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君何処にか去る 第二章(2)


 
 沈黙の時がしばらく流れた。俊雄は会うことのなかった喜多川道朋を想い、無明は一度だけ接した道朋を思うのか放心している。
「人は何処いずこより来たり、何処にか去る。乞う尊意」
 ややあって、無明がいきなり禅問答を仕掛けてきた。
「無明さん、わたしはその類の問答は嫌いだ」
作麼生そもさんか、え」
 無明は容赦しない。
「無明さん、おたくこそ作麼生そもさんか、え」
 俊雄は、無明の問いでもって斬り返す。
「作麼生か、道え」
 無明は追及を緩めない。
莫妄想まくもうぞう
 俊雄は、何かの本で読んだことのある答えを放りつける。が、通らなかった。
「作麼生か、道え」
「無」
「作麼生か、道え」
「無」
「作麼生か、道え」
無明はますます峻厳。
「無」
 俊雄はこうなったら、無、一音で乗り切るしかあるまいと覚悟を決めた。すると、
「俊雄さん、呑みなさい」
 と、無明の口調が突如穏やかになった。
「無明さん、だから、わたしは禅坊主が嫌いなのだ。悟ったなぞ、えらそうなことを言うのならば、人間稼業をやめたらどうだ」
「儂は禅坊主ではない」
「似たようなものだ。出会いというものは、すべからく一期一会いちごいちえ。来者をもっと丁重に扱うべきではないか」
 俊雄は大いに気色ばむ。
「失礼した。しかし、おたくとて還暦をすぎ、定年退職の身。人は何処より来たり、何処にか去るを真剣に考えるべき齢ではないかな」
 無明は急遽、低姿勢に切り換えた。
「禅を学べと言うのか」
「まさか。何年、何十年修行しようとも、禅は、人は何処より来たり、何処にか去るの問いに答え得ぬ。禅は、いま、ここ、しか言わぬからな」
「おたくは、あの公案をいかにして解いた」
「儂の心が儂に教える」
「何とも主観的だな。独り善がりの錯覚かもしれぬ。どうして、それが真理だと判る」
「この世に真理はない」
「また禅問答か」
「否。この世に唯一、真理があるとするならば、それは、この世に真理はないということだけだ」
「無明さん、おたくはニヒリストか」
「そういう次元の低い話ではない」
「しかし、真理がなければ、正邪の基準も立てられない。そうなったら人間の暮らしは無茶苦茶になる」
「俊雄さん、実際、無茶苦茶ではないのか。このところ、儂は昔を想うことが多い。おたくがいみじくも言ったように、無茶苦茶な暮らしをしてきた人間の拠り所、つまりは文学、思想、哲学、宗教等々を考えるのだ。これはどうしたわけだろう」
「わたしの周りの年寄り連中は、みな自分史を書くことに熱心だ。小説にしたり、ノンフィクションや短詩型にしたり、郷土史や論文にしたりするが、煎じ詰めれば、自分のことに関心を向ける。この世に生きた六、七十年の意義を自分なりに摑みたいのだろう」
「その気持ちは分からぬではない。俊雄さん、おたくはどうだ」
「仕事から離れ得てようやく自由の身になった。いまは尺八三昧。あと二、三年もすれば、何か考えはじめるのかもしれない。ところで、おたくの想う昔とは、いつごろを指す」
「一九四五年八月十五日が始点だ。敗戦後、半世紀余が経った。この期間は儂の一生とちょうど重なる。加えて、文学、思想等々が儂に与えた影響は小さくはない」
「無明さん、おたくに影響を及ぼした文学、思想等々の根本のところを再度学びたいのか。しかし、究めたからといって何か益があるだろうか」
「何の益もない。人が俳句に凝るようなものだ」
「文学や思想なんかよりも、自身の来し方に関心を向ける方が有益だと思うが……」
「儂には誇るべき何物もない。ごみをいくら積み重ねても、ごみだ。自分の来し方なんぞ、何の意味もない。儂ごときの墓碑銘は一行あれば十分だ」
「一行で何と書く」
「ここに、すべてを捨てんとして果たさざりし男、眠る」
「無明さん、わたしのような凡人の方が幸せなようだな。捨てようなんぞ、つゆほども思わない。気楽なものだ」
「儂は、おたくのように気楽に生きていた男が、奥さんと子どもさんに先立たれ、廃人同然になったのを知る」
「嫌なことを言うものかな。宗教というものは、必ず不安を煽る。人間は不安に弱いゆえ、ついつい宗教に靡くのだ」
「儂は不安に弱いとは思わぬ。儂には何もないからな」
「重い病気にかかったらどうだ」
「死ぬまでだ」
「年老いたら」
「死ぬまでだ」
「食料が尽きたら」
「餓死するまでだ」
「おたくと話をしても、参考にならない。さきほどの公案に対するおたくの答えは如何いかん
「言わぬ」
「なぜ」
「自分で見つけよ」
「無明さん、わたし自身は答えを見つけるつもりはないが、ふつう、子どもが溺れそうになったら手を差しのべるのではないかな。ところが、おたくらは、作麼生か、道えなどとぬかして、子どもを溺れ死にさせる」
「時と場合による。おたくは自分で答えを見つけよ」
「無明さん、もう一度言うが、わたしは答えを見つけるつもりはないのだ。つかぬことを伺うが、おたくは見事に捨て切った人に出会ったことがあるのか」
「たくさんの人を見てきたが、その境涯の見事さにうたれたことは、なかったな。儂は、椎名麟三をよく読んだ」
「な、何だって」
 俊雄は、無明に振り回される自分が忌々しくなった。
(いったい、この男の思考回路はどうなっているのだ。今度は椎名麟三ときたか。椎名麟三には、『美しい女』という長編があったな)
 定年後の無聊が、俊雄の頭脳を錆びつかせている。とはいえ、文学は俊雄の専門分野である。俊雄は受けて立つ気構えでワインを呷った。


 
 無明は、思うところの一端を口にしはじめた。とりたてて気負うというのでもなく、おのれの記憶を誇るというのでもない。日ごろ、壁に向かって話すことを俊雄に話すといったてい(てい)である。
「椎名麟三の作品はとにかく暗い。救いがない。にもかかわらず、儂はたいがいの作品を読んだ。儂の学生時代には、古本屋にいくらでも転がっていた。買っては読み、読んでは売り飛ばした。中退したものの、儂にもそんな時代があった」
「学生運動が盛んなころだが」
「儂も運動のなかにいた。だが、その話はあとにしよう」
「うむ。とにかく、おたくは椎名麟三をよく読んだのだな。この書架には……」
「二、三冊はあるはずだ」
「椎名麟三作品の登場人物はみな関西弁を話す。無明さん、おたくは大阪にいたことがあったな」
「あいにくと、儂は関西弁は苦手でな。佐藤栄作がノーベル平和賞を受賞したとき、開高健が何かの間違いちゃうか、と言った。ああいうときの関西弁は秀逸だが」
「椎名麟三は姫路の出身だったな」
「うむ。椎名麟三はその地の電鉄会社に勤めた。ヤマデンと呼ばれていた。共産党に入党し、転向した。本人は転向ではない、脱落だと言っている。左翼崩れなことも、高学歴でないことも、クリスチャンなのにクリスチャンらしくないことも、しかしながら、儂の好みの因をなしておらぬ」
「椎名麟三が世に出たころ、前後して埴谷雄高、野間宏、武田泰淳、堀田善衛らの作家が活躍した。いずれも左翼系で高学歴だ。椎名麟三だけが純粋のプロレタリアだった。そのあたりに関心を惹かれたのかな」
「違う。椎名麟三の作品の登場人物は、安アパートに暮らし、台所とトイレは共用だ。みなが貧乏で疲れ切り、よく諍いをする。その日の食にも事欠くありさまで、要するに最底辺の暮らしだ。敗戦後間もないころと言えば、それが当たり前だった。コックやら筆耕屋やら鉄工所工員やら、どれもこれも椎名麟三自身の体験が描かれている」
「ははあ。おたくは、そのあたりに郷愁を覚えるのだな」
「否。儂を惹きつけたのは、そんなことではない」
 無明は思いつくままに、椎名麟三の作品を挙げて、『邂逅』では、数行ごとに視点を変えゆく手法で登場人物たちの救いのない生が、『美しい女』では、ヤマデンの車掌時代の闘争が、『運河』では、東京へ逃れた主人公と下町の庶民との交わりが、『懲役人の告発』では、傍観者に徹せざるを得ない転向者の生が、いずれも悲しく暗く描かれていると梗概を話した。
「作品の名をいちいち憶えているだけでも立派なものだ。さて、何がおたくを魅了したのか」
「椎名麟三は、フランス実存主義の諸々の著作が翻訳される前に、自分の作品を刊行した。ゆえに、この国における実存主義の先駆者としての栄誉を得た。かりに、順序が逆になっていたら、この国の文化レベルはお粗末ゆえ、サルトルの影響だとされて、椎名麟三は評価されなかったろう。横のものを縦にしただけだとな。椎名麟三の構築した世界は、独自のものだった」
 無明はその例として、「深夜の酒宴」「重き流れのなかに」「深尾正治の手記」「永遠なる序章」などの初期作品を挙げた。
「すると、無明さんはそれらの作品の独自性に惹かれたのか」
「否。実存主義は戦後に流行ったかもしれぬが、本邦に紹介されたのは、明治の末か大正の初めだ。キルケゴール、ニーチェ、ハイデッガーなどは、つとに知られていたのだ。椎名麟三は、ハイデッガーから実存主義を学んだ。マルクスからハイデッガー、ニーチェへと進み、ドストエフスキーを経て、キリスト教へ転じた。すなわち、椎名麟三は、無から有を生み出したのではない」
「ふうむ。わたしにとって、実存主義とはサルトルであり、カミュだった。あのころの若者は、サルトルとボーヴォワールの新しさにすっかりまいったものだ。だが、いまでも読まれるのは、ドストエフスキーぐらいのものではないかな。おたくは思想の生き死にに関心があるのか」
「そうかもしれぬ。当時、マルクス主義か実存主義かの言葉が流行った。椎名麟三はマルクス主義か実存主義かではなく、その両者をもという説を立てて、マルティン・ブーバーを紹介した。儂も『我と汝』を読んだ。椎名麟三には、たいがいの西洋哲学が現われている」
「しかし、それが、おたくが椎名麟三をよく読んだ理由にはなるまい。左翼から脱落するとは、要するに転向者のいだ。その精神生活は、苦痛以外の何物でもなかったろう。わたしたちの就職時には、よく就職転向と揶揄された。保守党支持でありますなんて心にもないことを言って……。おたくは、椎名麟三の苦しみに共感を抱いたのか」
「俊雄さん、どうしても、右でなければ左、左でなければ右にしたいらしいな。儂は真理は存在しないと言ったはずだ。万物は流転する。この世に、絶対不変なものは存在しないのだ。転向者も非転向者も、変わりはない。なぜかならば、人間は日々、転向しているからだ。若いころの考えがいまも変わらぬのならば、進歩がいっさいなかったことになる」
「しかし、自然な流れのなかでの変化と、意志しての転向とは、おのずから差があるはずだ」
「それはどうかな。おたくも、歳とともに保守化したはずだ。それを仰々しく転向だ、非転向だと騒ぎ立てたりはするまい。なにゆえ、共産主義からの転向だけをことさら騒ぎ立てる」
「無明さん、いったい、おたくと椎名麟三を結ぶキーワードは何なのだね。いいかげんに話したらどうだ。おたくは勿体をつけすぎる」
「言っても信用されぬからだ」
「いいから言ってしまえ」
 俊雄はつい苛立って声を張り上げた。無明はわらった。あくまで冷静である。
「儂が椎名麟三の作品に惹きつけられたのは、特高の二文字だ」
「な、何だって」
 俊雄はさすがに愕いた。
「儂は言わなかったか。言っても信用されぬと」
「待ってくれ。そう責めたもうな。要するに意想外だったのだ」
「おたくらにはな」
「無明さん、おたくにはどうにも理解できぬところがある。人にそう指摘されることはないか」
「ない。それほど親しい人はおらぬ」
「おたくとは、話がちっとも嚙み合わない。おたくは椎名麟三の作品を読み、特高の登場にいたく腹立たしさを覚えたというのだな。だが、それでどうする。あるいは、どうなる」
「彼のすべての作品を読んでみれば判ることだが、主人公は敗れてばかりだ。救いがない。真面目な読者ならば、きっと憤る。一生懸命、読んできて、主人公の状況が好転するどころか、よけいに悪くなって終わる。特高はいかなるときも負けることなく、罰せられることもない。後味の悪いこと、この上ない。小説はフィクションだ。勝たせてもいいはずが、作者はそうしない。この国の現実は、つねにそういうことだった。実存主義とは、みずからがみずからの人生を引き受け、あらゆる責めを負うことだ。すると、必ず負けることになるらしい」
「で、おたくの考えは」
「実存主義は、無神論のなれの果てだ。神を殺して何の幸せがあろうか。気の毒というほかはない」
「すると、おたくは他力門なのか」
「俊雄さん、おたくは現代の風潮に流されている。この世のなかには右でなければ右、左でなければ左ということもあるのだ。儂は他力門でもあり、自力門でもある」
「それで矛盾をきたさないのか」
「きたさぬな。椎名麟三は神の存在を信じ、洗礼を受けてプロテスタントになった。されど、キリスト教の神というのが問題だった。かくて、椎名麟三は、これまでのおのれの思想との整合性に悩むことになった」
「待て待て。キリスト教は、マルクス主義も実存主義も斥ける。椎名麟三がこれまでの思想との整合性に悩むのは、いわば当然ではないか」
「それはどうかな。天地創造の神ならば、オールマイティーだ。神にとり、マルクス主義か実存主義かなぞ、コップのなかの嵐にすぎぬ。ところが、キリスト教の神となると、そうはならぬ。おそろしく狭量な神なのだ。すぐに怒って罰を下す。悔い改めないと地獄行きだ。同じ天地創造の神を信仰しながら、カトリックとプロテスタントでは、まるで異なる神のようだ。ローマ・カトリックとギリシア正教やロシア正教との関わりはどうだ。英国国教会はカトリックふうでありながら、プロテスタントだ。しかして、プロテスタントには山ほどの宗派がある。いずれも仲がいいとはとうてい言えぬ。椎名麟三はキリスト教という宗教に関わるべきではなかった」
「教団やら教会やらは、組織維持のために教義すら変える。椎名麟三はプロテスタントの一宗派に属した。一宗派の狭い教えでは、椎名麟三の抱えた課題は解決できなかったということかな。しかし、話を特高に戻そう」
「うむ。特高は、共産主義はけしからんと言って、共産主義者に拷問を加え、無理矢理転向させた。敗戦とともに、世のなかは百八十度変わった。人の思想を踏みにじった特高は雲隠れし、世のなかが治まったころを見計らって、戦前も戦中も平和主義者でございましたという顔貌(かお)で再び世のなかに現われ出た。儂は寡聞にして、あの連中が糾弾された話を知らぬ」
「おたくはそういう読み方をしていたのか」
 俊雄は、無明の胸の奥底に秘められた瞋恚にはじめて気づいた。


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