中田敦彦が松本人志さんに噛み付いて話題になっています。
僕は松本人志さんが好きなので、
噛み付いたというそれだけで中田氏に嫌悪感を持ったのですが、
まあ500万人という圧倒的な武力を持って、
いよいよ織田信長に挑む天下の大いくさを仕掛けたのはまあわかります。
中身の、審査員云々については、共感できないものの、
まあそういう意見もあるんだなくらいに思いました。
ただ、その中で一点気になること…
明らかに間違っているということ・事実誤認がありました。
中田氏の
「中田面白くねえっていうのは、ドストエフスキー面白くねえんだよねって
言うのと同じ」
という発言です。
これは、松本人志さん批判の文脈で出てくるのは完全に間違っていて、
なぜなら松本人志さんこそが、ドストエフスキーのような作品を作ってきた人だからです。
そもそもドストエフスキーとは誰でしょうか。
フョードル・ドストエフスキー。
1821年〜1881年 ロシアの小説家。
モスクワのマリインスキー貧民救済病院の官舎で生まれ、
医師の息子として裕福な暮らしをした。
『旧約聖書』や『新約聖書』、またシラーの『群盗』などに感銘を受けた。
1837年に母が死去。
さらに1839年、病院の院長であった父のミハイルが農民に恨みを買い、
惨殺されてしまう。
1846年『貧しき人々』でデビュー。
批評家のヴィッサリオン・ベリンスキーに「第二のゴーゴリ」と激賞され、華々しいデビューを果たす。
世間から侮蔑の目で見られている小心で善良な小役人マカール・ジェーヴシキンと、薄幸の乙女ワーレンカの不幸な恋の物語。
往復書簡という体裁を取っている。
往復書簡。
松本さんにもこういう作品がある。
「作文」。あくまでも、松本さんが書く作文の世界。
設定から始まるコントではなく、
作文の中の世界で淡々と読まれることにより、
さらにシュールになっている。
しかも、期せずしてシングルマザーの貧困問題に立ち入っている。
まさにドストエフスキーだ。
▼ちなみに中田敦彦氏のネタ▼
ドストエフスキーに戻ります。
ミハイル・ペトラシェフスキーが主宰する社会主義サークルのサークル員となったため、1849年に官憲に逮捕された。
『白痴』などで、死刑直前の囚人の気持ちが語られるなど、この事件は以後の作風に多大な影響を与えた。
死刑直前の囚人の気持ち…
松本さんも受刑者のネタをやっていました。
牢獄の中での漫才勧誘という設定が
天才的でありドストエフスキー的であるが、
「終身刑」の老い先短い老人が、
目を輝かせて出獄後のスターを夢見るのもドストエフスキーだ。
全盛期の松本氏と今田氏のまさに「間とタイミング」も
他の追随を許さない要因になっている。
▼ちなみに中田敦彦氏のネタ▼
ドストエフスキーに戻る。
期終了後、セミパラチンスクにおいて兵士として軍隊で勤務した後、1858年にペテルブルクに帰還。
この間に理想主義者的な社会主義者からキリスト教的人道主義者へと思想的変化があった。
そして1866年、歴史に残る作品を創る。それが、『罪と罰』だ。
貧しさを描いた作品は松本人志さんのまさに得意分野だが、
最高傑作はやはりこれだろう。
トカゲのおっさんは、
貧しく独りでトカゲのおっさんとして生きていくことに誇りを持ちながらも、
「ちゃんとした生活」へのラストチャンスを夢見ていた。
松本人志氏の「ドストエフスキーのような作品」の最高傑作。