あなたが噛んだ小指が痛い、どころではない話:細御寮(ほそごりょう)篇
「ごとう」と打つと「五島」が出てくるカオス後藤。本日より出張で五島に来ているので、今日は五島バージョンをお届け。
突然だが、あなたがもし
「今から岸田総理の元へ嫁げ」
と言われたら、どんなリアクションになるだろうか。
(いや、男子だし!という意見はさておき。さておけんが。笑)
我々現代社会のJAPANに生きる者は、やれ夫婦別姓だ、やれLGBTQだと自身のアイデンティティを主張できるわけだが、生まれてくる時代が違えば、自分の人生を自分でデザインすることなど発想すらできなかったのだということもまた歴史のお話。
今、後藤がいる五島は福江島にも、そうしたライフデザインを時の宰相にぶった斬られた女性がいた。
その名は、細御寮(ほそごりょう)。
細御寮の幼名は細子(ほそこ)。
細子は福江の大名・宇久氏の第19代当主・純尭(すみたか)と大津の市の間に生まれた姫君だった。
そしてその美しさは、九州一円の大小名において並びなき美女と称されるほどだったそう。今なら一夜で万越えのフォロワー獲得といったところだろうか。
細子姫と呼ばれていた彼女は16歳で宇久八郎兵衛(盛長)の元へ嫁ぎ、仲睦まじく過ごしていた。
しかし、美女というのはいつの時代も憂き目に遭うものなのかもしれない。
(少なくとも戦国から安土桃山時代においては)
ここで、九州は唐津に天下人が下ってくる。
そう。「猿」こと豊臣秀吉だ。
この唐津の名護屋城には時の戦国大名が勢ぞろいしたという歴史があり、構成資産的なものはほぼ何も残っていないのだけれど、想像しただけで胸が高鳴るスポット。
しかし一方、なぜ彼らが集まっていたのかというと、それは朝鮮出兵。
ゆえに名護屋美術館の学芸員のなかには「韓国の方に申し訳ない」という想いから、この歴史的コンテンツを観光要素として取り上げることをこころよく思っていない方もいらっしゃるそうで、いまだにひっそりと「知る人ぞ知る」状態。もったいない。そんなことを言い出したら日本のほとんどの土地を歩けんし住めんぞ、そもそも筥崎宮に掲げてある「敵国降伏」はいいんか?モンゴル人ならいいんか?とか言うとケンカになるのでここで書くに留めておこう。
さて、そんな朝鮮出兵で唐津に滞在していた豊臣秀吉の耳にも、残念ながら細子の美しさが伝わってしまい、出仕の命令が再三に渡り届くようになったという。
あな、おそろしや。
お前どんだけだよと思うが、そういう時代だったのだろう…。
ここでの後藤的イラつきポイントは、本妻で娶るならまだしも、出仕…軽い。
「出張先でワンナイトかまして気に入らなかったらリリースすっけどな」
という気分で呼んでおいて、その指示には絶大なる効力があるところが気に食わない。
せめて最後まで責任持つ覚悟で呼べよ。そういう問題でもないんだが。
というわけで、想像に難くないが、細子はたいそう悩んだそうだ。そらそうだ。
はっきり言って、秀吉とか知らんし。旦那命やし。
しかし、天下人の命令を拒むこともできない。自身の出自的にも、嫁ぎ先事情的にも、一人の女性としての気持ちなど誰も斟酌してはくれないし、それを望むことすら許されないのだ。後藤よ、見習いたまへ。知るか!
そして結局、五島家に処罰がくだらぬようにと泣く泣く、冗談抜きで本当に泣く泣く、細子は1594年、唐津へと向かうことを決意する。
あーやべー、どんな猿なんだろうかー。なんでそんな男と寝なきゃなんねーんだよー。
とは、細子は言っていないと思う。
そんなしょうもないことを言う女ではなかったようだ。
というのも。
そう、細子は夫へは貞節の証として、自分の小指と髪を切り落として差し出し、後任の若いおなごをあてがい、夫婦の縁を切って出発したというから驚きである。むしろ震える。
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