【エッセー】回想暫し9 音を文章で表わす
絵画を文章で描くことはよくあるが、いくら気張っても、当該絵画を一見することがあれば事足りるゆえ、虚しい努力をしているのかも知れない。しかし、ある部屋を全体的に描写するにおいて、正面の壁に一幅の絵画が掛かっていたならば、どんな絵なのかに触れないわけにはゆくまい。このとき、書き手にさほどの絵心がなくても、何とかなるものである。かりに肖像画とすれば、優雅な若い女性がいくつぐらいで、どんな容貌の人なのかを伝え得れば、一応の責めを果たせるからである。
ところが、音楽を文章で描写するとなると、まったく異なる難しさがある。そもそも、音を言葉で描くことは可能か。ロマン・ロラン『ジャン・クリストフ』やトーマス・マン『ファウスト博士』は、壮大なる音楽家小説であり、二人の作者は音楽に関わる蘊蓄を存分に傾けている。されど、両著を読んで、読み手の頭のなかにいまだ聴いたこともない玲瓏な楽の音が鳴るかと言えば、そういったことはなさそうである。
私の尺八の師匠は名人であった。三十人の弟子がいたとして、それぞれが一度は師匠愛用の一管を試したものであるが、出てくる音は各人の音色以外の何物でもなく、何をどうしようと師匠の音を出すことは叶わなかった。
いまだごく初歩のころ、私を含めて三、四人が糸方と合奏し、突如速くなった調子に戸惑って立ち往生(実際は正座しているが)しそうになった。三曲合奏に慣れていないと、不意に緩んだり、突如突っ走ったりに翻弄される。さて、その一瞬、師匠のよく透る澄み切った音が大広間の空間をじつに爽やかに突き抜けた。いま、糸方はここを弾いておるぞと。私たちは危うきを脱し、辛うじて面目を保った。
大先輩のTさんは道を歩いていて、突如、動けなくなった。とある民家から心に沁み入る尺八の音が耳に飛び込んできたからで、すでに何年もの心得のあるTさんは、これまでの生涯であんな凄い竹の音を聴いたことがなかった、と述懐した。Tさんはその場で弟子入りしたというが、いったいどんな音であったのか。むろん、私は師匠の音を知る。けれども、どんな音なのか具体的にと問われれば、答えに窮するほかはない。
音というものはすぐに消える。その扱いはまことに厄介である。音を伝える手立てのなかった昔には、言葉によって伝えようとする者が少なからずいた。なかでも白居易(字は楽天。玄宗と楊貴妃の悲劇を描いた「長恨歌」が有名)の「琵琶行」は、豊かな語彙を駆使して音を言葉で言い表わし得た稀な成功例だと思う。
白楽天は四十四歳のころ、地方に左遷され、その翌年の秋、潯陽江頭に客を送った。客は船にあり、酒を酌み交わすも管弦がない。盛り上がりをすこぶる欠き、やむなく送別の宴を打ち止めにしようとした。と、そのとき、水上に琵琶の音がした。「弾ずる者は誰ぞ」と問うも、答えはなく琵琶の音は止む。
船を近づけて、こちらに来てほしい旨を伝える。酒宴を再開するもなかなかやって来ない。何度も声をかけ、女はようやく乗り移ってきた。が、琵琶を抱えて顔を隠すようにしている。以下、「琵琶行」(松枝茂夫編『中国名詩選(下)』(岩波文庫))からさわりの部分を引く。
琵琶の女はもと都長安の人。若いころは名高い妓女であった。琵琶の技は折り紙付き。されど齢とともに容貌の衰えは如何ともし難く、いつしか地方に流れて来、商人の婦となった。夫は商いに出、女は大川のほとりで船の留守番をしていた。寂寥に堪えかね、ふと琵琶を弾いたところが、これも不遇の身を託つ白楽天の耳に入った。
女は琵琶の技で、白楽天は文の技で、両者見事に拮抗している。白楽天はもう一曲を所望する。「君のために琵琶行を作ってあげよう」と。女は再び琵琶を弾く。満座の人々はみな泣いた。最も落涙したのは白楽天自身であった。女の琵琶はまさしく絶唱である。
世のなか、神技を自家薬籠中の物にする人がたまにいる。「琵琶行」を読んで、琵琶の曲が私の頭のなかに鳴り響いたというのではないが、楽曲の放つ悲哀は私の心奥に十分すぎるほど届いたのである。