(忌魅恐)残暑の過ごし方【禍話リライト】
私は当時、関西のある大き目の地方都市に住んでいました。
その地域には、戦争中からあった建物を再利用して造られた学校があります。
私立の学校で、その敷地の奥のほうに、大きなプールがあるというのがその学校の売りになっていました。
その学校は私立の学校なのに警備体制が手薄で、夜間には常駐の警備員が一時間に一回、敷地内を巡回するくらいでしたので、地元のやんちゃな若者たちのなかでは、度胸試しの意味合いもあって、その学校に夜間に忍び込むのがちょっとしたブームになっていました。
その日も、がっつり泳ごうというよりも、侵入してプールに飛び込もうという程度の気楽さで、その学校に忍び込むという話になりました。
夏の思い出が欲しい、とかなんとか、そんな適当な理由だったと思います。
いつもはもっと大人数のこともあるのですが、その日はたまたまその場にいた4人でその学校に忍び込むことになりました。
行ってみると、ちょうど警備員が巡回しているのが見えたので、敷地の外から様子を見ていました。
ちょうど巡回が終わるタイミングだったのか、警備員はすぐに警備室に引っこんでしまいましたので、私たちはぐるりと外周を回って、裏側のフェンスを登って、プールに一直線に向かいました。
たどり着いてみると、プールには水がひたひたと張られていて、月明かりがそこにきらきらと反射しています。
独特の塩素のにおいも、漂っていました。
皆、プールだプールだ、とはしゃいでいます。
とはいえ、考えなしに飛び込んでしまえば、大きな音もしますし、服もびしょびしょになってしまいます。
だからと言って服を脱いでから飛び込んでしまっては、万が一の時に逃げられません。
どうしようか、と相談していると、後藤という友人が、「やべやべ、ばれたかも」と慌てた声を出しました。
「警備員、警備員だって」
後藤は慌てた声でそう繰り返します。
ただ、それはおかしいんです。
先ほども言ったように、この学校は一時間に一回しか警備員の巡回はありません。
警備員が警備室に引っこんだのを見たのは、わずか10分前の話です。
にもかかわらず、後藤は興奮して主張します。
「今、校舎の中に人いたよ?!」
「いや、いないでしょ」
私たちは、懐中電灯で校舎を照らしてみました。
しかし、当然のことながら校舎内に人影はありません。
「ほら、いないよ、いない」
「だいたいもし学校の人がいたら、今頃『何してんだ~!』って走ってきてるじゃん」
そこまで言うと、後藤もようやく納得したようで、「ああ、そうか」と頷きます。
「考えてみれば、校舎は真っ暗なのに、中にいる人間も明かりをもってないとおかしいよなぁ」
「そうだよ、真っ暗な中にぽつんと人が立ってるわけないだろ」
「うんうん。警備員のことばっかり考えてるから見間違えたんだな」
しばらくそんなことを話したあと、ようやく落ち着いてきたので、そろそろプールに入ろうという話になりました。
「じゃあ入るか」と誰かが言うと、別の友人が「でも、準備運動は流石にしたほうがいいんじゃない?」と言い出しました。
それもそうだな、ということになり、ふざけて体操みたいなことをだらだらしながら、ゲラゲラ笑いあっていたりしたら、少し時間が経ちすぎていたようです。
建物の影から、チラチラと懐中電灯の明かりが漏れてきました。
どうやら、警備員の巡回の時間になってしまったようでした。
私たちは突然のことに、「ずいぶん早くないか」、「でもこっちに警備員来るぞ」などと混乱して言い合うだけでした。
とにかく警備員から隠れなければならないというのは意見の一致するところではあったのですが、ただ、プールから外に出てしまうのも目立ってしまいそうです。
相談した結果、ロッカー室には来ないだろうということで、たまたま鍵の開いていた窓から侵入して、ロッカー室の奥に隠れました。
私たちにとっては幸いなことに、警備員は来ませんでした。
警備員の足音と懐中電灯の光が遠ざかっていったところで、私たちはようやく安堵のため息を漏らしました。
「よかったよかった」
「一時間に一回じゃなくて、30分に一回巡回してるじゃん」
「俺らみたいなバカがいるからだろ」
「そうか!」
声を押し殺して笑いあいながら、警備員が警備室に引っこむのを待ちます。
建物の影から、警備員の懐中電灯の光が警備室に吸い込まれていくのを確認すると、リーダー格の友人が「じゃあ、息苦しかったけど泳ごう」と言いましたので、皆でぞろぞろとプールサイドに向かいました。
ところが、です。
「え、まじで」
みんな、ぽかんとしたまま固まってしまいました。
プールに水が入っていないのです。
先ほどまでは、月を反射しながら風に細やかに波打つ水面が、確かに見えていたはずなのに。
プールは深く、黒々とした大きな口を開けているだけで、そこに一切水はありませんでした。
後々、警察から聞いた話ですが、夏休みにプールを開放していない学校だったので、夏季休業期間中は、一切水を抜いていたのだそうです。
だから、水が入っていたはずがない、そう警察官には言われました。
でも、最初は入っていたんです。
だから私たちは、驚きのあまりぽかんと硬直してしまったんです。
水が抜かれたのならば、音もしなかった理由がわかりません。
かすかに見えるプールの底もすっかり乾いているように見えました。
「どういうこと?」
「おかしいな……」
私たちのグループは、確かにやんちゃなグループではありましたが、当日に限っては酒も薬もやっていませんでした。
目の前の光景が信じられず、足元がグラグラと揺れているような感覚に襲われます。
誰言うともなく、私たちは一団となって、後ずさってフェンスのほうに向かっていました。
怖かったんです。
もう、プールどころではありません。
いや、そもそも水がないのでプールも何もないのですが、それどころではなく、恐怖で全身が満たされているような、そんな感覚だったのです。
おそらくは、1人を除いて。
フェンスの金網を掴んだときに、私はふと、メンバーが欠けていることに気づきました。
プールの飛び込み台のところに、人影が見えました。
月明かりに浮かび上がるその人物は、後藤でした。
「帰るぞ!」
私が声を殺しつつそう叫ぶと、後藤はこちらに向かって「飛び込むんだろ?」と言い返してきます。
逆光で表情は見えませんが、月明かりの下、後藤は笑っているんじゃないか、と、なぜかそんなことを私は思いました。
「何言ってんだ、水なんかないだろ……」
誰かがそう声をかけている、その最中に、飛び込み台の人影は、頭からポーンとプールに飛び込みました。
深いプールだったので、視界から後藤が消えて、少し間をおいてから。
熟れたトマトを壁にたたきつけたような嫌な音が、私たちの耳に届きました。
「え?!」
「い!!」
誰もその場を動けません。
とんでもないことが起こっているのですが、何よりも今自分が見たものが現実であるということを否定したいという気持ちが、私たちをその場に縛り付けていました。
「……おい」
「大丈夫か?」
「お前、骨折ってんじゃないの?」
返事は全くありません。
恐る恐る三人でプールに近づくと、プールの底に横たわる人影が見えました。
月明かりにぼんやりと浮かび上がるその人影は、首が曲がってはいけない角度で曲がっています。
人影はピクリとも動きません。
どう見ても亡くなっていました。
血も流れているようで、じわじわと乾ききっていたプールの底に広がっていきます。
こうなってしまっては、完全なパニック状態です。
どうしていいかわからなかった私たちは、一も二もなく、全員で警備員室に駆け込みました。
もう、怒られようが何をしようが関係ない。
全部言うしかない。
そう思ってのことでした。
ところが、そこでおかしな事態に遭遇してしまいます。
警備員室のドアには札がかかっていて、警備員が今不在にしていることを知らせています。
「さっきいたよね?」
「え?!なんで?」
警備室のドアが開けば、明かりが漏れるのでプールからでも見えます。
あれだけのことがありましたので、ひょっとすると見落としているのかとも思いましたが、そうだとすれば私たちの騒ぎに気づいてもよさそうなものです。
とはいえ、いないものは仕方ありません。
警備員室の前で待つしかない、ということで待っていると、しばらくしてコンビニ袋を提げた警備員が戻ってきました。
驚くと同時に怒鳴りつけてきた警備員に平謝りして、友人がプールに飛び込んでしまった、と伝えます。
水が張っていないプールなので、ひょっとすると友人は死んでしまったかもしれない。
そう伝えると警備員は驚いてプールまで走り出します。
私たちも後を追って走り出しました。
プールにつくと、懐中電灯でプールの中を確認した警備員が絶叫しました。
ただそれは、死体を発見したこととは少し異なる、驚きのニュアンスが含まれた絶叫でした。
「なんだ?!おい、これ、どういうことだ?!!どういうことだ!!」
慌てた様子で警備員がこちらに尋ねてきます。
私たちは神妙に警備員に答えます。
「……死んでますよね?」
「全部ぼくらが悪いんで」
「お巡りさんにはぼくらから話します」
すると警備員は「それはいいけど」と私たちの話を遮りました。
そして、なお慌てた口調で続けます。
「お前ら、お前ら、死んでるよな?こいつ、確実に死んでるよな?」
「はい、わかります。素人だけど、わかります。そいつ、死んでますよ」
「だから警察に……」
「それはわかるけど、おかしい、おかしいって!!」
どうやら警備員は、人が亡くなっていることに驚いているだけでなく、それ以上のことに驚いているようだ。
その場から動けなくなってしまっていて、「おかしいおかしい」と繰り返している。
流石にその警備員の様子に疑問をもった私は、「どうしたんですか?」と尋ねました。
警備員は真っ青な顔をして、こちらを向きました。
「お前ら、友達触ったのか?おっこった友達触ったのか?」
「そんなわけないでしょ、そのままできましたよ」
そう答えはしましたが、質問の意図が測りかねたので、私たちはプールサイドに近づいていきました。
見たくはなかったのですが、警備員の懐中電灯の光の先に、目を向けます。
「それ」をみた私たちは、膝から崩れ落ちました。
後藤は、プールの底に落っこちて死んでいます。
血だまりもできていました。
しかし、先ほどと明らかに場所が違ったのです。
血だまりから、遺体が5メートルくらい前に動いていました。
それはまるで、力の強い何かに引きずられたかのようでした。
その光景のインパクトが忘れがたく、それ以降の記憶はあいまいです。
もちろん警察も呼び、現場検証も行われ、後藤の死体は検死もなされました。
警察官からはきつくお灸をすえられましたが、後藤の件は事故として処理されたので、私たちは不法侵入をとがめられただけで放免されました。
後に警察官から聞いたところ、後藤は即死だったようです。
そのため、反射などで動くことはあっても、5メートルも前に進むことなんてありえない、と言われました。
遺体の状況は保たれたまま、誰かが足側から前に押したように、死体は引きずられていたそうです。
そんな事故がありましたので、その高校のプールは使えなくなったそうです。
私たちの浅はかな行動で、多くの人に迷惑をかけて、尊い命を失わせてしまいました。
悔やんでも悔やみきれません。
【編集者によるメモ】
この話の中には、謎のままに残されているものがいくつかある。
まず、亡くなった「後藤」氏が最初に見た、校舎の中にいたという「誰か」である。
彼が他の友人たちと違った点と言えば、話しの中ではそれだけなので、その「誰か」の存在が彼の死と関係しているのかもしれない。
もう一つ。
プールに飛び込む直前に見回りに来た「誰か」である。
その学校には、生きている警備員とは別の、もう一人の警備員も常駐しているのだろうか。
体験者も述べているように、その学校は戦時中に、軍の関連施設として使われていた建物を一部再利用している。
そうしたこともあって、その学校には戦時中の幽霊が出るという噂が流れているそうだ。
また、この事件は、学校としては無関係な侵入者の事故死ではあるのだが、プールは閉鎖され、埋め立てられた後も跡地は再利用されていないようだ。
学校自体にも、十分な敷地があるにもかかわらず、いまだにプールがない状況が続いているという。
今でもプールの時だけ、隣接している系列の別の学校のプールを借りているそうだが、なぜそうしているのか、その理由は生徒には説明されていないらしい。
もしあなたの周りに、思い当たる学校があるのであれば、ひょっとしたらそこが、理解できないような、不幸な事故の起きた学校なのかもしれない。
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この記事は、「猟奇ユニットFEAR飯による禍々しい話を語るツイキャス」、「忌魅恐NEO 第1夜」の怪談をリライトしたものです。原作は以下のリンク先をご参照ください。
忌魅恐NEO 第1夜
https://twitcasting.tv/magabanasi/movie/625554757
(1:07:54頃〜)
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