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失われる感覚

いわゆる美術の感覚が自分から離れていっている気がすると気付いてから2年ほど経った。

手でメディウムを扱う感覚、身体性のある表現活動、描くために見る目、様々あげるとキリがないが、確実に自分の中から距離が遠くなっていく感覚がある。

公園のカモや桜の木、凍った水面を毎日観察していく中で研ぎ澄ましてきた感覚が今ではもうほとんど再現できない。

何か手を触れられない場所にある物みたとき、全力で手で触ったときの感覚をイメージする。自分よりも大きい物を見た時、頭の中で模型サイズにして全表面を手や体でなぞって形を吸収する。

周りにあるもの全ての自分への影響を集中して感じてみる事ができていたし、そういうふうに研ぎ澄ましてきた。

今、ほとんどの制作を画面上で過ごしていて感覚への集中はほぼ全くない、過敏になっていくのは視覚を処理する脳の機能だけである。

五感が曇っていて複雑なものをそのまま受け入れる事ができない。

あらゆる技術や化学、物語は身近な生活の中に繋がり、立体的な情報の構造をつくっている。

研ぎ澄ます五感は身近な生活を眺める中で、いくつもの層を持つ俯瞰的な視点に自分を飛ばし、きっかけや発見を与えて続けてきた。

目の前で起こっている事を一歩引いて把握できず、表出しているものにそれ以上が無い。

このまま身体感覚を雑音の中で失い続けて進んでいくしかないのだろうか。

静かに周りを見つめていきたい。

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