3.仁川とキムさん | 인천과 김대포님
인천에서 연극인과 치킨을 먹다.
仁川で演劇人とチキンを食べる。
仁川。
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『文甲島に入る』 プロローグ
ソウルという大都市に生まれ、成人になるまで当たり前に思っていたスピードと競争の中、一瞬自分を解放してくれた旅だった。海は私にとって、自然に出会い、心を鎮める良い場所だった。(中略)
私は今仁川に住んでいる。50年を超える人生の中、ここが最も長く住む街となったのだ。
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ソウルに来るのは約30年ぶりだ。
30年前、正確には1995年だが、その当時まだ仁川国際空港はなく、金浦空港に降り立ったので仁川に来るのは初めてということになる。当時のソウルはまだ景福宮の前に朝鮮総督府の建物が鎮座しており、その風景に強い衝撃を受けたのを覚えている。そしてその建物は翌年96年に取り壊されたので、ある意味貴重な年に行ったとも言える。
仁川のキムさんに会うのは、2015年に東大で全国まちづくり会議を開催したとき以来だから9年ぶりになる。仁川は思ったより空港から遠くて、306番バスに乗って約45分ほど走り、指定のバス停に着いてからキムさんの友人に車で送迎してもらって10分ほど乗ったところでようやく目的地についたのだから、ちょっとした旅感を味わう行程になった。
「ここは仁川の旧市街地ですね。人口も減ってきて高齢化も進んでいます。商店街は空き店舗が多く、これから行くキムさんの事務所は、空き店舗の多い市場の一角にあります。」
送迎してくれたキムさんの友人は、実に丁寧に教えてくれた。彼はドキュメンタリーの作家で、近日Netflixで公開するドキュメンタリーを今準備中だという。いわゆるPDだ。
「人生はドラマだ」と書かれた名刺をキムさんにもらったのが9年前。彼は演劇集団の主宰者で、どういうわけかまちづくりにコミットしている。演劇人がなぜまちづくりなのか?それを聞きたくて仁川に行くことにしたのだ。
「まず何か食べますか?どうせ何も食べていないでしょ?」
昼の便で来た私を気遣って、いきなり食事に誘ってくれた。キムさんの細やかな気遣いに感謝する。歩いて30秒ほどでついたのは地元のクッパの店で、実に体に優しい、二日酔いの後に飲んだら最高だろうなと思うとても美味しいクッパが出てきた。焼酎、1本だけいきますか?やっぱりそうだよね。
仁川空港に南からアプローチすると、左手の窓側に座っていると分かると思うが、瀬戸内のような美しい島々が目に入る。キムさんはその中のムンガクド(文甲島)でこの10年まちづくりを実践し、島のコミュニティをおそらく大きく変えてしまった人なのだ。
演劇人がなぜまちづくりなのか?それが聞きたくて仁川まで来たのだが、結論から言うと、演劇人であるかどうかはあまり関係がなく、この島と海に惚れ込んでしまった、というのが理由なようだ。
工学的な視点と文学的な視点、というのが最近の私の中でのキーワードなのだが、キムさんは演劇人として、あるいは文化芸術に関わる者として、あるいは人間性としても文学的な視点で街をみている人のようだ。文甲島は過疎化の進む小さな島だ。彼は縁あって10年ほど島に通い、島の生活文化を緩やかな速度で、丁寧に変えていった。韓国人の好きな、パリパリ文化とは対極の手法で。
「文甲島に入る」とういう冊子を頂いた。この10年を彼が振り返った本だ。この本を外国人でもらったのは私が初めてらしい。実に名誉なことだ。
「今日はソウルまで行けばいんでしょ?チキンとビール、やりましょう」
やはり歩いて30秒の近くの店に行くと、彼はチキンハンマリとビールね、店のお母さんに言い、席についた。「ハンマリ」とはチキン一羽という意味で、仁川のチキンは1羽の鶏を切断してまるごと出すというスタイルだから、食べ進むと色々な部位があることに気がつく。最近のいわゆる、韓国チキンというスタイルとは違う。
創業約60年ほどというこのチキンのお店では、地元のおじさん達が和やかに談笑し、チキンを食べている。店の外でタバコを吸いに行ったら、同じくタバコを吸いに来たアジョシと目が合って、お互い生きづらい世の中になったものよの、と目で会話した。
仁川からソウルまで、各駅停車で揺られていると、想像よりもかなり遠くだということに気がついた。12時前にソウルのホテルに着くと、シマムラで売っているような横縞のポロシャツを着たアジョシが、無表情で迎えてくれた。
良い旅になりそうだ。