2.市場と韓国 | 시장과 한국
チャガルチ市場ーローカルな時間が流れる
「先週からぐっと寒くなりましたよ。暖かい格好で来て下さい。」
先に日本から釜山入りしていた韓国の知り合いがメッセージを送ってきた。彼は日本に留学中の学生だ。そして私の韓国語の先生でもある。
釜山、チャガルチ市場。
11月下旬に入った釜山は確かに寒く、いよいよ冬が到来するという感じだった。チャガルチ市場の近くに宿を取ってあったので、空港で合流した彼と共に、宿に荷物を置き、早速市場へ向かった。市場には6階建てぐらいの建物があって、1階には主に観光客向けと思われる生鮮品の市場があり、2階が食堂になっている。1階で好きな食材を買うと、2階で好みの調理をして出してくれるというシステムだ。建物の場外にはかなりの距離があると思われる野外の市場が続いている。
30年前、チャガルチ市場の2階でヒラメをチゲにして食べ、同行した先輩が「ごめん辛すぎて食べられない」と言って笑った記憶がかすかにある。そしてその時の市場はこんなに立派な建物ではなく、食堂の前からもっと海が近く見えたような気がする。
我々はサザエやアワビ、魚を少々買い、刺身にしてと告げて2階へ上がった。ビールに焼酎を頼み、夕方の中途半端な時間だったが新鮮な魚貝と焼酎を楽しんだ。隣のテーブルでは、中年の女性二人が食事をして酒を飲みながらなにやら相談事をしているように見えた。
一時期、観光客価格で随分値上がりしたらしいチャガルチ市場のこの食堂は、少し批判もあったらしくその後価格を再度見直し、落ち着いたようだ。夕方の市場食堂は、会社の仲間グループ、地元のアジョシグループ、若いカップル、お母さん達のグループなど多様で、観光地というよりは地元の行きつけの場所の雰囲気を伴った穏やかでローカルな時間が流れていた。
朝食、8000ウォン
チャガルチ市場は港に面する海鮮の市場なので、市場近くから見る港の風景も美しい。特に朝夕は。当たり前だが市場の朝は早い。市場で朝ご飯を食べるというものなかなかいいもので、それもあって今回のホテルも市場のすぐ近くにした。
小さな建物半地下階に食堂がある。注文の仕方も分からないので店のお母さんに「何か暖かい汁物ありますか?」と聞くと土鍋をひょいと持ち上げて、「テンジャン(チゲ)か?」と聞いてきた。ウンウンとうなずいて座ると、まずおかずの皿にご飯、キムチ、ノリ、ワカメスープが出てきた。早速それを頂いていると、次に目玉焼き、タチウオの焼いたのが出てきた。テンジャンはどうしたんだろうと思って食べていると、最後にドーンとテンジャンチゲが出てきた。
とても一人で食べきれる量でない。
食事はとても美味しかった。少しづつ食べていると、隣には市場の関係者と思われる4人組が来て同じものを食べ始めた。勢いよく食べて会計を済ませた彼らのテーブルには大量に残されたおかずの皿が残されている。そうか、残すのが前提なのか。
釜山の人は基本的に朝からよく食べる人が多いらしい。
なんとか目玉焼き、タチウオ2切れをやっつけ、デジクッパを飲み干そうとしていたら、目の前にオモニが笑顔で立っている。手にはフライ返しに乗せたタチウオを持って。「ごめん、もう食べられない」と笑顔で遠慮した。
早朝6時から満腹になり、会計をしようとした時に気がついた。柱に張り紙がある。
「朝食、8000ウォン」
十分にコスパのいい朝食だった。しかし朝から少し食べ過ぎた。
ところでチャガルチ市場には様々な魚種が並ぶが中でも大きくて光り輝くタチウオが目立つ。韓国語の先生曰く、二日酔いに効くというアサリを使った汁があるらしい。デジクッパもそうだが、韓国の汁物には二日酔いの効く類いのものが多いかもしれない。その証拠に、そういうタイプの汁物のことをヘジャンクッ(해장국:二日酔いの汁)というらしい。こういうお店が日本にも欲しいところだ。
『国際市場で逢いましょう』
釜山の国際市場はチャガルチから少し北に移動したところにある広大な路線型の市場だ。南北に延びる国際市場と東西でクロスする形で富平カントン市場がある。この2つの市場でこのあたり一体は市場ゾーンを形成しているという感じだ。この市場は、食品、調理器具、電化製品、寝具、工具、衣料などあらゆるジャンルの店が終結し、日本で言えば、アメ横と合羽橋、秋葉原を合わせたような店舗構成である。
ところで国際市場と言えば、韓国の映画に『国際市場で逢いましょう』(2014/CJエンタテイメント)という映画がある。国際市場は朝鮮戦争後に釜山に避難してきた人達によって形成された市場であるが、この映画でも当時の活気に満ちた風景を描いている。しかし、戦後まもなくの時代はまだまだ経済的には厳しく、韓国はベトナム戦争に30万人を超える軍人を送るほど困窮していた。主人公は戦後の混乱で娘と生き別れになるのだが、父が設けた店を継承すべくドイツ、ベトナムに長らく出稼ぎに行き、ついに家族との再会を果たすというストーリーとなっている。この映画は国内で歴代四位の動員客数を記録したのだが、このロケ地となった店が、映画での店と同じ名前で元気に営業しており、ちょっとした観光スポットになっている。
この市場はとにかく長く、歩いていると実に楽しい。ゾーン毎に商品のジャンルが明確に分かれており、辻ごとに案内がある。衣料品のゾーンで韓服の店を見つけた。韓服の色の多様さと鮮やかさは美しい。店番をしていたオモニに写真を撮っていいかと聞くと、どうぞどうぞ、その代わりうちの店を宣伝しおくれよと言われた。
韓国の市場は、商店街、繁華街を歩く楽しさを思い出させてくれる。遠くに見える高層マンション群と、この市場の対比も面白く、これこそ韓国らしい風景とも言えるだろう。
なぜ市場がこんなに多いのか
韓国の各都市の中心部には必ず市場があって今も健在だ。ちなみに韓国には日本の「商店街」にあたる言葉はない。日本の商店街は90年代以降からほぼ衰退の一途をたどり、今は飲食店か全国チェーンの店舗の集積地となってしまい、ローカリティはほぼ失われた。
ソウル市が発行する観光ガイドブックの中に「市場案内」というのがあった。そのガイドブックにはソウル中心部だけで30近くの市場とその特徴が記載されており、なかなか圧巻だった。ここにはメジャーな大規模市場である東大門市場や広蔵市場は入っていないのだから、ローカルな市場だけでもこんなにあるということになる。(ちなみにこの市場は各区から推薦のあったものを掲載しているので実際ははるかに多いということになる。1市場当たりの人口がどの程度なのかが気になるところだ)
ところで国際市場は釜山の港の近く、都心部に位置する。韓国の主要都市では建物の超高層化が進んでいるが、都市の中心部に位置する市場が再開発されることはなく、各地の市場は保全され、今でも元気に営業している。その理由は色々あるだろうが、家庭での日常の食事が作り置きしたおかず(パンチャン)とご飯、汁物を食べる自炊型であることと無関係ではないだろう。それに、市場内に数多く立地する屋台は、いわばファーストフードとして朝食、昼食と夜の一杯の場として機能し、日常の生活を支えている。やはり、チェーンの居酒屋や食堂で食べるのと、屋台で食べるのとでは意味が違うだろうと思うのである。
この市場と日常生活との密接性が、日本の商店街が歩んだ道との分かれ目だったのではないかと考えた。
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