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君何処にか去る 第九章(1)

第九章 別荘地の孤独


 
 藤堂一作は、薪と食料をせっせと買って運び込む作業を繰り返した。これさえ調えば、冬籠もりの用意は終わったも同然である。
 どんな陸の孤島でも人がいれば、電気は点く。だから、炬燵と電気ヒーターがあれば、凍死することはない。しかしながら、この地の寒さは半端ではない。薪ストーブで暖めない限り、部屋全体が暖まることはない。冬の長い時間、そこそこの暮らしをするためには、どうしても薪が要る。
 藤堂一作が車を手放してから十年余経つ。都会に住んでいると車に乗らないでも不都合はない。車がなくて困ったという記憶もない。どうしてもいうときには、タクシーの世話になればよい。
 ところがこの避暑地となると、車がないのは島流しと同義で、買い物その他、何をするにせよ車が前提となる。葉書一枚投函するのにも、歩いて一時間はかかる。一作はやむなく計画的にレンタカーを使った。一ヵ月に二度、レンタカーを走らせ、買い物ほか雑用を片っ端から片づける。そんな不便な暮らしが五年余も続いている。
(ここの暮らしにも慣れた。そのうち、わたしも、隣家の主人のように白骨死体で発見されるだろう。わたしにふさわしい死に方ではあるな)
 真夏であれば、人の行き来はけっこうあり、若い夫婦が赤ん坊を抱いて歩いたりしている。避暑地で夏をすごすからには、生活に困っている人はいない。みなが穏やかな風貌をし、上品で言葉遣いも丁寧である。
 この地で、藤堂一作の名は割と知られている。真っ先に避暑に訪れ、最後までねばるのである。だれもが、まさか一作が越冬するとは夢にも思わない。この地は雪に覆われて零下十何度になり、陸の孤島と化す。昨年、一昨年は雪が少なく、まずまずの孤島暮らしですんだ。が、三年前の雪は凄まじかった。一作は真底、恐怖を覚えた。
「凍死してもいいと覚悟して越冬したにもかかわらず、恐怖に駆られるとは情けない」
 当時、一作はそう独り言ちた。人の姿を見ることのない冬季、その界隈には郵便配達夫も来ない。生き物も見ない。おまけに一作はテレビも電話も持たない。完璧なまでの孤絶の世界が現出する。町役場の職員は、一作の住むあたりに煙が上がるか否かを毎日、確かめるのだそうだ。一作は、感謝感激の態度を装うが、本当は放っておいてほしいのである。この初冬、雪は降ったりやんだりした。本格的な冬将軍の到来は、あと十日ほどのうちに相違なかった。
(亡くなった隣家の主人は、絶対的な孤独のなかに生きた。辛酸を嘗めての隠遁であったのだろう。わたしなんぞいまだ序の口)
 一作は、座り机の上の写真立てを見る。亡くなった妻が恥ずかしそうに微笑んでいる。左頬に小さなほくろがあった。
 ──皮膚科の女医さんが除去した方がいいとおっしゃって、凍結療法でって下さったの。
 妻がそう言って、ほくろのとれたことを喜んだのが昨日のようである。だから、最晩年の妻の左頬には、ほくろはなかった。けれども、一作はこの写真の妻の表情を好んだ。齢を重ねても、はにかみのとれない妻であった。


 
 風が強まった。安普請の別荘は風に弱い。すきま風が遠慮なく吹き込んでくる。
(夏向きに建てられているのだ。仕方がない)
 目張りをしてみたものの、儚い抵抗であった。一作は、マフラー代わりにタオルを首に巻いて一息つく。風がまるで何かを壊すような大きな音を立てる。かなり強い風である。しばらくすると、とんとん釘を打つような音が挟まった。
(おやっ。だれかが近くにいて防寒処置に大童おおわらわのようだ。どこのだれだろう。わたしの真似をして物好きにもここで越冬しようというのか)
 つい、聞き耳を立てる。音は隣家から来ているようである。一作はよいしょと立ち上がった。偵察が絶対的に必要な場面である。孤独を好むくせに人恋しいと思うときがしばしばある。
 外は、思ったほど烈しい風ではなかった。安普請のせいでそう感じたのであろう。別荘地の各戸の広さは都会の倍はあり、敷地には巨木が生い茂っていかにも高級別荘地ふうである。それが売りなのであろうけれども、冬ともなれば広すぎるのは心細い限りである。
 庭伝いに隣地へ行けないことはないが、最初のことでもあり、まずは正面からの公式訪問とした。雪がそこここを蔽い、風が無神経にも舞い上がらせて運び去る。地面は泥濘ぬかったところがあり、歩きにくかった。
 隣地は、一作の敷地よりもなお広いらしい。別荘が奥にちんまり建っており、貧弱に見えた。窓を開け放って空気の入れ換えをしていた。
(この寒さにご苦労な話だ。あの別荘の玄関ドアを開けると、正面の壁に額に入った遺言書が掲げられているそうだ。そんな話を聞いた。家屋および土地に係るすべての権利を何とかという奇妙な名の男に譲渡するというのだ。亡くなった持ち主には親しい身よりがいなかったらしい。ところが、肝心の相続者の行方が判らない。一時期、騒ぎになった。結末がどうなったかは知らない。わたしは世捨て人だ)
 山小屋風の玄関のドアは難なく開いた。登山靴のようなごつい靴が一足、脱ぎ捨てられている。
「こんにちは。隣りの者ですが」
 声をかけると物音がやんだ。蹴躓くような音がして、男が顔を見せた。近辺に人が残っていることを想像していなかったようで、愕いた顔貌であった。尤も、男の眸は探るでもなく警戒するでもなく、いたって善人そうである。
「とりわけ用というじゃないのです。物音のするとき、ところじゃないので、つい、人恋しくなって」
 勤めていたころの癖が出て、一作は相手の全身に目をやり、どういうタイプの男かと探った。
「そうでしたか。わたしも人が残っているとは思いもしませんでしたので、あいさつを省いて失礼しました」
 男は答えた。一作は、男を五十代半ばとみた。管理人なのか新たな権利者なのか、はたまた一時期話題になった相続人なのかは、見当がつかない。
「わたしは藤堂一作と申します。藤堂高虎の一番の作と書きます。一人暮らしのうえ、何年か越冬してきた変わったやつです」
「ほほう。何年にもわたって真夏向きの別荘地で真冬を越されたと……。なるほど変わっておられますね。わたしは無心むしんと申します。無心の境地の無心です。実物は無心に遠いですがね。姓はご容赦下さい」
「無心さんですか。はてな。ひょっとして額のなかの遺言書とやらに書かれたご本人さんではありませんか。そのような名を耳にしたことがあるのです。間違っていたらごめんなさい」
「おっしゃるのはこれのことでしょうか」
 無心は振り返った。背後の壁に遺言書なるものを入れた額が掲げられている。
(噂どおり奇妙な譲与があったのだ)
 思いがけない話の展開であった。
「いやあ、驚きました。わたしでも知っているのですよ。当時は相当評判になったようです。その遺言書には無心さんの名があるのですね」
 一作は無心の生き方に興味を持った。
「ええ、書いてあるのです。じつははじめて拝見しました。一体、あれから何年経ったものか。無常迅速をひしひしと感じます。亡くなったここのご主人とは、この山小屋の補修をして差し上げたときにおつきあいしましたが、わたしがすぐに旅立ちましたので……。にもかかわらず、わたしにはすぎたものを遺して下さいました。けてども、正直言って困っております」
「おやおや。はじめて見たと。でも、あなたは遺言書のことはご存知だったのでしょ」
「はい。偶然、新聞で読んだのです。吃驚びっくりしました。一所不住のわたしが一躍別荘持ちになったのです」
「そうだったのですか。浮世離れしたお話はいかにも無心さんらしい。もとのご主人が相続人に無心さんを指名されたのは、分かるような気がします」
「ここに来ようとして果たせず、長い年月が経ってしまいました。ようやく再訪が叶いましたが、わたしは相続するにふさわしい人間ではありません」
「今後、この立派な山小屋を避暑に使う予定はないのですか」
「全然ありません」
「すると、あなたが先ほど言われたように税金その他で困ることが出てきますね」
「そうなのです」
「では、このたびここに来られたのは」
「当座の所持金をなくしたからです。おそらく盗まれたのでしょう。いつの間にか消えていました」
「ははあ。そこで、あなたはこの別荘を思い出された。少なくとも雨風を防げるわが家があると」
「わが家と思ったことはありません。が、大糸線に乗ってようやく辿り着きました」
「あなたも越冬されるのですか」
「ここを足場に仕事ができたらと思うのです。ただ、仕事があるかどうか」
「冬将軍が虎視眈々と狙っています。もうしばらくで、町の中心部へ出るのは至難となります」
「わたしは、豪雪地帯で越冬したことが何度かあります。乗り切る自信はあります」
「薪や食料はどうなさいます」
「今日明日中に何とか手配しなくてはと考えています」
「よろしければ、費用をご用立てしますよ」
「ありがとうございます。いざというときの虎の子でここまで来られましたし、まだ残っています。問題は仕事があるか否かです」
「あなたの仕事って何です。物書きですか」
「まさか。わたしは大工仕事のほか、水道、下水、電気等々、たいがいの工事をこなします。田舎では重宝がられるのです。ただ、この雪がねえ」
 無心は答えると、当惑したように宙に視線を投げた。


 
 一作は音にうるさい。駐車する車のエンジン音ですら気になる。あまりに長いと外に出てドライバーに注意し、ドライバーがいないと勝手にエンジンを切る。それで口喧嘩になったこともある。
 だが、一作は相手が怒ろうと平気の平左である。すべてを失い、希望を失った男の強みで、殴られてそれがもとで死ねるのならば、それもよしと思っている。尤も、相手が手を出す前に、ドイツでは不必要なアイドリングは警察に通報されること、不必要なアイドリングでガソリンを浪費し、空気を汚すのは避けるべきことなどを穏やかに口にすると、なかにはおとなしくなる者もいる。反対の場合もあるが、殴られたことはない。
 その一作が隣家の音を歓迎した。ふと気づくと、聞き耳を立てている。うるさいと感ずるのではない。その逆である。表敬訪問の翌日、無心の別荘からは一日中、屋内を整備する音が聞こえた。
 その翌日の早朝、とんかちの音の代わりに尺八の音が聞こえた。都会には不似合いの古風な音は、こういう人里離れた別荘地にはよく似合う。清澄な音が悲しい曲を奏でた。一作ならずとも、たとえば道行く人も必ずや立ちどまって聞き惚れるに違いない。次いで、無心の来訪があった。
「おはようございます。早朝からうるさくなかったですか」
「何の。名曲をただで鑑賞させてもらっていたく幸せでした。無心さん、あなたは尺八の名手ですね」
「まさか。わたしの伎倆なんぞ、中の下くらいでしょう」
「ご謙遜を。さあ、お上がり下さい。コーヒーか紅茶かどちらが好みですか」
「それが、藤堂さん。屋内の整備が済みましたので、娑婆に出て稼いでこようと思うのです。食料を調達しなければなりませんので」
「なるほど。それは残念。じゃあ、どうです。今晩、ちかっと飲みませんか。わたしの手料理は下の下ですが」
「ありがたいお招きですが、出たとこ勝負です。帰って来られるかどうかも定かではありません」
「ううむ。やむを得んですね。大雪が来たら閉じ込められますからな」
「何か買ってくるものがあれば、遠慮なくおっしゃって下さい」
「ありがとう。いまのところはほぼ片づいたようです」
「そうですか。では、行ってきます」
 無心は一礼すると、町の中心部向けて歩いていった。時計を見ると七時半をすぎたばかりである。
(夕方、あるいは夜まで帰ってこないだろうな。酒宴は明晩か、あるいは当分の間、延期か)
 一作は、そう思いながらも気になって仕方がない。道にしばしば出て町の方を眺めたりした。一作の朝食はパンである。強力粉、バター、砂糖、塩、クルミをパン焼き器に放り込み、セットしておけば、朝の好きな時刻にパンが焼き上がる。それを二日かけて食べる。
 昼は麺類。うどん、そば、ラーメン、スパゲッティ等々、何でも作る。夜は肉入り野菜炒めに酢の物。元気が残っていたら、味噌汁も作る。ワインをコップに二杯。
 運動は一日に一時間のウォーキングのみ。残る時間は内観と読書にあてる。未来は閉ざされ、現在にはいかなる望みもない。一作の意識はつねに過去に向かう。内観はつらい作業ではあるが、いかに妻に迷惑をかけたか、いかに妻に悲しい思いをさせたかを思い出すことに努めるのである。
 夕闇が迫っても、無心は帰ってこなかった。夜の道を歩くのは危険である。灯火に乏しいので道に迷う惧れがあった。
(どうするつもりだろう。ま、漂泊の旅に慣れている感じではあった。無心さんは、正真正銘の漂泊者だ。わたしの場合も一種の漂泊だが、考えてみれば、この地に無理にとどまる理由はなかった。世界各国を歩けばよかった。なぜ、わたしは漂泊の旅に出なかったのか)
 一作は考える。ホテルや旅館に泊まるならば、それなりの出費を覚悟せねばならない。会社を中途で辞めたため、年金が支給されるまでの短からぬ歳月、爪に火をともすような生活を余儀なくされた。
「あの倹約暮らしがわたしから冒険心を奪い去った。が、わたしはここにとどまっているものの、毎日、旅しているようなものだ。近くにはだれ一人知る者がいない。信州の避暑地を放浪しているようなものだ」
 一作は独語すると、ストーブのなかに薪を放り込んだ。今冬は薪をたっぷり用意した。越冬の間、燃料に悩まされることはなさそうである。新しい薪に火が移って、勢いよく燃え出すと、熱さが直に伝わってきた。至福のときである。一作は、読みかけの『荘子』を手に取った。
 ひところ、死ぬ前に必ず読んでおくべき本を探し求めた。意外にもこれだというものがない。たとえイエス・キリストがアジア人であろうとも、東洋において聖書は必読書とは思われない。シェイクスピアを読まなかったからといって、人生上、何か困ることがあるだろうか。ゲーテやドストエフスキーも然り。
 結局、一作は中国の古典に狙いを定めた。この国の文化が二千年近くもお手本にしたのである。まずは『論語』を全巻読み通した。けれども、これだったのだなという何かを摑んだ感触はなかった。死にゆく者が最後に手にすべき本とは思われない。これから人生を歩む人、社会を築いてゆく人には有効であろうが、一作のようにひたすら下降線を辿る人、人生の冬を迎える人には向かないと結論づけた。
 その点、『老子』や『荘子』を読むと、何とも言えない安心感を覚える。荘子は妻を亡くしたとき、両足を投げ出し盆をたたいて歌った。妻に死なれて悲しまぬ夫がいるであろうか。荘子も悲しんだはずである。けれども、すぐに気づいて悲しむのをやめた。天地が四季の循環を繰り返すように人間の生命もそうなのだと。
 一作も嘆かぬことにした。天の懐に抱かれた妻は、はじめて此岸の苦しみから逃れ得た。一作は、葬儀、戒名、墓、仏壇等々の件で、葬式仏教に手酷く痛めつけられて、仏教に対する考えを変えた。葬式仏教が釈尊の教えを原点とするとは、とうてい考えられない。他方、この国における老荘思想は大らかであった。
 ──宗教を判断する最も有効な基準は、金を寄越せと言うか言わないかに尽きる。
 一作は妻と最愛の息子を亡くした際、この教訓を得た。遠くからエンジン音が響いてきた。あれだけの大きな音となると、トラックに違いない。
(無心さんはさすがに手慣れている。トラックに越冬資材を満載してきたな)
 一作の想像どおりトラックは隣家のあたりでとまった。二、三人の声と、荷物を下ろす音がした。プロの仕事は早い。手早く片づけると、トラックはすぐに引き返していった。その直後、嚠喨たる竹の音がした。
「無心さんが帰宅を告げている」
 一作はそのように受け取った。


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