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分身ロボットカフェのパイロットに応募したきっかけ

分身ロボットカフェってなんだ?

あつぎごちゃまぜフェス運営スタッフのこやさんです。
先ずは自分がパイロットをしている、分身ロボットカフェについて。

※公式コーポレートサイトより引用

「分身ロボットカフェ DAWN 」は「人類の孤独の解消」を目指すオリィ研究所によるプロジェクトです。
身体が不自由であったり、外出困難なパイロット達が遠隔操作型の分身ロボット「OriHime」「OriHime-D」でカフェの接客を行う、新たなテレワークの可能性を模索する社会実験です。


そんな素敵なカフェ!でのアルバイトに応募し、パイロットとして参加させていただいています。
今回はそこに応募した経緯についてを、下記の流れで書きたいと思います。

・応援してもらえることの有難さが身に染みた闘病生活
・同じような病気や境遇の人は沢山いる事を知った
・実は支えて貰いたいのは闘病者本人だけじゃない
・障害者となった時に感じた出会いの先細り
・吉藤オリィさん:分身ロボットカフェへの応募
・OriHimeを通じた人と出会い


応援や励ましが身に染みた闘病生活

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▲お見舞いに来てくれた記念にと、撮り続けたチェキアルバム!

自分の病気がわかった時、精神的に本当に辛かった。
子供のことを考える度にしくしくと泣く日々。
腰椎の病理骨折により、ベッドから起き上がることを禁止された生活の制限も辛かった。

投薬治療もキツく、移植手術では吐き気やアナフィラキシーショックとの闘いだった。
そんな辛い治療なのに、結果をみたら期待する効果には届いていない…。
がっかりしながら採血データと天井を眺めた苦い思い出が残る。

そんな治療期間はとにかく家族と過ごしたくて、毎日来てもらった。
出来るだけ人と話がしたくて、来てくれそうな誰かに毎週末、声をかけた。


自分には、そんなワガママに付き合ってくれる家族や、来てくれる人達が居た。
親族や友人、会社の社長や同僚、仕事でお世話になっているお客さま。
皆の励ましの一つ一つが本当に有難く、それら多くの応援を貰えたからこそ、辛かった治療期間を乗り越えられての今がある。


そして本当に有難いことに、今の仕事は健常時から変わらず、ずっと同じ会社で働かせてもらえている。会社の社長は、入院中には何度も病室に来てくれていた。

社長はクリーンルームにも入ってきていたし、面会時間を過ぎた夜の病室で、振り返るといつの間にか室内のイスに座り、こっちを見つめていたこともあった。あれは本当に驚いて(恐ろしくて)声を上げた。


そんな社長が来る度に、自分に言ってくれていたことがある。
「小柳くんにはやってもらいたい事がたくさんあるからな。先ずは治せ」

この言葉がとても有難かった。


治療は誰の為か。
なんの為に辛い治療を受けるのか。
生き延びるために?家族のために?

ただ耐えるだけだとしたら、本当に辛い期間だったと思う。

そんな中で「会社があなたを待っているよ」と言ってもらえることが、本当に有り難かった。息の詰まる心を、楽にしてもらえる感覚があった。


将来の役割を言葉で頂けることで、その役割を実行できるようになるために、治療に耐えるだけでなく、仕事ができる状態まで回復しなければと、
役割の場所へ行く為に先ずは治すという、病気と闘う根拠のひとつに繋がっていた。


そんな社長とのやり取りを始め、自分は治療を通じて、これまでの出会いに本当に恵まれていた事を実感できた。
これまでの恵まれた出会いに気づき、その出会いに感謝し、感謝をその相手へ伝えられる今が、本当に有難いと感じている。


同じような病気や境遇の人は沢山いる事を知った

同じような境遇の方々で、同じように応援や、治療当時の具体的な工夫、家計のやりくりを必要とされる人はきっと多くいる。

また、がんになって知ったが、がんは言うほど珍しい病気ではなく、意外と身の回りにもたくさんいることを知った。実際、自分の入院治療の際にも入院先の病床が空かず、入院する時期の調整が必要だった。


障害に関しても珍しくはないことを知った。
自身がベッドから動いてはダメと言われた時は本当に驚いたが、そういう環境に入ってみると、当たり前のことだが、同じような状況の人が沢山いた。ひとつの病院だけでも相当な数の方々が、障害と共に生活をされていることを知った。

そんな中でも自分は、インターネットが割と得意な方である。情報やその信憑性も併せて調べることができる。

しかし、自分の多発性骨髄腫という病気は、お歳を召されている方の割合が多く、病気の事や患者会などのコミュニティ、想定される治療プランを既に試されている方の情報を探す方法など、それらを自分達の力では手に入れづらい方々がいることも知った。

そしてまた、そんな方々をサポートする周りの方も、普段の生活を維持しつつ、闘病者を支える状況が大変であることも知った。


実は支えて貰いたいのは闘病者本人だけじゃない

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自分自身、家族にはとても負担をかけた自覚がある。
入院中に歯を食いしばり過ぎたのか、歯の一本が縦に割れていた。
そんな自分のストレスの内的なものは歯へと流れていたが、ストレスの外向けのものを受け止めていたのは妻である。


病気の本人はいくらでも愚痴を吐けるし、たくさんの人から励まされる。
しかしそれを真横で支える人は、病気本人の治療に付き合いながら日々の愚痴を受け止め、励ましに来てくれる人を迎えて送り出し、お礼を伝えながら、闘病本人の看病や身の回りの世話をしつつ、その上で自分の生活がある。
その支える側が愚痴を吐ける相手は、かなり限定されることも知った。

つまり、応援を必要としているのは闘病本人だけではないという事を、自分や闘病仲間の生活から、間近で見てきた。


そんな方々の、力になれるような事をしたいと社長に話したことがあった。

「それは小柳くんにしかできないな」

社長は笑顔でそう言った。
それ以外の事はあまり話されなかった。


それに気づけている自分でなければ、真意を伝えることは難しい、ということか。

有難いことに、会話を通じて自分の役割にまた一つ気が付けた。


障害者となった時に感じた出会いの先細り

13か月も入院していると、人との出会い方がわからなくなった。
退院して在宅療養をしつつ、仕事は完全テレワークで始めさせてもらえた。
しかし、テレワークがまだ当たり前ではなかった数年前、仕事でやり取りできる相手は限られていた。


そんな生活での外出は、週末の買い物ドライブでの助手席か、月に2回の通院で病院へ行く程度。新しく人と出会う機会なんて無かった。

電車やバスに気軽に乗れない生活では、偶然同級生に会うことなんかは起こりえない。
出勤してのランチ、行きつけのお店や、その店員さんとばったりと他の場所で会うなんてこともない。

自宅療養、完全テレワークを通じて、「特定の人に対しての用事」が無ければ、人と会えないことに気がついた。

そんな生活に、人生の閉塞感、コミュニケーションの先細りを感じた。


吉藤オリィさん:分身ロボットカフェへの応募

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▲分身ロボットカフェ「寝たきりの先へ行く」
カフェ入口でポスターを見るオリィさんと、その隣のOriHime-Dを操作しているのはポスターに写る車椅子のマサさん

今の生活スタイルで出会いの手段を探す中、吉藤オリィさんを知り、分身ロボットカフェのパイロット募集を見つけた。

なんて面白い企画だろう、きっと障害に関心のある方々との繋がりができ、新しい人達との出会いもあり、なんとその上でお給料も貰えるなんて。
これは自分以外に適任などいるものか、と勇んで応募した記憶がある。


応募の結果、第一回目のカフェでは採用されなかった。
がっかりしたような気がするが、はっきりとは覚えていない。
というのも、応募したことで満足していた所もあり、「そのカフェが当たり前になるにはまだ遠いことだろうな」、「これはイベントのひとつなのだろう」と高を括っていたのかもしれない。
今思えばまったくもって失礼な話だ。落ちて当然だったと思う。


その11月に開催された第一回目のカフェの記事を、翌月の12月に読んだ。
そこに記載されていたパイロットの方が、自分とは比較にならない程、日常生活を制限されている方だった。また中には、カフェで働くことで人生で初めて仕事を通じての対価を得られる、そんな方もいた。

それを知った時に、率直に恥ずかしいと感じた。
カフェのコンセプトすら、理解が足りていなかった。

30半ばまで不便なく生きて、病気をきっかけに外出への制限で悩んでいる、それは案外とちっぽけなことだと気が付いた。

病気を通じて、本当に多くのことに気が付かされている。

そんなことを伝えていきたいという思いを乗せて、第二回目のカフェに応募し、現在はパイロットとして参加させていただけている。本当に有難い。


分身ロボットカフェとOriHimeから広がった皆さんと出会い

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分身ロボットカフェでは、色々な方々と出会い、お話をする機会をいただける。
カフェでの接客中は、話に夢中になってメインの業務(注文とりや配膳の為の移動)を忘れてしまうこともある。楽しすぎるから。

第四回の渋谷のカフェで、あつぎごちゃまぜフェス実行委員長の雨野千晴さん(雨ちゃん)にお茶を運んだ。少し会話をした後、突然雨ちゃんがFacebookでライブ配信を始めてびっくりしたが、とんでもなく面白い人に出会えたと感動した。

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たまたまそこで出会ったきっかけで、今は一緒にあつぎごちゃまぜフェス運営の機会をいただけている。
2020年8月のフェスでは、素敵なギャラリーでOriHimeによるソーシャルディスタンスな受付をし、遠隔の皆とオンラインでショーをやり、そこからのご縁で、放課後デイサービスや野外コンサートにもOriHimeで参加させて頂いた。フェスTシャツも生身用だけじゃなく、OriHime用にも作ってもらった。

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▲OriHimeから見たごちゃまぜ作品展会場


また別件では、車いすヒーローショーの神威龍牙さんのヒーローショーを、OriHimeで見学させていただく機会があり、ウキウキと楽しみにOriHimeにログインした当日、神威さんの「Youも出ちゃいなよ」(そうは言ってなかったかもしれません)の一言で、自分もショーに参加させていただいた。そのご縁から、神威さんのMVでドラムを叩くシーンにOriHimeで参加したり、何本かの動画に生身も含めて登場させていただいた。

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オリィさんのオンラインサロンでも、目まぐるしいほどの出会いの連続、その中で運営のお手伝いにも関わらせていただいている。

家族とは旅行やご朱印帳巡りにOriHimeで同行したり、OriHimeがお出かけするためのお洋服をインターネット経由で頂いたり、その方々との交流の機会をいただいたり。

分身ロボットカフェへの応募をきっかけに、出会いの裾はとてつもなく拡がっている。
今は人生の先細りは感じておらず、何かしらの役割や遊びに夢中になり過ぎて、妻を心配させてしまうことも多い。


そんな今の生活は、身体の行動制限を苦に感じることはほとんどない。
むしろ今のほうがより楽しく充実し、人生における幸せのピークを毎年更新することが出来ている。

引き続きの活動を通じて、応援など何かしらを必要とされている方々に、少しでも笑顔になれるきっかけを伝えていけたらと思う。

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分身ロボットカフェにも来てくれた社長。遠くにオリィさんを添えて。
(お顔写真をネットに載せてよいかと聞いたら、小柳の未来の為ならとOK頂きました!相変わらず優しい笑)

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この記事を書いた人

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小柳大輔 あつぎごちゃまぜフェス運営スタッフ
OriHimeパイロット システムエンジニア
1977年生まれ、千葉県在住。36歳で多発性骨髄腫を発症し、腰椎病理骨折→13カ月の入院生活を経て、現在は在宅療養中。完全テレワークでSEとして勤務。これまでの感謝とこれから触れ合う人々への応援を伝えるべく、分身ロボットOriHimeやオンラインツールを駆使してトークイベントや動画配信などなど、アクティブに活動している。2児の父。

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