(忌魅恐)ただ静かに見ている人たち【禍話リライト】
関東地方のとある大学に通っていた頃の話です。
私の通っていた大学から少し離れたところに、下町といえばいいのか、ちょっと安めのアパートが乱立しているような地域がありました。
車一台通れるかどうかというような細い道の両脇に、ボロいアパートが乱立しているような地域です。
そこに住んでいるのは外国人労働者が多いらしく、ゴミの出し方や注意書きが英語で書かれていました。
そういうわけで、その地域に住んでいる学生はほとんどいなかったのですが、とある事情で私の友人の馬場くんがその地域のアパートに引っ越すことになったのです。
秋ごろに、もともと馬場くんが住んでいた学生用アパートで火災があり、幸い彼自身の部屋は無事だったのですが、建物の半分以上が炎に包まれてしまい、もう住むことはできない状態になってしまいました。
即座に引っ越さなければならなかったのですが、あいにく近場に適当な物件がなく、馬場くんはその地域のアパートに引っ越すことになりました。
彼が引っ越した直後の日曜日。
私は馬場くんの新居を、引越し祝いというわけではありませんが、尋ねることにしました。
彼と会うのは、火災以降はじめてだったので、少し心配していたのですが、出迎えてくれた馬場くんは意外にも元気な様子だったのでホッとしました。
「やあやあ、いらっしゃい」
「馬場くん、良かったなぁ。急な引っ越しだったけどいいところが見つかって」
そのアパートはお世辞にも綺麗なところではありませんでした。
ただ、年季が入っている割には清潔で日当たりも良く、部屋にトイレもシャワーもあるのですから、貧乏学生からすれば言うことはありません。
「うん、急だったけどとりあえず見つかってよかったよ。ここ、家賃安いんだよね」
私は家賃を聞いて驚きました。
地域柄かもしれませんが、似たような間取りの自分の部屋より2万円ちかく安いのです。
「それにしても安いね。壁が薄いとか?」
「そうなんだよ。しかもこの部屋ね、アパート自体が安いのにその中でもさらに安いんだ」
「え、ひょっとして、人が死んでるとか?」
「いや、そうでもないみたいなんだよね。たださ……変な話なんだけど、隣の部屋の人、死んでるかもしれない」
「何言ってんの?」
すると馬場くんは立ち上がってこう言います。
「ちょっと見てもらっていい?」
馬場くんは私にも立ち上がるよう促すと、玄関まで歩いて行きます。
「え?どういうこと?」と私が問うと、彼は「ドア、ドア。隣のドア、見た?」と聞きます。
「見てないよ、そんなとこ」
「そうだよな」
彼のアパートはだいたい建物の真ん中あたりに階段があって、そこを上るとすぐ右にある三号室が馬場くんの部屋でした。
だから、階段を挟んで反対側にある隣の部屋のドアも、外廊下をさらに進んで馬場くんの部屋の奥にある隣の部屋のドアも見ていません。
馬場くんは、私がドアを見ていないことに納得したように頷くと、こう続けます。
「隣の部屋のドアなんか見ないよな。……じゃあ、四号室のドア、見てみな」
そう言って馬場くんは玄関のドアを開けます。
促された私は、昼間でも薄暗い外廊下の奥にある四号室のドアを見て、驚きの声を上げてしまいました。
「え、なにこれ?服がはみ出してるけど、どういうこと?」
内側がどうなっているのかわかりませんが、作業着の袖が隣室のドアの両側から突き出しています。
長さから見て、一着の作業着のものではなく、左右それぞれ、二着の作業着の袖を片方ずつ、肩から先が外に出るように垂らしているのです。
「中どうなってんの?」
「さあ、玄関の内側でいい加減に干してたのがはみ出てる……って感じでもないよな」
よく見ると作業着はあちらこちらにほつれもあり、シミやら汚れやらも目立ちます。
「ボロボロになってるけど、なんかすごいね、これ」
私が呆れ気味にそう言うと、馬場くんは、「引っ越し初日からこうなんだよね」とあっさり言い放ちました。
そして、隣の部屋からは物音ひとつしないと言うのです。
それは異様なことでした。
「こないだ大雨で家にいたんだけど、上からも下から、階段隔てた反対の部屋からも、よく音が聞こえるんだよ。でも、こっちからだけ、何の音もしないんだ」
続けて、「ベランダもやばいから、みてみ」と、今度は部屋の奥まで進んでいき、窓を開けました。
窓から顔を出し、首を曲げて四号室のベランダを伺うと、ベランダにはゴミが詰め込まれた透明なビニール袋ゴミがパンパンに詰め込まれています。
「……これ、夏やばいんじゃない?」
頭を引っ込めて、室内にいる馬場くんにそう言うと、「そうだよね」と言って頷きました。
「で、俺も、管理会社に電話したんだよ。死んでると大変だからさ。そうしたら変なんだよ。担当の人が、『確認に入ってるので』とか言うんだ。『確認って何ですか』って聞いたら、お茶を濁すんだよ。まあ、だから家賃安いのはいいんだけど……本音を言えば、早く金貯めて引っ越したいなって思ってるんだ」
馬場くんはそう言っていました。
一週間後、馬場くんが深刻な顔で教室に入ってきたので、授業後に私は彼を捕まえて話しかけました。
「どうしたの?やっぱり、死んでた?」
すると馬場くんは相変わらず深刻な顔をしたまま、「それよりも悪い」とボソリと言います。
「何が?」と続けて問いかけましたがここではちょっと……と言うので、学食で続きの話を聞きました。
……いや、俺、引っ越しでゴミがたくさん出たからさ。
あの翌日、朝っぱらからゴミ捨て場と部屋を往復してたんだよね。
そうしたら、男の人に声をかけられたんだ。
「すいませんけど、このアパートの人ですか?何階に住んでるんですか?」って。
「二階の三号室ですけど」って答えたら、その人が「お隣の部屋の人のことなんですけど……」って続けて質問をしてきたんだ。
スーツを着た、かっちりした感じの人でね。
刑事とか、市役所の人かなって思ったんだ。
けど、違った。
質問内容がおかしくてね。
まず、こう聞かれた。
「隣の部屋から音は聞こえますか?」
「いえ、聞こえないですけど」
「では壁に耳をつけて聞いてみましたか?」
「そこまでは……」
「ベランダはどうですか?」
「ああ、ゴミがいっぱいですよ」
「そうですか。そのなかに黄色いシャツは含まれていますか?」
「いや……そこまではわからないです」
「そうですか」
そう答えるとその人は納得したように、うんうんと頷いて、名刺入れから名刺みたいなものを取り出して、手渡してきたんだ。
「とりあえずこれをお渡ししておきます。また来ますんで」
それだけ言うと、押し付けるみたいにその紙を俺の手に握らせて、帰って行ったんだ。
不思議なもんでね、部屋に帰るころには顔の特徴をすっかり忘れてしまってて、男だったことくらいしか思い出せないんだ。
変な人だったな、それにしても名刺もらったけど、何だろうなって思ってさ。
握らされた紙を見たら、名刺じゃなかったんだ。
厚紙にボールペンで、
「生キテレ」
って漢字とカタカナで書かれてたんだ。
気持ち悪いよなぁ……
そもそも“いきてれ“って何だよ。
私はその話を聞いて、ゾッとしました。
「気持ち悪い……何それ?」
話が全くつかめません。
それは馬場くんも同様のようで、相変わらず暗い表情をしながら、「本当にやばいのかもしんない」と呟きます。
「やばいよ、それ。早く引っ越したほうがいい」
「うん……考えるわ」
馬場くんはそう言いましたが、悲しいかな、彼もまた貧乏学生です。
おいそれと引っ越すことはできません。
時々馬場くんから話を聞きましたが、隣からは相変わらず音もせず、スーツ姿の男はアパート周辺をちょこちょこうろついていたようです。
ついには、アパートの入り口に、英語と日本語で注意喚起の紙が貼られることになりました。
「不審なスーツ姿の男が声をかけてくる事案が発生している。警察に相談している」というような内容だったそうです。
馬場くんもあまり部屋に戻りたくなくなってしまい、知り合いの家を転々とするようになりました。
ところで馬場くんには、社会人の彼女がいました。
彼女は仕事が忙しく、馬場くんの引越し先にしばらく来ることができなかったのですが、彼が越してきてから一ヶ月後にはじめて彼の部屋に来たときに、隣の部屋のドアから垂れ下がっている作業着の袖を見て、硬直するように立ち止まったそうです。
「これ、何?」
「いや、わからないけど……」
すると彼女は袖を睨みつけるようにしながら、こう続けます。
「これはよくないよ。誰か死んでるよ」
そして馬場くんの方を向いて、「あんた私のところに転がり込めば?」と同棲を提案してきたというのです。
馬場くんとしては渡りに舟、といったところでした。
そういうわけで、とんとん拍子に引っ越しが決まり、私を含めた友人3人が引越し作業を手伝うことになりました。
ひと月と少ししか住んでいないのに引っ越すわけですから、何かトラブルがあるかもしれないと彼も身構えていたそうですが、違約金も取られず、礼金は全額返却され、敷金も最低限の分を除いては返金されることになったそうです。
なんだか狐に摘まれたような話ですが、兎にも角にも余計なお金がかからないならよかった、ということで、私たちは引越し作業に取り掛かりました。
男4人での引っ越し作業は順調に終わり、夜7時には部屋から全ての荷物が運び出されました。
「よかったよかった、みんな本当にありがとうな」
がらんどうの部屋で馬場くんが私たちに礼を言います。
「近所の飲み屋で奢るわ。ホントありがとな」
「いやいや、困ったときはお互い様だよ」
ちょうどそんなことを言っている時でした。
同じく引っ越しを手伝っていた友人の長谷川がベランダでタバコを吸っていたのですが、タバコと灰皿代わりの空き缶を片手に慌てた様子で部屋の中に駆け戻ってきたのです。
「おいおい、どうした?」
「と、隣のベランダに誰か立ってるよ?!」
四号室のベランダの方を指差しながら、長谷川が慌てた様子でそう言います。
「え、立てないでしょ。ゴミ袋がいっぱいで」
そう言いますが、混乱しつつも長谷川は続けます。
「うん、うん、そのはずだよな……でも、どう立っているかわからないけど、立ってたんだよ」
「どんな奴?」
「……わからないけど、男だな」
長谷川の手はブルブルと震え、顔面は真っ白になっています。
「大丈夫……?」
私と馬場くんが長谷川の様子に気圧されていると、もう一人の友人、赤坂が立ち上がりました。
「お前ら来なくていいから」
私たちにそう言って、ベランダに向かいます。
そして窓を開け、顔を出して隣の部屋のベランダを覗き込むと同時に、赤坂は声を漏らしました。
「え、ホントに?うわうわ、ほお!?」
そして顔を引っ込めて、小走りでこちらに駆け戻ってきます。
「これ、やばいやばい、やばい!!」
半ば恐慌状態になっている赤坂に、尋ねてみます。
「部屋、出たほうがいい?」
「出るな出るな」
「なんで?」
「出ないほうがいいかもしれない、ここにいたほうがいいかもしれない……」
赤坂は私たちに、外に逃げずにここに待機しろ、と言います。
何をみたのかを尋ねると、赤坂は自分が見たものを話し始めました。
「こいつが立ってたなんて言うから、“本当かな?“って半信半疑のまま、ゆっくり顔を出してみたんだわ。……結論から言えば、人が立ってるかどうかは見えなかった。だけど……隣のベランダの方から、手すりを超えて空中に白い手がつきだされてたんだよ…手だけが、な」
「え、手?」
「うん、右手だった。……その右手が、ゆっくり指を折っていくんだよ。で、俺がびっくりしてたら、ちょうどこの部屋にいる人数ぴったりのところで、腕が暗闇に引っこんだんだよ……」
「でも、隣から音しないぜ?」
「だから俺出ないほうがいいんじゃないかって……」
「でも、いつまでもこうしているわけにはいかないだろ」
「どうしよう?」
しばらく逡巡しましたが、ここにいるのは健康な大学生男子4人です。
ずっとこうしているわけにもいかないから、邪魔してくるならぶちのめして、とにかく出ようということになって、手荷物を持って靴を履いて、ドアを開きました。
誰もいません。
少し安堵しつつ部屋を一斉に飛び出し、階段を駆け降りる直前、私たちはほぼ同じタイミングで四号室のドアの前を見ました。
人がいました。
1人ではありませんでした。
四号室のドアの前から、五号室にかけて、6,7人の老若男女の人々が、黙って立ちつくしていました。
彼らは、四号室のドアをじーっと見詰めていました。
私たちは言葉が出ず、そのまま階段を駆け下りてアパートから飛び出しました。
ようやくアパート前の道路に出たところで、全員が膝に手をついて息を整えていると、馬場くんが、「あいつも混じってたあいつも混じってた」とうわ言のように繰り返しています。
その言葉の意味は、私にもわかりました。
先頭にいたのは、スーツの男だったんです。
「ここから離れよう」
「とりあえず逃げよう、財布もってる?」
「持ってる持ってる」
「よし、逃げよう」
そのまま振り返らずに逃げればよかったのですが。
なぜか。
アパートから少し離れたところで、皆が一斉に振り返り、2階を見上げました。
私は思わず、「うわ」と声を漏らしました。
ただ静かに見ている人たちの数が、倍くらいに増えていたんです。
馬場くんの部屋である三号室の前にも人がいて、微動だにせず四号室のドアを見ています。
そこからはもう振り返らず、街まで一目散に逃げました。
その光景を忘れたくて、皆で意識がなくなるくらい大量の酒を飲みました。
今、そこのアパートがどうなっているのか、私は知りません。
【編集部によるメモ】
体験者から伺った住所について調べると、そのアパートはすでに取り壊されていた。
重機が入るのも難しいような細い道なのにも関わらず、どうやら「馬場くん」の引越し後、即座に取り壊されたらしい。
そこは今、ベンチと申し訳程度の小さな砂場しかない、金網で囲まれた妙な名前の公園になっている。
自分の住んでいる近くに該当しそうな公園があったとしても、編集子としては近づかないことをお勧めする。
——————————————————-
この記事は、「猟奇ユニットFEAR飯による禍々しい話を語るツイキャス」、「忌魅恐NEO 第1夜」の怪談をリライトしたものです。原作は以下のリンク先をご参照ください。
忌魅恐NEO 第1夜
https://twitcasting.tv/magabanasi/movie/625554757
(2:05:27頃〜)
※本記事に関して、本リライトの著者は一切の二次創作著作者としての著作権を放棄します。従いましていかなる形態での三次利用の際も、当リライトの著者への連絡や記事へのリンクなどは必要ありません。この記事中の怪談の著作権の一切はツイキャス「禍話」ならびに語り手の「かぁなっき」様に帰属しておりますので、使用にあたっては必ず「禍話簡易まとめwiki」等でルールをご確認ください。