gochi

日々揉んだり綴ったりお話をきいたりする仕事をしている人です。 神戸大阪、ときどき東京にいます。 自分の話、人の話、旅の話と指が動くまま投稿中。 人間してるが故にちょっとちがう次元に行きがち。

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日々揉んだり綴ったりお話をきいたりする仕事をしている人です。 神戸大阪、ときどき東京にいます。 自分の話、人の話、旅の話と指が動くまま投稿中。 人間してるが故にちょっとちがう次元に行きがち。

最近の記事

きょうだいの不思議

先週の出張中は妹の家にお世話になってまして。 妹とは小さい頃からとりわけ仲が良いわけでも 悪いわけでもなく、私が大学生になる頃には 私自身があまり家に寄りつかなくなったり 社会人になったらなったで私は実家を出て 転勤族をしていたのもあってお互い生きている くらいにしか認識していない存在でありました。 それが私が東京に戻ってきた数年は お店まで施術を受けにきてくれたりと なんだか近づいた関係となり。 ここ最近が一番近いところにいるような気がする。 いつもなら出張はホテル生活

    • ちゃんと帰る場所になってた

      昨日も記していたのですが、全ての行程終えて 「はやくおうちに帰りたいー!」って思ったときに 自分は神戸を帰る場所としているくらいには 居心地良さを感じているのだなと新幹線の中で 思ってました。 というか、なんやかんやサイコーですよね 自分のお布団って。 むしろただ単にいま神戸に自分のお布団があるから なのであってこれがちがう土地に自分のお布団が あれば「帰る場所」になる訳であってつまりは 早くおうちに帰りたい=おうちのお布団に帰りたい 私の人生はお布団ありき? むしろ

      • まるで戦士の休息タイム

        1週間の関東出張を無事おえることができまして 昨夜遅くに神戸へ戻ってまいりました。 一夜明けて本日。 記憶がないほど眠り姫をしていた。 まだ眠い、まだ眠れる。 しばらくは出張のふりかえりをしながら 次の準備へ進むのでしょうが まずはまずはよくがんばってくれたこの身体! 最大限に褒めてあげながら細胞修復に 全力を注いであげたい。甘やかしてあげたい。 日々の睡眠時間も少なすぎた中で 1日1分1秒をとにかく集中していたのもあって 寝不足でも活動できていたけど悲鳴はきこえてた

        • 地球に生まれてよかった感

          とある出張の日の朝。 私いま地球にいるって思わされるような空でした。 なんだそりゃって?笑 この星でこの青と白を眺めていられる自分に感謝したり 初めて訪れた海で「この星に生まれてきてよかった」 なんて唐突に感じてしまったり キモチをむき出しにされながら 素直にさせられているどこまでも青い週末でした。

          すきま時間に過去の自分へ愛を込めて花束を

          出張中の久々Dean&Delucaでひととき作業。 (どのエリアにいっても安定のアングル) このお店がとても好きな時期がありまして、 まだ今の仕事がかけ出しだったときに ここのキウイジュースを気軽に飲める暮らしを 目指すんだー! って決意していた少し若かった恵比寿でのアタぃに いまエールとして声をかけてあげたい。 気軽じゃないけどMacBookかかえて作業するくらい には通っているよ。 飲んでいるのはラテチョイスが多くなってるよ。 もっといっちゃうと、 アナタ東京離れち

          すきま時間に過去の自分へ愛を込めて花束を

          また今日を未来へ連れていく

          あの頃の未来に僕らは立っているのかな とはよくいったもので、 移住してから初の東京出張5日間を 無事に終えることができました。 向かう前はいろいろ考えたり構想したり妄想したり 荷造りイヤだとかもう帰りたいとかいってたのに (帰りたいってむしろまだ向かってもいなかったし) 具の詰まった時間とはあっという間に溶けますね。 今回お会いできた方からそうでない方 場所を使わせてくださったボス方 本当にありがとうございました。 「次はいつ東京に?」なんてお声もいただいたり 嬉しかっ

          また今日を未来へ連れていく

          届けないと伝わらない

          セラピーのお仕事モードのときは お身体の声や形にしたいキモチみたいなものを お伝えすることを生業としているのですが 伝えるってなんだろうって常に感じます。 それと同じくらいに どうしたら伝わるだろう? どうしたらこの声を届けられるだろう? できるだけやさしさでくるむように ときにはユーモラスに笑えるように 本人へ還してあげられたらのキモチでおります。 プロとしての責任感、とはまたちがうのですが、 昔は気づいていてもおかしな人だと思われないよう 当たり障りなく黙っていた

          届けないと伝わらない

          液状化しても形はある

          「ざっくり」というコトバをきいて なんだか軽やかにきこえるのに身が詰まってそうで いい言葉かもな〜なんて感じた 気づけば毎日時計の針がてっぺん回っている 時間が液状化した日々を送っている今日の一節でした。 あと「気象庁カフェ」という言葉にも パワーを感じた。 ぜひ雪の日の日替わりランチなんかにみぞれ鍋を 提供していただきたい感。 今日も多分きっとざっくりしあわせ。

          液状化しても形はある

          あたたかさは正義だ

          東京到着したとともに想像超え、想定外のことが 勃発しておりました今回の出張タイム。 そんな日の終わりにいただいたしじみ汁に 今日も生かされていたと思い出すとある日のお話。 まあ、そうね。 自分の脳で想定できることばかりしていても おもしろみないものね、超えてきてなんぼ。 ハプニングはお試しってね。 なにがあったって乗り切れるし 焦っても状況が変わるわけでも無いこともあるし 淡々といまを過ごすのみ。 そこにある出来事をギフトに見立てて大切に、 ひとつひとつ、おひとりおひとり

          あたたかさは正義だ

          空港でのひとりごと

          荷を軽く、なんていいながら この荷には冬服やお土産だけじゃなく 私の叶えたい夢や願いをふんだんに大切に詰め混んできているのでした。 出張だってお時間を作ってくださる方々のおかげで 私は今から飛行機に乗れるのです。 ゆえにこの荷は軽いわけがないのです。 愛と勇気と夢と希望でそりゃパンパンなわけです。 この愛しい重さで朝から足も攣るわけです(アイタタ) 私が行きます、と決めて動いていると思いきや 実際はいつも連れてきてもらってます。 初めましての方から再開できる方まで、 お会

          空港でのひとりごと

          荷造りの憂鬱

          出張や旅行前の憂鬱といえば「準備」なのですが。 これをワクワクできる人間でありたい今世だった。 現実どーしても憂鬱が勝ってしまう。 なんなら出かける前の不安症や緊張感も出てきて すべてがイヤになるやつ。 ここでもお得意のひとり内戦勃発してる。 もう何十年闘っているんだ、なぜ自ら血を流そうとするんだ。 それなのに旅はやめられない、ドMか。 この内戦の原因は勝手に自分に課している 失敗したらどうしようとか責任意識の強さだったり するのですがそのお話はきっといずれまた。 とにかく

          荷造りの憂鬱

          花火があがる街

          外でドンドン鳴っていると思ったら そうでした今日は土曜日。 この街は季節によって頻度が変わるのですが ときどき土曜日に花火があがるのです。 イキだよね、ステキだよね。 花火の音ってドーンってズーンと胸やお腹にひびく感じしません? あれって魂の浄化作用があるからなんですって。 太鼓の音もそうだったりするとか。 だから涙が出そうになったりね。 そんなキモチがこみ上げてきたらラッキーチャンスだと私は思うのです。 ぜひ恥ずかしがらず、抵抗なさらず思いのままに 表現させてあげてくだ

          花火があがる街

          全部は憶えていられないけど

          思い出せないの怖い病とかいいながら 私も人間なので脳にもキャパシティがあるわけで そうなるとある程度忘れていかないと生きづらくて 困っちゃうじゃないですか? なんなら忘れたいことだけ「忘れるな」と言わんばかりに残っていたりするし。 2年前かな? 資格試験の勉強をしていたときに 歳を重ねてくるともう脳みそで覚えきれないんだなと感じたのです。それくらいこの身体で生きてきたのだなと。 もうどんなに興味ある分野でも 疲れちゃうし脳が抵抗してるのわかっちゃうの。 だからハートを使って

          全部は憶えていられないけど

          ポップコーンはキャラメル味派

          「あと1つだけあと1つだけ」を繰り返してなかなか手と口が止まらないポップコーンの罠にハマっておわった今日でした。 映画を観ていたわけでもないのに。 ひたすらみていたのはパソコンだったのに ポップコーンだけ進んで指が進まなかった。 しかもキャラメル味。そりゃ止まらんよな。 おまけにプレッツェル入り。なんてこった。 ふだんポップコーンを食べる人種じゃないのに 友人宅でもらったが故に食べちゃってたのよ。 そういえば映画を観る際にポップコーンを食べる 理由はこやつらには水分吸収能

          ポップコーンはキャラメル味派

          冬になってた

          さっきお外に出たら風ピューピューでビックリ。 木枯らし?海風?山風?これが六甲山の洗礼か? たまらず避難に入ったいつものお店。 「お久しぶりですね〜」なんてお声がけいただきながらありがたく暖をとらせてもらったのですが そうか、お久しぶりだったかと。 今月は毎月投函している原稿がない(ハズな)ので コチラにこもることも少なかったかもな〜と振り返る。 来週から出張だから戻ってきたらまた お久しぶりですね〜といわれそう。 なんとあたたかな世界だ。 というかお店がもうクリスマスに

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          思い出せるということ

          つづき、という訳ではないのですが むかし軽めの健忘症になったことがありまして 多分そのときの怖さとか信用できなさとかが 私のこの残しておきたい病を経ているんだろうなと 綴りながら思い出しました。 私たちはある程度忘れないと生きていけないし 生きづらくなる生き物だと思うので 必要ないことを忘れるのは正常で才能で いまを生きるにあたり過去を生きる必要はないわけですが 私はきっと「忘れること」じゃなくて 「思い出せないこと」が怖かったんだと思いました。 仕事に支障が出て自分がそ

          思い出せるということ