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小説「北匈奴の軌跡 草原の疾風」創作にあたって

 匈奴きょうどという遊牧の民は人馬一体が日々の暮らしであった。必然的に戦には滅法強かった。前二〇一年、冒頓ぼくとつ単于ぜんうなる傑物が現われ、前漢高祖( 劉邦りゅうほう) を平城に包囲して、絶体絶命の窮地に追い込む。項羽こううを撃破して天下を我がものにした劉邦も、相手が匈奴となると翻弄されるばかり。万策尽きた。

 高祖は、やむなく屈辱的な約定を結んで命からがら都長安へ逃げ帰る。以後、世界に冠たる漢帝国は、匈奴の要求に対しては「諾」の一字あるのみ。公主を差し出すやら、毎年贈り物を届けるやら、兄弟としてのつきあいを欠かさぬやら、目をおおわしめるものがあった。われわれのよく知る王昭君おうしょうくん李陵りりょう蘇武そぶの物語は、二国間のこうした厳しい関わりから派生した悲話である。

 ところで、無敵を誇った匈奴にもやがて陰りが見られるようになる。漢帝国の華やかな暮らしを垣間見れば、質実剛健の遊牧の民も惰弱になろうというもので、加えて、漢帝国には武帝ぶていという傑出した皇帝が現われる。

 匈奴はかつての軍事力を失い、北匈奴と南匈奴に分裂し、後者は後漢帝国に帰順するという無様なありさまとなる。誇り高き北匈奴は南匈奴を軽蔑し、おのれはなおも後漢に抵抗するものの、力の回復はならず、敗残、滅亡が時間の問題となった。

 匈奴は文字を持たなかった。それゆえ、北匈奴がその後いかなる運命を辿ったかを知るのは困難である。史書の断片から多少は知り得ても、全貌の把握は不可能である。解明には、遺物の発掘という考古学的アプローチが唯一の残された手段であるが、時間も手間も費用もかかる。たまたま歴史的遺物が発掘されるという幸運を待つしかないのである。

 さて、ここで、西へ西へと移動していった北匈奴が、フン族として歴史に再登場したと想像することは牽強附会けんきょうふかいの世迷い言であろうか。滅亡に瀕した北匈奴が世界史の上で、ゲルマン民族の大移動の先鞭つけたとするのは、じつに心躍る妄想ではある。

 某日、畏友の天田氏に、お前さんの作品「 北匈奴の軌跡 草原の疾風」にウクライナが出てくるが、昨今の状況の先取りか、と指摘されて吃驚仰天びっくりぎょうてん。そう言われれば、北匈奴の末裔は東ゴート族を追ってウクライナを侵攻する。もっとも、当時、ウクライナの国は影も形もない。それほど曖昧模糊あいまいもことしているうえ、フン族の動きがまたよく判らない。分からないことばかりである。かくして、妄想、また妄想に若干の真実を絡めてできたのがこの作品である。

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