終戦記念日に
生きる、と、死ぬ、を考える。
私が小学校低学年の頃「おじいちゃん、おばあちゃんに戦争の話を聞いて、戦争について考えて、発表しましょう」という授業があった。
父方の祖父に聞いたが、話してくれなかった。
父から聞いた話だと、祖父は「南方」に行ったらしい。
南方。
東南アジアとか、ビルマ(ミャンマー)とか。
楽な戦地なんてないとは思うけど、南方もそうとう悲惨だったというのは想像に難くない。
祖父がいた隊で生き残ったのは、祖父だけだった。
祖父の太ももと背中には抉れた傷痕があって、それは戦争による傷だったと父は言っていた。
戦争の話をしてくれない祖父に、小学校低学年の私は「なんで?」と思ったけど、その時に何があったか、話さない、話せないというのは、年を重ねるごとに少しずつ理解するようになった。
生きている祖父に会った最後は88歳のお祝いで親戚が集まった時だろうか。
お約束のごとく、妹と私の名前を逆に呼んでいたが、当然のごとく、妹も私も呼ばれた通りに返事をした。
戦争で生き残った祖父は、もういない。
「生きたい」
「死にたくない」
私にはそんな生死に関わるようなことは起こっていない。
旧友が手術をした。
今もまだ入院している。
かなりの大手術で、手術中に危険な状態になって、術後は酸素マスクをしても息が苦しくて、あまりにも痛くて辛くて数日間は死ぬことしか考えてなかったけど、今はマシになったから大丈夫、とLINEが送られてきた。
なんと返信すればいいのか考えて「生きててよかった。お疲れ様でした。痛くて苦しくて死にたい時期を超えられてよかった」と送った。
平和であること。
健康であること。
当たり前だと思っていることは、当たり前ではなくなった時に、その大切さに気が付く。
今日の幸せに感謝して。
美味しいものを、美味しいと思って食べられる。
私は今、生きている。
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