元客員起業家インタビュー:株式会社co-nect代表取締役・中山友貴さん
——まずはco-nectの事業内容を教えてください。
中山友貴さん:co-nectは、肩こりや腰痛などの不調改善から、日常生活をより快適にするための疲れにくいカラダ作りまでをサポートする「ボディメンテナンスサービス」を提供しています。カラダに関する課題に対して、「バディ」と呼ばれる専任のトレーナーがマンツーマンで改善を手助けするのが特徴です。
神楽坂の1号店に加え、2021年8月には2号店もオープン。さらにオンラインでも展開しています。加えて法人向けにも健康経営の実現に向けたオンラインのフィットネスサービスを提供しています。
——中山さんが事業を立ち上げる原点になった、社会への「違和感」のようなものがあれば教えてください。
私がこの事業を思いついた当時はITの活用が盛り上がっている時でした。テクノロジーが発達する裏側で、人間の身体や心が置いてきぼりになっているような感覚がありました。
その後友人のエンジニアが精神疾患を患ってしまったことをきっかけに、明確に違和感を持つようになったのです。
こうした状況を改善するために何ができるのか、海外の論文などを調べていたところ、その原因の1つが朝から晩までオフィスに閉じ込もって身体を動かさない働き方にあることがわかりました。
身体を動かす場所としてまず思いつくのはジムでしょう。しかし当時私が行ったジムだと筋骨隆々の方ばかりで、デスクワーカーが気軽には行きづらい環境です。だったらデスクワーカー向けのジムがあればいいのでは、と考えたのが現在のco-nectの前身である「身体を動かしながら働けるコワーキングスペース事業」でした。
——その後、コワーキングスペース事業から現在のボディメンテナンス事業へと大きくピボット(事業転換)したわけですね。
確かにガラッと変わったように見えますが、実は変わっていない部分もあります。
どちらのサービスも、運動以外を入り口(当初:コワーキングスペース、ピボット後:ストレッチやマッサージ)にしつつも、実際にサービスを体験すると運動不足を解消できるという仕掛け自体は同じなのです。
ですから、基盤であるコアバリューは変えず、市場だけを大きく変えたと言えます。
——なるほど。ピボットした当時からそのような意識はあったのでしょうか?
今振り返れば、「変わったのは市場だけ」と冷静に分析できますが、やはり当時はそこまで割り切った決断ができたわけではありませんでした。
もともと人の働き方に関する違和感に着目してスタートした事業だったので、ワークスペースという形態へのこだわりが強過ぎて、なかなかピボットができなかったのです。一方で、事業の赤字は膨らみ続け、資金的な制約から決断せざるを得ない状況でした。
ピボットを決断した後も、しばらくは「働き方に着目したかったのに何でボディメンテナンスをやっているんだっけ」「自分は何がしたかったんだろう」と自問を続けながらの日々でした。
——しかし結果的にはピボットが功を奏して現在に至るんですね。
そうですね。
事業を転換してから、目に見えて以前よりも多くのお客さんがサービスを利用してくれるようになりました。またその人たちの声やトレーナーとの会話を聞いていると、「自分のやりたかったことはこれだったんだ」と再確認できたのです。
本来であれば、事業の実証中は解決すべきイシュー(課題)や社会に届けたいバリューにこだわるべきです。しかし当時は、バリューの提供経路である市場にこだわっていたことで視野が狭まってしまっていました。ピボットをしたことで、あくまで市場は手段であり柔軟に最適なものを見出していけばいいのだと腑に落ちたのです。同時に自分のビジョンのさらに深いところに気づけたような気がします。
現在僕らはトレーナーのことを「バディ(相棒)」と呼んでいますが、結局は、働く人の近くにバディのような存在がいてくれる世界を作りたかったのです。人は、思っているよりも自分の心身の状態には気づけません。自分以上に自分の状態を把握し、共に最適なケアをしてくれるバディの存在が重要だと考えています。そのような存在でありたいという思いは、コワーキングスペース事業の頃から変わらない自分の根底にある思いだったということを、ピボットの経験とお客さんの声から気づかされました。
——そうだったのですね。GOBとのメンタリングを通じて、特に印象に残っているアドバイスなどありますか?
ビジネスのアドバイスをもらうとなると、戦術や施策レベルのものが一般的かと思います。もちろんそれも非常に大切な指摘ですが、GOBの場合はそれ以上に、私が思い描く世界を一緒に共有してくれて、その上でこの事業をどうしていきたいのかを常に問いかけてくれました。
co-nectが掲げているビジョンもメンタリングでのやり取りの中で徐々に言語化されていったものです。
問いを通じて私の思いを引き出してもらい、それを時には歴史的な文脈などから新たな解釈を加えてくれることで、徐々に自分の言葉にならなかった思いが整理されていきました。
こうして練り上げたビジョンが戦術や戦略に紐づいていきますし、メンバーの採用にもつながります。組織としての視座が整ってくるので、メンバーの推進力も上がっていくのです。
——メンタリング以外で、客員起業家制度を活用してよかったと感じるポイントはどこかありますか?
一番大きかったのは、“擬似的な事業の死”を経験させてもらえたことだと思います。一般的には「早めに失敗する」ことが重要と言われていますが、その表現では表せないほどの、絶望を伴う谷に落ち込むような経験です。このような経験が起業家にとっての圧倒的な成長を生み出すと思います。
事業創造の過程では、このままだと立ち行かないという厳しい瞬間を乗り越えてこそわかることがあります。ピボットの時もそうですが、このままだと事業が存続できないかもしれないという状況を目前にして、一気に学びが深まりましたし、爆発力が身につきました。
客員起業家制度では、そうした「事業の死」を、ある種のセーフティネットがある中で擬似的に体験できるのが非常に良い点だと思います。
——客員起業家制度は、起業家が金銭的なリスクを負わずに企業の中で事業立ち上げに集中できる仕組みです。いわば安全な状態だと言えますが、それでも“死”を実感できるものなのでしょうか。
はい。GOBが事業実証の資金を負担するから事業と真剣に向き合えなかったということはまったくありませんでした。むしろ、GOBを通じて社会から預かった実証資金を無駄にはできないというプレッシャーの方が大きかったです。事業の死をどれだけリアルに感じられるかは、金銭的なリスクを負っているかよりも、どれだけ事業と向き合ってきたかに比例すると思います。
事業を断念したら、今のお客さんも一緒に働いてきたメンバーも、自分が信じてきたものとそこに費やしてきた時間、情熱を、すべて失うことになる。そういう覚悟を背負うことで成長していけるのだと思います。
——なるほど。かなり苦しい時期もあった中で、中山さんの支えになったものは何だったのでしょうか?
ビジョンが明確だったからこそ、客員起業家という、いわば“安全地帯”のなかで芽が出ない時間も耐え忍ぶことができたのだと思います。
そのビジョンは、先ほど話した通りGOBとのメンタリングの中で培ったものです。
ビジョンの出発点は違和感から始まりますが、私の場合は決して大きなものである必要はなかったと思います。ショッキングな原体験とそこから生じる違和感は必ずしも事業に不可欠な要素ではなかったのです。私のように小さな違和感からでも、それを丁寧に磨いていけば強烈なビジョンになるとわかりました。大切なのは、どれだけビジョンを「明確にできるか」でした。
——さて、そうした変遷を経て2021年2月に法人化を果たしましたが、その際にはGOBから創業出資も受けていますね。設立後1年ほど経ちましたが、客員起業家時代と比べてGOBとの関係性は変わりましたか?
客員起業家を卒業したからといって関係性がなくなったわけではありません。3ヶ月に1回、私とGOBのボードメンバーで経営会議も開催しています。直近の未来を見据えた課題を持ち込んで議論をすることで、事業の未来に対する解像度を一緒に高めていく機会になっています。
それ以外でも、プライベートで月に1回程度ビデオ通話で現状を共有する時間をもらったり、ご飯に行ったりすることもあります。
創業前から一緒にやってきた仲間だからこそ、目指すビジョンへ向けた視線を合わせくれて、自分が進んでいる方向が間違っていないと再確認できます。やるべきことを1つずつクリアした先に喜んでくれる人がいるということも、自分のモチベーションになりますし、いつか恩返しをしたいと思っています。
——最後に、今後の展望を教えてください。
2025年までに50店舗まで拡大することを目指しています。直近では、2022年夏に3店舗目がオープンする予定です。
直営で50店舗を経営しようとすると、本社組織はだいたい30人くらいになる想定です。これくらいの規模感が、私たちが目指す組織体として理想的な規模だと考えています。人から人へ温かい想いを伝え続けられるヘルスケア企業になりたいと思っています。
もちろん同時に事業の拡大も視野にいれているので、直営の50店舗に加えてフランチャイズ展開も検討しているところです。
——中山さん、ありがとうございました。引き続き応援しています!