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思い出せるということ
つづき、という訳ではないのですが
むかし軽めの健忘症になったことがありまして
多分そのときの怖さとか信用できなさとかが
私のこの残しておきたい病を経ているんだろうなと
綴りながら思い出しました。
私たちはある程度忘れないと生きていけないし
生きづらくなる生き物だと思うので
必要ないことを忘れるのは正常で才能で
いまを生きるにあたり過去を生きる必要はないわけですが
私はきっと「忘れること」じゃなくて
「思い出せないこと」が怖かったんだと思いました。
仕事に支障が出て自分がそうであると気づいたとき
血の気が引いて私という存在をただただ疑うしかなった。
その時から「やったこと」を日記や手帳へしっかり書くようになった。
「やること」じゃなくて「やったこと」なのがおもしろいよね。
じゃないと同じことしちゃってたりしたから。
「思い出せない」ってこういうことなんだなって。
私のこれは副作用からの症状だったので
元凶を断てば日に日になくなっていったけども
半年くらいかかったかな。
いまだにカメラロールには私の記憶にない写真がある。
読んでいて他人事になる言葉たちがある。
でもまわりにはそれを教えてくれる人たちがいて、
共に過ごしてくれた人たちが憶えていてくれるから
その事実だけ私が思い出せればいいのかなと。
なんていう私はもう思い出せないけど
それでもそこに私は存在したらしいという
ある日のお話。