演台に隠れる夢を今でもみる。
体育館の壇上にある演台。校長先生が話す時に立っているあれだ。
教卓よりも大きくて立派で、小学生にとっては秘密基地のような隠れスポットであった。
体育館でのレクリエーション中や掃除の最中など、ちょっとサボりたい時間にそこの隠れる。
いつの間にか教員に覗き込まれ、怒られる。
そんなことが当たり前だった。
あれから何年経ったかわからないが、ふと夢を見た。
まだすっぽりと演台に収まるような身体の大きさに戻り、教員にみつからないかとはらはらする夢。
目が覚めると、夢を見るまで忘れていた感覚に内心焦る。
演台に隠れるなんて、小学校時代の思い出を誰かと語らってもなかなか出てこないニッチなものだ。
普通はそういう場で修学旅行や課外活動、ちょっとした問題児や癖の強い教師、好きだった給食の話題が出る。
けれど、それらは世間一般的な小学校の思い出というテンプレートに則って出てくるだけで、実は皆本当は演台でのかくれんぼのように、小さいならではの遊びをふと思い出し、戻りたいと潜在意識的に思うことがある気がする。
子供だけの狭く残酷な世界ではあった。けれど生活の事とか、責任も何もなくて給食の献立を眺めるだけで幸せだったあのころにたまには戻りたくなる。
大人になると常にそれらが付きまとって、どうにも心が休まらない。
今なら何となく学校に通う私に対して大人たちが、いいなぁといった意味がわかる。
当時は意味のわからなかったあっち側に、自分もなってしまったのだ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?