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君何処にか去る 第三章(1)

  第三章 出会い

        一
 
 喜多川きたがわ道友どうゆう古稀こきを迎えた。道友の父母は、七男三女の子宝に恵まれたが、二男一女を乳児期に失ったゆえ、幼いころから病気ばかりしていた道友が育つかどうかを案じた。
 両親の不安をよそに、虚弱な道友は生き延びた。旧制中学時代に尺八に凝ったことが、道友の病弱な体質を変えたようであった。起床から就寝まで、尺八を手放さなかった時期が続いた。たえず深呼吸しているのと同じことゆえ、肺やら内臓やらが強くなったものらしい。道友は、いつしか頭痛や腹痛、そのほか病と名のつくものから逃れ得た。
 長じて、道友は、琴古流尺八界で名を知られるようになった。戦後の混乱期、道友は地方のK市へ落ちのびた。時に三十代の半ば。この都落ちが道友に幸いした。
 城下町のK市は芸事の盛んな土地柄である。自薦他薦の尺八名人がたくさんいた。道友は同市に住んですぐに大きな演奏会への出演を乞われた。糸方は三絃、箏とも、K市における最高の弾き手という。道友は応じた。あとで知ったが、K市の邦楽界全体が道友のお手並み拝見の挙に出たのである。
 演目は、「八重衣」。石川勾当作曲。八重崎検校による箏の手付け。同曲は、小倉百人一首中、「衣」にちなむ四季の歌、たとえば、「春過ぎて 夏来にけらし白妙の 衣干すてふ天の香具山」「君がため 春の野に出でて若菜摘む わが衣手に雪は降りつつ」など、五首をもとに作曲された。手事物の大曲であり、名曲中の名曲と言われる。難曲でもある。
 この演奏での道友の繊細な曲づくりと音色は、聴衆の心に静かに深く伝わった。二人の弾き手も演奏後、絶賛を惜しまなかった。K市尺八界の名手たちが切歯扼腕しようと、道友の音色や伎倆に遠く及ばないことが明らかになった。
 尺八の音ほど不思議なものはない。一管の尺八を百人が吹けば、百の音色が出る。しかも、吹き手の人格以上の音の出ることは決してない。従って、音色で吹き手の人格を推定することも、できないことではない。道友は、語らずして透徹せる心の持ち主なることを証明した。
 半歳余後、道友はある旧家の老主人と交際するようになった。当該老主人のたっての願いを容れて、行き来するようになったのである。両人の交わりにそこの家付き娘も参ずるようになった。娘は箏を弾いた。老主人の狙いは端からそのあたりにあったのかもしれない。娘の芸は可もなく不可もないといった程度であったが、道友は娘の気立てのよさに魅かれた。やがて、道友は入り婿という形で娘と結婚した。
 それ以来、道友は世間の荒波にもまれることなく、尺八を教授していればよい歳月を送った。K市にやって来るまではいかなる関わりもなかっただけに、これも運命かといったものを感じた。
 道友の趣味は、城巡りと子どもに漢籍を教えることである。週二日の稽古日と週一日の漢籍教授以外は、妻とともに各地の城を訪ねることを唯一の楽しみとした。北は北海道の松前城から、南は沖縄県の首里城まで足を延ばした。
「あなたの前世は、きっと一国一城のあるじだったのでしょうね」
「わたしのような優柔不断な性では、一国一城の主ということはなかろう。せいぜい平士へいしのずっと下の方だろうね」
 道友は、妻にそうこたえるのがつねであった。江戸期のK藩の身分制度は厳格で、いくつかの階級に分かれていた。平士は藩主に御目見おめみえできる身分なれど、上位では千石を超える者がいる半面、下位では百石に満たない者もいるなど、石高に大きな差があった。道友は、おのれを百石未満の平氏に想定したのである。
 道友は、『論語』や『孟子』のかなりを暗誦できる。漢籍は好きで憶えた。子どもたちが何のことか分からないなりに、
 ──身体しんたい髪膚はっぷ之れを父母に受く。敢えて毀傷きしょうせざるは孝の始めなり。
 などと、大きな声でそらんずるのを聞くと、この子どもたちの将来を守ってやらねば、としみじみ思うのである。
 道友が、K大の学生に尺八を教えはじめたのは、いつのころからだったろうか。定年間近の一教授が道友を訪れて、学生への尺八指導を依頼したのが事の発端であった。道友は二つ返事で引き受けた。その先生も率先して弟子入りしたが、この人はものにならなかった。他方、学生たちは手ほどきすればするほど上手くなった。
 それまでの社会人の弟子たちが刺激を受けて稽古に熱心になり、互いに切磋琢磨するようになった。道友の弟子数は増え、週一日の稽古日を二日に増やさざるを得なくなった。道友は古来の作法に則り、形に重きを置く教え方に徹した。不動の真っ直ぐな姿勢。無理のない自然な息継ぎ。感情を抑えた淡々とした吹き方など、尺八禅に近いものを教えた。
 稽古を終えたのちは、最高級のお茶で弟子を持てなした。道友先生宅のお茶は美味いという評判が立った。道友夫人の苦心の賜物である。弟子たちとお茶を呑みながら、道友は妻ともども学生たちの相談事に乗った。何年か経つと、医者が患者のどこが悪いか触診で判るように、学生の悩み事のたいていは見抜けるようになった。道友のアドバイスは適切であった。学生たちばかりでなくその親からも感謝された。
 学生の弟子中、三年に一人くらいは、これはいけそうだという者が出てくる。妻によると、道友は俄然、その者に対して厳しくなるらしい。道友は、還暦に至っても髪はなお黒く、肌はつやつやしていた。好好爺そのものだったが、ひとたび尺八を吹くと、いまだに障子紙がびりびり震えるくらいの凄みがあった。かつての孤高に枯淡の味が加わり、その音色は超絶していた。
 

 
 道友は隣家の騒ぎに耳をそばだてた。隣りの柏木かしわぎ家は隠退した元勤務医である。定年退職したあと、開業することなく医業とは別の人生を選んだ。
「何人か助けられませんでした。医者はこりごりです」
 柏木幾三いくぞうは、自身の転進をそう語ったことがある。茶飲み友だちとして、幾三は一級品であった。教養があり、話題は豊富である。難点は囲碁将棋を持ちかけることで、道友はこれには閉口した。道友は囲碁将棋をしたことがない。せっかくの余暇を勝った負けたですごすのはもったいない。幾三が教えてやると無理強いするので、断るのに苦労する。さて、その日の柏木家の騒ぎはただ事ではなかった。
「一体、何事が起きたのだろう」
 以心伝心、妻はさっと外へ出ていった。柏木夫人の声は大きい。妻の報告を待つまでもない。騒ぎのもとを知った。柏木家は、庭に池を作ろうとしていた。業者と打ち合わせを済ませ、いよいよ工事がはじまったのであるが、池に定めた場所を重機で掘ったところ、水がじわりじわりと湧き上がってきたというのである。
「原因不明の出水らしいですわ」
 妻が帰ってきて報じた。
「工事前には何事もなかったからには、重機が上水か下水のパイプを壊したのではないかな」
 道友は推測した。
「図面上、パイプは走っていないんですって」
「されば、水はどこから来たか。天からか、はたまた地からか、それが問題だ」
「シェイクスピアが墓場で歎いておりますわ。せっかくのわたしの名科白をつまらぬことに使うなって」
 道友の冗談は、いつものごとく妻にやり込められてあえなく没となる。隣家の騒ぎはやんだ。一件落着かと思いきや、原因が分からないので水道屋を呼ぶらしい。
「池造り変じて水道工事と相成るか。水道は市役所の管轄だが」
「柏木家の地所ですから市役所の管轄外だそうです」
「ほほう。されば、柏木家の持ち出しとなるは必定。ほとぼりが冷めたころ、幾三さんにカンパせねばならぬ」
「ほっほっほ。柏木家がこちらを哀れんで、カンパの二倍を返却して下さるでしょう」
 自分たちの懐に響かないので、道友夫婦は気楽なものである。水道屋がやって来、隣家はさらに騒がしくなった。ああだ、こうだと大きな声で話し合っている。
 道友はふと思い立ち、鳴らない竹を取り出した。手にしたのは久しぶりである。鳴らない竹というのは、文字どおり鳴らないのである。さすがの道友も手こずる一管であった。尤も、鳴らないながらも、毎日少しずつ息を吹き込み、温め、慈しんできたためか、かすかながらも音を発するようになった。五、六年前からである。
 最近ではかなり音が出るようになった。けれども、道友の本来の音には遠い。愛用の竹に比べれば、四分の一の音量もない。つい、手にすることを怠ってしまう。いま、久しぶりに吹くと、これまでで出色の音であった。
(はてな。庭の木々でも、花を咲かさぬなら伐るぞと脅かすと、花を咲かせることがあるそうな。この鳴らない竹も、割られることを懼れたか)
 道友は吹きつつ、そんなことを考える。竹はたしかによく鳴った。この音色ならまずまずか、と道友は「残月」を吹いた。わが子を失った母の歎きを詠った峰崎勾当畢生の大曲である。この奥深い名曲に辿りつける弟子は、さほど多くはない。尺八の習得に大学の四年間では足りない。最低でも五年は要る。五年の歳月をもってしても、残月が吹けるか否かは個々人の才能による。鳴らない竹は、愛用の竹に比して遜色ない音を奏でた。
「途中から俄に竹が鳴り出しましたよ。いったい、どうしたというのでしょう」
 妻が評した。妻は、自身の才能を知って箏の世界から身を引いた。その代わり、聴く耳はかえって鋭くなったようである。
「不思議だね。突然、鳴り出した。されど、明日になると、また鳴らなくなるのだ」
「ほっほ。だれかさんに似ていますこと」
「だれかさんとは、まさか、わたしではなかろうな」
「そうだと言いたいところですが、違います。うちのモモ」
 子のない道友夫婦は猫を飼っている。モモは、道友夫人にはつねに擦り寄ったり、膝上に乗ったりして愛想に余念がない。道友には知らぬ顔をする。一年に一、二度くらいは突如、同友に愛想する気紛れものである。弟子たちには、道友に対する以上に関心がない。かまってもらえないことに腹を立てた弟子たちが、モモを追い回す。道友は、逃げ回るモモを見ても同情しない。かくて、モモはますます道友夫人に懐き、道友を無視するのである。
「モモか。なるほど似ているな。いずれも可愛さ余って憎さ百倍。あまりに逆らうならば、竹は薪に、猫は三味線の皮にしてくれる。鳴らない竹よ、心したまえ」
 道友は、翳した尺八に言い聞かせた。
 

 
 道友の思いは、ずっと昔に亡くなった師匠へと移る。若かりしころ、道友は京都中の名人を訪ね歩き、それぞれの奏でる音を家の外で聞いて、弟子入りするか否かを判じた。どれだけ京都中を歩き回ったことだろう。ずいぶん探し回った。下駄を何度も履き潰した。
 ついに思いの叶う日がやって来た。道友がこれだと選んだ音は、ひたすら澄み冴えて哀切極まりなかった。聞いているだけで躰が震え、泪が零れた。入門を願い出て許され、以来、七年の修行を積んだ。某日、師匠が、
 ──道友君、君ならこの竹を吹きこなせる。ただし、長い長い歳月が必要になるだろう。君にこれを進呈しよう。この竹を吹くたびにわたしの音を思い出してほしい。音とは、すなわちわたしの生命である。
 と、言った。いつになくしんみりした口調であった。道友は、こうして鳴らない竹を贈られた。
(あのとき、先生は死期を悟られていたのだ。黄泉路へ旅立たれたのは、それからわずか四ヵ月後だった)
 師匠の死後、道友は鳴らない竹を一年に何度か手にした。相手は手強かった。知命をすぎてから、鳴らない竹に接する時間が増えた。それだけ師匠の心境に近づいたからであろうか。
「今日の音でしたら、亡くなられた先生にお褒めいただけるかもしれませんね」
「常時、この竹が鳴るのであれば、そう言えるかもしれぬがねえ」
 道友といえども、常時鳴らせる自信はなかった。隣家の柏木家の騒ぎは終日続き、翌日も同様の騒ぎがあった。夕方になってぴたりとやんだ。翌々日、柏木幾三が柿を抱えて現われた。その表情から察するに、幾三を悩ませた出水騒ぎは無事に解決したようである。
「道友さん、お騒がせしました。ご迷惑をおかけしたお詫びの印にこれを。お裾分けですから遠慮は無用。見てくれは悪いですが、甘い柿です。けっこういけますよ」
 幾三は、いささかの遠慮もみせずにさっさと居間に足を運ぶ。主人と客の立場が入れ替わったかのようである。
(これで、この仁は、おそらくいい医者だったのだろう。ただし、病院の管理者には嫌われたかもしれぬ)
 両者、所定の椅子に座る。幾三は喜多川家の庭を眺め、道友は壁にかかる英国製の時計を眺める位置に。
「騒ぎがすんでよかったですな。もっと手間暇かかるものと思っていました。意外に早かったのではありませんか」
「そうなんですよ。どうなることかと案じましたが、簡単に片づきました。道友さん、やはり人ですな」
 幾三は、これを語りたくて訪れたらしい。
「ほほう。察するに、快傑黒頭巾が颯爽と現われたのですな」
「道友さん、失礼ながら古い。いまどき快傑黒頭巾だなんて、だれが知りますか」
「ううむ。されば、丹下左膳が颯爽と……」
「だめだ。こりゃあ」
 幾三は頭を抱え込んだ。道友夫人は笑い転げている。
「柏木先生、いまどきだれでも知っているヒーローは、だれになりますかしら」
 道友夫人が難しいことを言い出した。
「眠狂四郎」
 と、幾三。
「幾三さん、失礼ながら古い。いまどき眠狂四郎だなんて、だれが知りますか」
 道友がお返しにやり込める。
「あらっ。わたしでも知ってますわ」
「ああ、ブルータス。おまえもか」
 道友が悲痛な声で応じる。
「失礼ながら、お二人の諍いは、わたしが辞去してからに願いたいものですな」
 幾三のこの一言で大笑いになった。


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