インターネットをやろうとする企業アカウントたちについて
ミームとは、文化的遺伝子のことである。生物は遺伝子によって自らの特徴を後世に残そうとするが、人間には言語やその他種々の表現によって自らの生きた証を残す能力がある。そこから転じて、インターネットミームとはソーシャルネットワークや動画サイトで伝播される「ネタ」のことを指し、ミームの本義とは多少ずれる感じもしなくはないが、複製され、時に改変され、掛け合わされながら世代を渡っていくという意味では確かな遺伝子的性質を持っている。
インターネット上の諸アカウント=人格がバズを狙う動機はどこにあるか。承認欲求というタームもそれ自体バズ・ワードしている感があるが、それは未来なき時代において自らのミーム=遺伝子を残そうとする、ある意味で絶望的な試みであるのかもしれない。
一方でバズを狙う功利的な明確な企業アカウントにとって、インターネットミームを活用することが堅めのマーケティング手法であることは想像に難くない。それにしばしば付随する著作権法上の問題や、炎上リスクさえ回避できれば、ネットミームに乗っかることは、とても手軽なプロモーションの手段であるとも思える。
マクドナルドの最新のWeb CMを見てみよう。
なかなかインターネットをやっているな、という感じだ。マクドナルドは、ドナルド・マクドナルドというデカめのネットミームの権利者である。が、なぜかそれをツイッター(現X)アカウントではあまり活用しようとしない。「ドナルドはチャリティ分野のマスコットとしての役割としているから」という理由があるらしいが、はっきり言って理由になっているとは思えない。単にピエロは今どきあまり一般ウケしないということなのかもしれない。他方、日本のネットカルチャーをオマージュした投稿もあるが、インターネットをやりすぎている人たちにはあまりハマっていない感がある。表面的なのである。
しかし、上記の投稿はきちんとコンテクストを押さえていて、往年のドナルドCM…というより、ドナルドを扱うMADムービーを彷彿とさせる演出に加え、往年の電波ソングシンガーを起用するなど、これまでの投稿とは一線を画す芯を喰ったインターネットぶりである。
ここまで「インターネットをやっている」とか「芯をくったインターネットぶり」とか意味不明なことを言っているが、これは全く客観的な基準のあることではない。平成時代の日本で少年期を過ごした我々というか我々の一部にとり、上のリファレンス動画が示すように、インターネットとはおもしろフラッシュ倉庫でありニコニコ動画だったという、それだけのことである。
ニコニコ動画とはインターネットの極北。Youtubeが大海であるとすれば、それはまさしく沼。ガラパゴス。蠱毒の壺。例のアレ。ゲイポルノや宗教ビデオの二次創作が流行するなど、イカれた悪徳もあるが、言わずもがなボーカロイドという文化圏を生み出したし、このサイトがなければ生まれなかった才能も多いだろう。Youtubeで配信が隆盛する前に、ニコニコ生放送は賑わっていた。これは私の主観でしかないが、2017年の暮れ頃に突如としてバーチャルYoutuberブームが勃発し、またサブスク動画サービスが乱立するまでは、日本のサブカルチャーの軸足は明らかにニコニコ動画にあったし、ひょっとしたら今でもそうなのかもしれない。
と、軽くノスタルジーを語ったところで、マクドナルドと同日に投稿された日清のWeb CMを見てみよう。
インターネットをやりすぎている。一体、これに予算を割くにあたって決裁権者に対してどんな説明をしてるんだよ、ということが流石に気になってくる。もとより、日清のCMはアヴァンギャルドでミーム性の高いものが多い。それにしてもこれは、オマージュとかコンテクストがどうとかそんなレベルの話ではなく、高い精度と予算でネットミームを繋ぎ合わせただけであり、ほぼ高級MADムービーだ。
大体において、ネタがニッチであるほど、刺さる層には刺さるが効果範囲は狭いというのが常識的な気がするし、マクドナルドのアニメーションの方が広い層に受けそうであるが、今のところ実際には、日清の投稿の方が倍ほどのインプレッションをとっている。そんなにみんなインターネットが好きなのか、地のミーム力の差なのか。
さて、特に結論はない。ただ、別に誰もインターネットをやること自体が目的じゃないし、インターネットをやっていればいるほど偉いというものでもない。そういうことだ。マクドナルドの今だけダブチCMも可愛いし、素晴らしいと思う。ドナルドの露出があまりないのは、多分マクドナルドの役員にピエロ恐怖症がいるからだろう。みんな、適度に楽しくインターネットをやっていこうな!
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