合わねえな……
脳裏には、無論以前仲間から聞いたあの怪談めいた話がよぎるが、背に腹は変えられない。
彼には守らなければならない尊厳があるのだ。
仕方がないので、彼は一階トイレの個室を使うことにしたそうだ。
その判断は、少なくとも彼の腹具合に関して言えば大正解だった。
ことを終えたKくんは、なんとか間に合った、と胸を撫で下ろしつつ、カラカラカラとトイレットペーパーを出しながら考える。
このトイレ、別に普通だよな。
ちゃんと掃除もされているし、皆、使えばいいのになあ。
使う人が少ないためか、全体的に二階よりも綺麗なように思える。
そうこうしているうちにお尻を拭き終わったので、紙を流そうとした、その時だった。
外から、大きな引き笑いが一回、聞こえてきた。
え、まじで?
思わず動きが止まる。
出入り口のドアが開く音は、しなかった。
だから誰も入ってきてないはずだ……そんなことを考えながら、個室をそっと出る。
……誰もいない。
手を洗いゲーセンに戻ると、あまりに顔色が悪かったのか、皆が心配して声をかけてくる。
「どうした?間に合わなかったのか?」
「……いや、そうじゃないけど……」
「まさか一階のトイレに行ったんじゃないよな?」
「実は……そうしたら、変な引き笑いみたいなのが聞こえてきて……」
「なんだよ、行くなって言ったじゃん」
「まあ、でもな……所詮、引き笑いくらいだし」
「……いや、お前相当顔青ざめてるよ。平気なふりしてても、ショック受けてるよ」
仲間からそう指摘されて、Kくんは“そうなのかな?“と思いつつ、ゲーセンの備え付けの鏡に顔を映してみた。
言われた通り、顔はかなり真っ青になっている。
人間って、こんなに顔が青くなるの?!
文字通りの真っ青具合に、Kくんは大きな衝撃を受けたそうだ。
思ったよりはるかに、顔が青ざめていたのだ。
その後はあまりゲームに身が入らず、その日は早めに切り上げて家に帰ったという。
帰宅したKくんは、自分の部屋に荷物を置くとベッドに身を投げ出した。
天井を見ながらぼーっと今日の出来事を考える。
それにしてもあれ、気持ち悪かったな。
空調が引き笑いみたいに聞こえた……なんてもんじゃないよな。
あれは絶対誰か外にいて……
そのタイミングで、電話がかかってきた。
「うわ!!」
びっくりしてベッドから跳ね起きる。
慌てて携帯を取ると、例のトイレの話をしてくれた仲間からだった。
「今、先輩に聞いてきたんだけどさ、やっぱやばいよ、お前」
「どういうこと?」
「あそこのトイレってさ……」
以下は仲間から聞いた話である。
—————————————-
一階のトイレには個室が一つしかないのだが、ある時からそこに、変な落書きが増え出したことがあった。
もっともそれ自体は、大した内容ではなかったという。
“バーカ“と書かれたところから矢印が引かれていて、“バカっていうやつがバカなんじゃ“とか、卑猥な下ネタとか、電話番号などが書かれていたそうだ。
つまりは、どこにでもある、正真正銘の、紛うことなき“便所の落書き“だったわけだ。
それだけなら、ただの迷惑行為である。
迷惑ではあるし、対応が必要なことは間違いないが、恐怖を感じるような要素は微塵もない。
ところが。
掃除している人が、その落書きを見ているときに、気づいたのだ。
……全部、同じ人が書いている。
文字をよく見てみると、全て同じペンで書かれていて、同じ筆跡なのだ。
そうこうしているうちにも落書きは増えつづけ、数日経つと扉が落書きでいっぱいになってしまった。
こうなると本格的に対応に乗り出さなければいけない。
油性マジックで書かれているため、全てを消すのは困難ではあるものの、こんなことでドアを替えるのももったいないため、オーナーは扉をペンキで塗りつぶしたそうだ。
「これでよかった」
「落書きしてたやつも、ためらうんじゃないの、流石に」
さらには念の為、落書きはやめてください、見つけ次第警察に通報しますという貼り紙も貼り出した。
結果的に、それで落書きは無くなった。
ところが、それと入れ替わるように、ゲーセンにおかしな電話がかかって来るようになった。
変な苦情を一方的に言われて、こちらが口を挟む間もなく電話が切られてしまう。
バイトの女性店員がその電話をひどく気持ち悪がるので、店長が何を言われたんだと聞いてみると、甲高くて早口な中年男性の声で「番号が大事なのになんで塗りつぶすんだ」というような趣旨のことを捲したててくるのだという。
そうなると当然、“番号“ってなんだ?という話になる。
しばらく考えて、店長は思い出したという。
そういえば、塗りつぶした落書きの中に一つ、携帯の番号が書いてあった。
確か、「文句があるならここにかけろ」という趣旨のことが一緒に書かれていたはずだ。
同じ字なのに、あたかも二人の人物が口喧嘩をしているようなていのくだりの中に、電話番号が書かれていたのだ。
しかし、それを店長が思い出したところで、迷惑電話はかかってくる。
毎日、毎日。
時には日に2件かかってくる日もあった。
そんなことが続いたので、バイトもノイローゼ気味になってしまった。
そんなわけで、すっかり迷惑電話に困っていたある時のこと。
たまたま店長がいる時にゲーセンに電話がかかってきた。
出ようとするバイトを制し、店長が受話器をあげる。
通話状態になった途端、音漏れするほどの大声で、甲高い声の男が、「あの番号が大事だったのになんでだ」などと喚き散らしている。
店長は、最初こそ面食らったものの、流石に冷静だった。
「いやいや、そんな大事なのにお店のトイレの扉に書いてるそっちが悪いんじゃないですか」
店長がピシャリとそう言うと、電話口の向こうの男は沈黙し、電話を切った。
それ以降、その男から電話は来なくなった。
そしてそのまま、一週間が過ぎた。
ゲーセンのバイトたちの中でも、「やっぱり正論には勝てないんだな」「よかったよかった」という話が出るくらいで、早くも記憶からその電話のことが消えかけていた、ある日のことだった。
そのビルの裏で、飛び降り自殺があった。
飛び降りたのはホームレスで、彼はカプセルホテルを転々としていた。
話によると、どうやらトイレの個室にある小窓を開けた目の前が、落下地点だった。
しかし。
それがおかしいのだ。
ホームレスが投身したのは、ゲーセンの入っているビルから、ではない。
少し離れた向かいのビルからだった。
つまり彼は、真下に落下したのではなく、おそらくはゲーセンのあるビルに向かって跳躍して落ちていったのだ。
そんな妙な亡くなり方だったので、当然噂にもなる。
そのホームレスは、意図的に、狙ってそこに落ちたんじゃないか。
ひょっとして、落書きをしていたのは、そいつじゃないか。
悪戯電話もそいつの仕業だったんじゃないのか。
そいつが当てつけで自殺したんじゃないか。
そんな噂が駆け巡った。
しかし、裏通りはビルとは関係がない。
飛び降り現場も別のビルである。
それ以上、何もしようもなかったのだ。
そして……
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「まあ、その後なんかあったんだろうね。窓を封じてるらしいんだよ、そのトイレ」
「……言われてみればそうだったな」
個室の中を見回していた時に、変な位置に換気扇が後付けされていることに疑問を抱いたことを思い出したのだ。
「……お前、やばいよ。とにかくさ、なんか怖いことあったら言ってくれ、な?先輩がいい神社知ってるからさ。そこは開運の神様が有名なとこで」
「待て待て、開運は関係ないだろ」
「でもさぁ、前向きな気持ちは大事だからな」
「まあ、そりゃそうだろうけどさ……一般論としては」
「そうそう、イッパンロンで言ってんのよ。とにかく何かあったら言ってくれよな」
そう言って仲間は電話を切る。
……あいつ、一般論の意味知ってんのか?
それにしても気持ち悪いこと聞いちゃったな。
もうあのゲーセン行くのやめよう……
そう思いながら、シャワーも浴びずにKくんは寝てしまった。
そしてKくんは、“めちゃくちゃいやな夢“を見た。
それは、単純な意味での悪夢ではない。
Kくんは夢の中で、十歳ほど歳を重ねていた。
もう、二〇代後半から三十に手が届こうかという年齢であったという。
夢の中のKくんは、二進も三進も行かない状況になっていた。
就職には失敗して定職につけず、借金を重ねてそれが膨らんでしまい返すアテもなくなっている……そんな状況だった。
夢の中のKくんは、焦りながらこう考える。
どうしよう。
そうだ、あの番号に電話しよう。
あの番号に電話すれば助かる。
あの番号どこにあったっけ。
そうだ!
Kくんは走って例のゲーセンのある雑居ビルの一階のトイレに向かう。
そして、個室を開けたところで目が覚めたというのだ。
目が覚めたKくんは、汗をびっしょりとかいていた。
ものすごい疲労感が全身を包んでいる。
え、なになに?!
気持ちわる!!
気がつくと、妙に手が痛い。
何かを強く握っていたような感覚だった。
え、うそうそ?!
よくよくみると、布団の中にボールペンが転がっている。
……これを握ってたのか、俺は……
そんなことを思いつつ、何気なく机の上を見ると、置いた覚えのないノートが開いた状態で置かれていた。
……え?
起き出して見てみると、自分の字で、「見えたと思ったら見えてない」と大きく書かれている。
意味不明だ。
何、これ?
そう思いつつページを捲ると、次のページにも書いてある。
「見えてない見えてない見えてないどうせ見えてない」
なんだこれ?!
全く覚えがないが、自分の筆跡であることもまた間違いない。
言いようのない違和感に数ページ続けてめくっていくと、ようやくこの訳のわからない言葉が終わっていた。
少しだけ安堵しつつ、ノートを眺めていたKくんは、最後の箇所を見て戦慄した。
「見えてない見えてない見えてない見たかったら090-8」
電話番号が途中まで書かれていたのだ。
「うわああ!!」
Kくんはノートを掴むとリビングに駆け降りる。
おはようと声をかけてくるお母さんには答えず、勢いよくゴミ箱にノートを叩き込んだ。
「どうしたの?!」
驚いてお母さんが尋ねてくる。
「捨ててくれ!!捨ててくれ!!」
「……あんた、どうしたの?」
そう言ってお母さんは、Kくんの顔を指してきた。
慌てて確認すると、たった1日ではありえないほどおおきなクマができていて、目の下が窪んでいた。
お母さんも、流石にこれは病気なのではないか、と考えて、急いでKくんを緊急外来に連れて行ったという。
医者もその風貌を見て、「どうしたの?!」と思わず大声を出してしまうほど、憔悴していたそうだ。
その後、色々と検査をされたが特に異常は見られず、「とりあえず点滴打とうか」ということで点滴だけで帰された。
結局、体調は一週間くらいで戻ったし、それ以上特に何か起こるようなことはなかった。
のちにそのビルが解体されたこともあり、一度もその近辺に近づいたことはない。
しかし、Kくんの中では、どうにもそのときのことが、心のどこかに引っ掛かり続けているようだ。
話終わったKくんは、私にこんなことを聞いてきた。
「……結局、その番号ってなんだったんでしょうか?もし僕がそれを覚えていて、そこに電話したらどうなってたんでしょうか?」
無論そんなことを聞かれても、神ならぬ私には答えようがない。
「でも、ビルがなくなってよかったですね」
話を逸らすという意図もあり、私がそう言うと、彼は静かに首を横に振った。
「そこは今、コインパーキングになっているんです。さっきも言いましたが、その辺一帯が、ビルの老朽化で取り壊しになって、広いコインパーキングになっているんですけど……実は最近、停めている車の中で自殺があったんですよ」
「え?」
「まさか……と思ったんですが、その現場……あのビルのトイレがあったあたりだったんですよね」
まだ、いるんですかね。
Kくんは自問するように、静かにそう呟いた。
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この記事は、「猟奇ユニットFEAR飯による禍々しい話を語るツイキャス」、「禍話X 第4夜(上)」の怪談をリライトしたものです。原作は以下のリンク先をご参照ください。
禍話X 第4夜(上)
https://twitcasting.tv/magabanasi/movie/651252508
(20:36〜)
※本記事に関して、本リライトの著者は一切の二次創作著作者としての著作権を放棄します。従いましていかなる形態での三次利用の際も、当リライトの著者への連絡や記事へのリンクなどは必要ありません。この記事中の怪談の著作権の一切はツイキャス「禍話」ならびに語り手の「かぁなっき」様に帰属しておりますので、使用にあたっては必ず「禍話簡易まとめwiki」等でルールをご確認ください。