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「北匈奴の軌跡 草原の疾風」第二章(2)


 
 於除鞬の動きをよそに、北単于は、わずかな数の部下とともに北へ北へと落ちた。
 これまでの日々、 することなすこといすかはしの食い違いをみせた。 北単于は、 心底、 打ちのめされていた。
( 南単于は、してやったりと北叟ほくそ笑んでいるであろう。が、考えまい。すべては、わたしの統率の拙さが招いた結果だ。さて、われらはどうするか)
 北単于の小集団は、極寒の草原をあてどもなく彷徨さまよった。逃げ散った羊の群れを掻き寄せてはみたものの、数は知れている。飢えに悩まされた。
 北単于は、少しずつ態勢を立て直していったが、遅々たる歩みでしかない。希望は尽きかけた。そのころ、かなりの数の人馬を見た。蹴散らされて四方に吹き飛んだ仲間たちであった。
「おお、生きていたか」
 だれもが手を取り合って泣いた。
 北単于も泣いた。熱い涙が零れ出たとき、北単于は生きる気力を取り戻した。
( 毎朝、東方を拝むのがわれらの習わしだ。いまも、は東から何事もなかったかのように昇る。太陽は健在なのだ)
 北単于は、自分たちの暮らしを思い返す。
 遊牧の民は、定住の地をもたない。町を造らなければ、城郭も造らない。水と草を求めて、草原を渡り歩く。それだけで食べていける。耕すすべを知らずとも、家畜をほふることで空腹を満たすことができた。
 羊は、遊牧の民の貴重な食料源である。肉のほか、乳と毛と毛皮を提供してくれる。水と草さえあれば、馬、牛、羊などの家畜は勝手に繁殖してゆく。それゆえ、遊牧の民は、外敵からおのれの家畜を守ることに専念すれば、生きていけた。
 乗馬はお手の物。これに弓矢の術が加わる。遊牧民の男とは、幼少から鍛え上げられた騎馬戦士と言える。負けるはずのない戦闘に負けたのは、敵が自分たちの戦法を学んだからに相違ない。
「何事にも始まりがあり、終わりがあるのだ」
 北単于は独り言ちた。
 本来ならば、単于のもとに左賢王がおり、左谷蠡王、右賢王および右谷蠡王がいなければならない。それが匈奴の序列である。いまや、頼るべき四王はいない。振り出しに戻った限りは、また最初から始めるしかない。
 北単于は、天山山脈北側の草原地帯に入り込んだ。途中、さらに大勢の仲間が集まってきた。
 北単于は、そのなかにひときわ美貌の女を認めた。その女は、諦めきった眸を宙に投げ、口をきくこともたえてなかった。
「そなたはいずれのひとか」
 女を召し出すと、北単于は訊ねた。意志を通ずるに、後漢帝国の言葉を借りなければならなかったのは、皮肉である。
楼蘭ろうらん王家の亡びた一族の血筋を引く者にございます」
 女は悪びれずに答えた。
 古来、西域へは三つの道があった。タクラマカン砂漠中央部を北と南に分かれて西進する二道は、西域北道および西域南道と呼ばれた。
 前者は天山山脈の南麓を進むので、天山南路の別名がある。残る一道は、いま北単于が辿る天山山脈北麓の道、天山北路である。
 楼蘭国は、西域北道および西域南道の東側の分岐点に位置する。東西交易の要衝の地ゆえ、大いに栄えた。そのため、匈奴と漢帝国の両者から限りなく収奪された。
 紀元前七七年、楼蘭は、前漢の圧力を受けて国名を鄯善ぜんぜんと改称した。鄯善となって久しいにもかかわらず、女が楼蘭国の出と語ったところに、みずかの出自に対する誇りが窺われた。
「されば、われらがそなたの国になした穏やかならぬ振る舞いを恨むであろうな」
 北単于が問うと、女は俯いたまま首を横に振った。
(諦めか。諦めねば生きていけぬというなら、わたしとて同じだが……)
 北単于は、女への関心を強めた。
「二十年近く前になるか、後漢に班超という傑物が現われた。敵ながら天晴れな男だった。
 四十人にも満たぬ数で、 その三倍以上のわれらの使者や配下の者を鏖殺みなごろしにした。 虎穴に入らずんば虎子を得ずなどと言ってな。それ以来、楼蘭国は後漢帝国に服属する道を選んだ」
「小国は、二つの大国の間にあって、両属するほかに安んずるみちはございません」
 女は答えると、はじめて顔を上げた。その頬にやや赤みが差していた。女の言は、かつて楼蘭王が前漢武帝に詰問されたとき、答えたものと同じであった。
 北単于は、女を身近にとどめた。女は抗わなかった。名をリンと言った。北単于はリンを得て、北匈奴再興はあるいは可能かと希望を抱いた。
 リンは寡黙に徹し、北単于のために息を二人生み、やがて病み衰えた。
「死ぬ前に、何か望みがあるか。わたしにできることなら必ずや果たす」
 北単于が呼びかけると、リンは目に泪を浮かべた。小さな溜め息をつき、視線を遠くへ投げた。
( 見ることかなわぬ故郷を想うか)
 北単于は、薄倖の女をみつめた。


 
 北匈奴を平らげた竇憲の威名は盛んになった。竇憲は罪を贖ったばかりか、それまで以上の権力を手に入れた。
 欲する欲しないにかかわらず、耿夔は竇憲の腹心と見なされたため、竇憲の勢威が翳ったときには、一蓮托生を免れない。が、耿夔の見るところ、竇憲の権力は盤石と思われた。竇憲の上には、竇太后がいた。
 竇憲の周りには、有力な人物が群がり集まった。竇氏につながる者はいずれも出世し、朝廷に満ちた。 竇氏一族に逆らった尚 書しょうしょ僕射ぼくや郅寿しつじゅ楽恢がっかいは、 相次いで自殺に追い込まれた。
 耿夔がしばらく竇憲の時代が続くとみたからといって、浅慮とは非難できまい。しかしながら、竇氏の落日は意外に早く訪れた。
 おごりたかぶった竇氏の家来たちは、財貨を貪り、罪人を奪い返し、婦女を略奪するなど、
 乱暴狼藉らんぼうろうぜきの限りを尽くして民を苦しめた。
 慢心がこうじて、ついには帝位簒奪を謀るまでに至り、竇氏一族はみずから墓穴を掘った。
 永元四年( 九二)、 和帝は反撃に出た。 竇氏一族を一網打尽にし、 それぞれ封国へ還らせたのち、その地で自殺させた。
 和帝は竇太后の立場を慮って、竇憲誅殺だけはひかえた。耿夔もまた官を免ぜられ、爵土を奪われた。
( 戦では先が読める儂としたことが… … )
 耿夔は歯嚙みした。死罪を免れただけでも善しとせねばならない。これまでの功に加えて、竇一派の乱暴狼藉から一線を画していたことが、耿夔の生命いのちを救った。
 翌永元五年( 九三)、 北単于の弟、右谷蠡王於除鞬は、 後漢朝に背いて北へ帰っていった。
(於除鞬は、竇氏の悲惨な末路を伝え聞いて、危ういと感じたのであろう) 耿夔は、自身が使者となって於除鞬に璽綬を授けたことを思い出した。
 和帝は、間髪を容れずに於除鞬討伐に乗り出した。将兵長史ちょうし王輔おうほを遣わして、於除鞬を誘って引き返させ、のちに斬った。これにより、右谷蠡王於除鞬の勢力は雲散した。
 於除鞬が出処進退を誤ったことで、北匈奴はますます衰弱した。耿夔は、自身があやうく助かったことを省みて、於除鞬の短慮を嗤う気にはなれなかった。
 永元十六年( 一〇四)、北単于が後漢廷に使いを派し、和親を求めた。
 翌元興げんこう元年( 一〇五)、 北単于は再び使いを敦煌とんこうに送り、遣子入侍けんしにゅうじ( 子を送って服侍させる) を乞うた。後漢朝はこれを聞き置き、加賜するにとどめた。
 同年、耿夔は許されて長水ちようすい校尉となり、五原ごげん太守、遼東りようとう太守を歴任した。
 その年、はく人( 北方異民族の高句麗) が国境を侵した。耿夔は出撃すると、敵勢を撃ち破り、その渠帥きょすい( 首領) を斬った。
 永初三年( 一〇九)、 南匈奴の萬氏尸逐侯鞮ばんししちくこうてい単于だんが後漢朝に背いた。 北単于を追い払った屯屠河の三代あとになる南単于檀は、信頼する漢人韓琮かんそうから、
「漢土は、大水のために人民は飢えて、死に至らんばかりです。いまこそ漢を撃つべきですぞ」
 と進言されたことを真に受けて、兵を挙げた。
 耿夔は、鮮卑せんぴ( モンゴル系〔トルコ系とも〕の遊牧民族) や諸郡の兵を率いて雁門がんもんに屯し、車騎将軍何熙かきの先鋒となって、何熙の配下とともに南匈奴を討った。
 南匈奴の軍勢は三千余騎。耿夔は、みずから先頭に立って左から、鮮卑は右から、敵陣の真っ只中に突入した。
 このとき、南単于は、後漢の大軍を見て恐慌をきたした。
「なんじは、漢人は、飢えて死に至らんばかりと言わなかったか。されば、あの大軍は何だ」
 南単于は、韓琮に向かってわめいた。
 両軍の戦いは、それでもはじめは互角。激しい戦闘となった。
後漢勢は、左右の軍勢が結合して奔流となった時点で、ようやく戦況を有利にした。ついに、敵勢を押し流すと、耿夔は逃げる敵騎を次々に屠った。
 後漢軍は急追して、敵戦士千余級を斬った。名のある王が六人。奪った穹廬きゅうろパオ。天幕)と車両が千余を数えた。家畜と生口もかなりの数にのぼった。
「北匈奴の衰えたいま、南匈奴を痛めつけておけば、北方の憂いを取り除ける」
 耿夔は、南匈奴追撃を主張した。
 ところが、鮮卑が馬の衰弱を理由に拒んだ。どのように説得しようとも、首を縦に振らない。
( たしかに、馬は疲れ切っているが… … )
 多勢の鮮卑の協力なくしては、成功は覚束ない。耿夔は諦めるしかなかった。南単于は、使者を遣わして降伏を乞い、結局、これは許された。
 耿夔は、 ただちに追撃しなかったことを責められて、 雲中うんちゅう( 山西省大同市) 太守に左遷された。のちに、遷って度遼とりょう将軍を兼務した。
 南匈奴は降伏したものの、叛服常なき態度は信用できるものではない。このため南匈奴を監視し、これに備えるのが度遼将軍の役目となった。辺境の官である。
 そのころから、耿夔は背中の古傷の痛みに苦しむようになる。痛むと、行方不明になった北単于のことをよく思い出した。
( あれから二十年ほども経つ。やつは、死んだろうか。それとも、数年前、遣子入侍を乞うてきた北単于と名乗る者がやつなのか。儂を傷つけ、いまも儂を苦しませる。やつは、儂のこの痛みを知るまい。なぜか、あの男のことが気にかかるのだ)
 耿夔は、武勇の人であった。しばしば使匈奴中郎将鄭戩ていせんを小馬鹿にした。これがもとになったか、 元初げんしよ元年( 一一四)、 罪せられて獄に下された。死刑を減免されて、 むちを打たれること二百。
( 匈奴との戦いの日々が、儂の一生であった。功を立てること幾たびか。その儂に、かくのごとき屈辱を強いるのか)
 怒髪天を衝く。耿夔は、しかしながら、耐えた。匈奴との戦いはまだ片づいていなかった。


 
 北単于は駱駝二頭に荷を載せ、十歳前後の幼子二人を伴って、馬で楼蘭への道を辿った。幼子らは、いずれもすでに馬を巧みに御した。北単于は、隊商からはぐれた商人を装ったが、その内実は復讐を果たすための旅である。
 リンの死に顔は、はじめて平安を得たかのように穏やかで、それだけが北単于の救いとなった。今わの際、リンは、
「もう恨みは忘れました」
 と、言った。
(それならば、なにゆえ、あの男のことを話したのか。あの男を殺したからといって、リンの殺された父母や姉が蘇ることはない……)
 北単于は、リンのか弱い命が絶えたあとも、ずっとその思いに捉われた。リンはただの一度も復讐の語を口にしなかった。自分と家族に起きた事実を語ったにすぎない。
 リンが恨みを忘れたというのならば、復讐は余計なことになる。が、北単于は、黙したリンが復讐を訴えたかったのだと見た。
( 復讐には、長い月日を必要とする。リンは、わたしのいまの立場を慮ったのであろう。
 リンの恨みをらしたとて、もはやリンは還らぬが、そうせねば、虐げられたまま生を終えたリンが哀れすぎる)
 北単于は、こうして復讐の旅に出た。
「帰還したら、わたしの地位は奪われているであろう。が、それこそが漢人の言う天のめいだ」
 北単于は呟いた。北単于は、難路をものともせずにひたすら前へ前へと進んだ。
 乾ききった風が烈風に変じ、一日の寒暖の差が切り裂くように肌を痛めた。つらい旅であった。
 復讐はリンのためというより、北単于自身のものとなった。自身の苦しみにリンのそれが重なり、復讐の鬼と化した北単于の前には、難路なぞはないに等しかった。
 幼子二人は、父を困らせることなくき従った。
( この子らが、亡くなった母親がいかなる痛苦を強いられたかを解するまでに、なお数年を要する。わが命がそれまで持つか…… 。わが子らよ、わたしは、なんじらになすべきこと、なさぬべきことを教える。心して励め)
 道中、北単于は、意志して厳しい父親として振る舞い、わが子二人に馬と弓矢の術を教えた。おのれの亡き後も、二人の子が生きていけるだけのことを身につけさせたいと念じた。
 束の間、休息をとり、食を口にするときだけ三人に平穏な時が戻った。
 北単于は馬を進めながら、策略を立てた。立てては壊し、また立てた。楼蘭到着までにおおよその策はなった。
 その年の五月はじめ、北単于は楼蘭に入城した。北単于の長く伸びた髭には、銀の糸が交じり、早くも老いの影が忍び寄っていた。往年の おもかげ はない。
 しかし、それでも、見破られる恐れがないわけではない。北単于は頭巾で頭と顔を覆い、人前に出ることを極力避けた。
 北単于に代わって、幼子二人が折衝役を引き受けた。めざす相手は、鄯善( 楼蘭) 王の実弟であり、側近であった。名を比恕ひじょという。
 鄯善は後漢朝の庇護を受け、東西交易の要衝という地の利を活かして発展していた。同国は、西域南道沿いの幾つかの国のうち、西方の精絶チヤドータ国に至るまでを支配している。
 リンが苦しい息の下で告げたことが、いくつかある。比恕が且末チェルチェン国に君臨していること、その性が冷酷、凶暴なること、左目の下に刀傷のあることなどを。
 北単于は、まずもってリンの告げた事柄の正否を、次いで、時間の推移とともに情勢がどのように変化したかを突きとめねばならなかった。
 ところが、これらは意外に早くに解決した。比恕の日常に、大して変化は生じていなかったのである。
 比恕は一年に一度、おおむね六月に且末を出立して鄯善へ赴く。鄯善王に諸事を報告し、暫時の滞在ののち、速やかに帰国するのをおのれの責務とした。それは、いまも続いていた。
 且末の民は、比恕不在のこの時期のみ、何の煩いもなく憩うことができた。比恕に対する国民の怨嗟えんさは、十年に近い歳月を経てますます強まったという。
( いまは五月。やつの且末出立が来月。ほどよい時期に着いたものだ。天は最後の最後にわたしに味方した)
 その月半ば、北単于は、おのれが立てた策をいよいよ実行に移すべく、西域南道を西へ向かった。比恕は、十数騎を従えて東進してくるのが常であった。
 北単于は、幼子二人を若羌チャルクリクに残した。同地は、楼蘭と且末間のなかほどに位置している。北単于は単身、西進して且末で比恕の一隊の出発を待った。
 待つこと七日。且末城内の物陰から、比恕の姿をの当たりにした。すぐにそれと分かった。一帯を支配する楼蘭王の弟という立場が、その立ち居振る舞いを驕慢きょうまんにしていた。
 道を塞ぐふさ形になった一人の若者をいきなり突き飛ばしたのには、北単于も啞然とした。
( あの男はあんなふうにして、リンの家族を奈落に突き落としたのであろう)
 自身の人生の冬に差しかかって、匈奴の血潮が再びたぎるのを覚えた。北単于は先行東進して、比恕の一隊を待ち伏せした。
 深更、野営する比恕の一隊のなかに躍り込み、数矢を放ってすぐに東へ進んだ。翌日も同様に不意討ちした。比恕の一隊は五騎に減じた。
 北単于は若羌に戻ると、幼子二人と合流した。すぐにも郊外に出て、東進してくる比恕と対決することにした。
( 比恕は、おのれが狙われていることを知り、警戒を厳重にするであろう。が、且末に引き返したりはしない。逃げ帰ったと陰口をたたかれることを恐れるゆえ)
 待つことには忍耐が要る。子どもらは無心に遊んでいた。北単于の眸は、子どもから街道、街道から子どもへとせわしなく動いた。
(いちばん落ち着かねばならぬわたしが、いちばん冷静を欠いている……) 北単于は、痩せた頬に苦笑を浮かべた。
 砂塵とともに、比恕たちのやって来るのが見えた。
 北単于は、病を装って道端に横臥した。比恕たちは、北単于を介抱する幼子に目をやったが、いささかの憐憫もなく黙殺した。
 通りすぎる比恕らに、父が二矢、子が一矢ずつ射た。四騎が転がり落ちた。残る一人が大声を上げた。
 北単于は、その左目の下に刀傷を認めた。
 比恕は、馬腹を蹴って逃れようとした。が、その直後、大地に転がり落ちた。二人の息のうち、弟の放った一矢が比恕の脇腹を射抜いていた。
 北単于は、横たわる比恕に近づいた。比恕が起き上がろうとして、何事かを叫んだ。
「貴様、何者だ。おれを殺して、無事に逃げられると思うか」とでも言ったろうか。
 北単于は、むろん比恕の言葉を解さない。比恕がこちらの言葉を解するか否かも知らない。だが、北単于は、
「リンの恨みを霽らしたまでだ。リンのな」
 と、大きな声で叫んだ。
「リン……」
 比恕が、驚愕の面持ちで北単于を見る。
「リンが妹。エイがその姉だった。おまえはエイに目をつけ、姉妹の父母を騙し討ちにして、婚礼間近のエイを奪い取った。エイは自殺し、おまえは次にリンを狙った。逃亡したリンを捕え、言うことを聞かぬリンを大勢の部下に投げ与えた。貴様は、リンとその家族のすべてを破壊した。いま、その報いを受けるのだ」
 分かるまいと思いつつも、北単于は言わずにはいられなかった。
「リン、エイ……」
 比恕は、痛いところを突かれたように面を引きつらせた。北単于は、止めを刺すべく刀を抜いた。
 一気に断ち斬ろうと、右腕を上げた。
 不意に激痛が襲って、刀を取り落とした。右腕が痺れて力が入らない。左腕にも痺れが及んだ。
( あいつだ。耿夔の仕業だ。やつから受けた傷がいま、このときになって……)
 比恕は北単于のありさまを見ると、凄惨な嗤いを浮かべた。脇腹の傷と闘いつつ、よろよろと立ち上がる。血にまみれていた。何事かをわめく。
「最後に笑ったのは、おれだったな」といったふうに。
 刀を抜くと、比恕はゆるりと北単于に近づいた。死力を振り絞り、刀を振り翳す。立場が逆になった。
( これは何としたことだ。わたしともあろう者が…… )
 北単于は諦めた。
 比恕の刀が振り下ろされる寸前、一矢が比恕の喉を貫いた。
続いて、もう一矢が、同じ個所を射抜いた。恐るべき手並みであった。比恕は呻き声とともに大地に倒れ、動かなくなった。
 北単于は、振り返った。息二人は、目を みひらいたまま凍りついている。
「よくやった。北へ帰ろう」
 北単于は荒い息を吐いた。不思議なことに、左右の腕の痺れは減じつつあった。
( 最初が次子。そのあとで、長子が射た……。ゆえに、わたしを救ったのは、次子だ。長子の決断は、わずかに遅れた。腕は互角ゆえ、将来、決断力に富む次子が統率することもあるか……)
 北単于は、北匈奴の今後を考えた。が、すぐに首を左右に振って考えを追い払った。
「未来のことは未来に託すしかあるまい」
 と。
 親子三人は北へ向かった。


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