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【プロレスと私】 第2回 アステカイザーとアントニオ猪木(1976年)
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1976年10月7日からNET(現・テレビ朝日)で、円谷プロダクション制作による特撮番組『プロレスの星 アステカイザー』の放送がスタート(1977年3月31日放送終了)。原作はダイナミックプロの永井豪&石川賢。タイトルからもわかるようにプロレスを題材とした特撮ヒーローもので、実写作品でありながら一部にセルアニメを取り入れた異色作として知られている。戦闘シーンになると急にアニメになるので、子どもながらに違和感を覚えた。
『ワールドプロレスリング』を放送していたNETの子ども番組ということで、新日本プロレスが全面協力。第1話にアントニオ猪木が本人役で出演していて(非公式ながら)その映像をネットで観ることができる。当時、子ども向けの雑誌に猪木とアステカイザーが並んでいる写真も掲載されていた。
他にもジョージ高野、佐山聡、小林邦昭、木戸修、荒川真、藤原喜明、山本小鉄、レフェリーのミスター高橋、リングアナウンサーの倍賞鉄夫が出ていた。
もちろん、彼らが出演していたことを知ったのは大人になってから。5歳の私がそんなことを知るはずもなく、そもそも番組に出ていた猪木以外のレスラーを誰ひとり知らなかった。のちに初代タイガーマスクとして一世を風靡する佐山も、タイガーのライバルとして人気を博す小林も、当時はまだ一介の若手選手に過ぎなかったのだから。
「最終回までずっと観ていた」と言いきる自信はさすがにないが、アステカイザーは結構好きだった。母にソフビ人形を買ってもらったし、うろ覚えながら子門真人が歌う主題歌も口ずさむことができる。
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1976年が、アントニオ猪木にとっと非常に重要な年であることは、プロレスファンであればご存じのことだろう。
2月6日に、ミュンヘンオリンピック柔道金メダリストのウィリエム・ルスカと対戦(日本武道館)。バックドロップ3連発でルスカを仕留め、初の異種格闘技戦を白星で飾っている。
そして6月26日には、あのモハメド・アリ戦が実現(日本武道館)。プロボクシングの現役世界王者との世紀の一戦は、15ラウンド闘ってドロー。当時は「世紀の大凡戦」などと酷評されたが、現在では「総合格闘技の原点」として高い評価を得ている。
さらに、パキスタンでアクラム・ペールワン戦が行われたのも、この年の12月12日(カラチ・ナショナルスタジアム)。「”キラー猪木”といえばこの試合」という方も多いことだろう。
この時代にリアルタイムで熱狂していた猪木ファンを羨ましく思う。こちとら、アステカイザーに夢中だったのだから。
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第1回でも少し触れているが、アリ戦をテレビで観たことを覚えている。だが、あくまでも観ただけ。プロレスファンになるのはもう少しあとのことだし、ルールも理解していなかったので、興奮することも退屈することもなかった。
むしろ、試合の3日前(1976年6月23日)にNETの『水曜スペシャル』(1976年4月28日~1986年3月26日)で生中継された調印式のほうが印象に残っている。唯一認識していた外国レスラーのタイガー・ジェット・シンに比べると「アリという人は紳士だなぁ」と思っていた。
しかし、大人になってから改めて調印式を映像を観て、アリが大騒ぎしていたことを知るのである。
この調印式の印象が強かったことと、のちに異種格闘技戦がらみの特番も放送されたことから、幼いころの私は「猪木がときどき出る番組」として『水曜スペシャル』を認識してた。
世界各地の秘境で猛獣や未確認生物などを探し求める「川口浩探検隊」という同番組の看板シリーズが昭和世代の子どもたちの間で高い人気を誇っていたが、ほとんど観たことがない。
まれに飲み屋で『水曜スペシャル』の話題になることがあるが、脳裏に浮かんでくるのは、若き日の猪木とアリの姿である。
(つづく)
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