きょうだいの不思議
先週の出張中は妹の家にお世話になってまして。
妹とは小さい頃からとりわけ仲が良いわけでも
悪いわけでもなく、私が大学生になる頃には
私自身があまり家に寄りつかなくなったり
社会人になったらなったで私は実家を出て
転勤族をしていたのもあってお互い生きている
くらいにしか認識していない存在でありました。
それが私が東京に戻ってきた数年は
お店まで施術を受けにきてくれたりと
なんだか近づいた関係となり。
ここ最近が一番近いところにいるような気がする。
いつもなら出張はホテル生活を考えるのに
経済的な理由もあったとはいえ、まさか妹宅へ
泊まらせてもらうという選択とお願いを自分がするとは。
お互い仕事のサイクルもちがうので
朝は妹の出社を寝床から見送り、私は夜間に帰宅する。
毎日帰ると小一時間くらい私の夕飯タイム(もはや夜食)と共に
とりとめのない会話をしてそれぞれのペースで
寝床につき、またポヤポヤした朝がやってくる。
なんとも感じたことのない不思議な時間。
まちがいなく自分ではない他人の気配は
そこに存在するのに緊張するような気をつかう
感覚もなく。アレ、図々しいだけ?笑
姉妹2人で暮らすってこういう感じなんだろうか?
人生が順番通りに進むのであれば
両親が先にこの世界を卒業して残され見送るのは
私たち2人の役目になるのだけど
そうなんだよな〜2人が残るんだよな〜って。
胎内記憶の一説には、
きょうだいというのはお空で約束という契約をして
きているらしく、先に生まれる方が
「目印残していくからそこ目指してきてね」って
下の子が生まれてきやすいように看板なのか何かを残していっているらしいです。
それが本当であれば、私たち姉妹もお空で約束を
してきた仲で、そして私がなんらか目印を残して
きたんだろうなと。
どんな人生を経験するためにお空で姉妹の契約を
してきたのでしょうね〜なんて。
妹は私とちがって頭が良くておカタイ仕事もして
いてしっかり者なのです。
一方姉の私も賢そうにしっかり者っぽく演出していた時代があったのですが
もう10年以上家元を離れてしまったのもあって
自由人を選択しているし、もはや姉らしい人生は
役割放棄をしているし。
家族の誰かがパッパラピーだとその代わりや役割を
担わないといけないと責任背負っちゃう人いるんです。
妹がそれになってないかお姉ちゃんは少し心配で、
もしそうならそんなん背負わなくていいよと
いいたいのです。何の役割も背負わなくていい。
役割を演じなくてもあなたの存在価値は
おびやかされないから心配しないで。
あなたが誰よりも誠実に真面目に一生懸命に
生きていることをみんな知ってるから、
どうぞ自分を自由に好きにガマン少なく過ごしてね。
そんなやさしい妹はこのパッパラピーなお姉ちゃん
を5日間もおうちに置いてくれた上に
週末には「ピザ買ってきたんだよー」なんて
私が帰るまで食べるのを待っていてくれたり
もーなにそれカワイイか!ありがとう!
一緒に食べると美味しいね!
そんなかわいくしっかり者の血の分け合った存在が私にはいるのです。
そんな風に大人になった今ようやく感じることが
できているきょうだいの不思議の話。