ひでのりとはどういった人間か3

みなさん、ごきげんよう。
前回、前々回に引き続き私ひでのりの自己開示をすることで私や一九余一に興味を持ってもらえれば幸いだ。

さて、今回は社会人以後の話を書いていきたいと思う。

社会人 新卒

技術系総合職で入社し、配属が神戸の事業所となった私は人生で初めて関西に住むこととなった。

何の巡り合わせか、神戸はずっと住みたかった地域だったので本当に神戸配属にしてくれた人事部の面々にはいまだに感謝している。(大学も神戸に住むためだけに神戸にキャンパスがある大学を受けているが諸事情あって断念していた。)

ただ新卒の会社での仕事の思い出はやらかしたことばかりなのでここでは神戸でのプライベートの生活を書きたい。(仕事の話は気になる方は是非店で気軽に聞いてほしい。)

神戸では本当に素晴らしく楽しい日常生活を送っていた。
仕事柄夜勤もあったが、大体片道15分くらいの距離を構わずタクシーを拾って遊んでいたのがその証拠だと思う。

先述の秋葉原のサブカルバーでの経験を元に、神戸でもサブカルバーに遊びに行っていた。

初めて行った神戸のサブカルバーは同世代の人間が多く、また自分自身も就職して一定の収入ができたことからより多くの時間とお金を使った。

特に、今でも仲の良い新卒の常連客を初め素晴らしい仲間がいたことと、素敵なお店のスタッフがいたことは本当に幸運だったと思う。
またしても良いお店を引き当てたと思った。

馬鹿騒ぎをして楽しい時間を過ごすのはもちろんのこと、諸先輩方から人生のアドバイスを頂く機会が増えたのもこの頃だと思う。

秋葉原のお店ももちろん楽しかったが、自分自身のステータスが大学生から社会人へと変わり、ある種大人の仲間入りが出来たことで楽しさの幅が広がったのだと思う。
ちなみ仕事のストレスをお金で解消する時期だったので月1から2で秋葉原には遊びに行っていたため、実感があった。

神戸のサブカルバーでよく通ったお店はいくつかあり、そのどれもが違った角度から、自分自身に様々な思い出と人生における指針をくれた。
後々書くが、行ったサブカルバーのオーナー各人には東京神戸関わらずお店の立ち上げで大変お世話になる。

社会人 転職1

神戸での衣食住があまりにも自分に合っていたため、全く合っていなかった新卒の会社を辞め、神戸から通える場所にある会社に転職した。

新卒の会社は大手の食品メーカーで、本当は商品開発や商品企画をしたかった。
しかし、当時いた生産技術の現場から本社へのキャリアパスを描くのが難しく、断念をした。

商品開発や商品企画は花形の部署で、行きたい人間は山のようにいた。
そして工場現場から異動してその人間を押し退けてやっていくだけの実力もなく、気概も出なかった。

どうしても興味の持てない坦々とした作業をこなしながら、実績を積んでいくその道のりが当時の自分にはあまりに長かったのだ。

同期や後輩先輩上長は素敵な方々だったし、ネームバリューのある会社だったので辞めるときは寂しい気持ちもあったが、今となってはこのとき転職をして良かったと思っている。

転職先では飲食店向け新規広告営業に取り組んだ。
これは前の職場で、商品開発や商品企画に携わる方々のキャリアが営業職スタートが多かったことと、自分自身の性格的に営業が向いていると考えたからだ。
そして、営業をするならルート営業をするよりも新規営業をする方が当時の自分には合っていると感じたためだ。

仕事は中々大変な月間目標で、達成することは難しい月の方が圧倒的に多かった。
しかしこの時の、新規顧客開拓の経験は今のお店作りにおいて大変役立っている。
特に初見の方との関係構築やクロージングに向けての話し方、やる気と根気の持ち方はこの時に培われた。

何はともあれ1年と少し、時には社内MVPを獲ったり、成績に波が有り過ぎて査定が降級したりと色々あったが唐突に営業生活は終わりを告げる。
東京本社へと異動となったのだ。

元々前の職場が大企業、転職先が中小企業の規模感だったため、必然的に社長との距離感がとても近づいた。

毎月の支社の業績発表に社長が来ていたため、せっかくだから社長は日々どのようなことを考えながら生活をしているのか、気になったことを片っ端から聞くようにしていた。

そのようなことから一社員でしかない自分のことを気にかけてくれるようになり、ちょうど私が降級したタイミングに、より社長の近くで働くことで私自身が仕事に対して自信を持てるように成長させて頂ける機会をわざわざ作って下さったのだ。自分自身、営業職に携わって一番学びを実践できたのはこの時だったような気がする。

そして一旦神戸での出会いを心から惜しみつつ後にし、東京へと移動する。

次回、東京編。


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