善と悪
何が良いことで、何が悪いことなのか
学生時代は多感な時期で、多くの悩みや揺れ動く自分の気持ちと向き合いながら生活する。
ドフトエフスキーは言っている、「人間の心の中には神と悪魔が戦っている。そしてその戦場は、人間の心の中である」と。
大人ですら誘惑に負けることとは多々あるし、何が善で何が悪なのか明確に線引きすることは難しいだろう。
学校生活では、このように自分の心の中で神と悪魔が戦う場面は本当に多いのではないだろうか?
困っている友達のために答えを見せてあげることは良いことなのだろうか?
友達の悪口を聞いたとき、その本人に聞いた悪口の内容を伝えることは良いことなのだろうか?それとも悪いことなのだろうか?
学校のルールと友達との約束。優先すべきはどっちなのだろうか?
自分の好きなようにすることが、本当は自分にとって良くないこと、悪いことかもしれない。
好きなことだけをすることは、自分にとって悪いことであるときもある。
心も同じ。
「良薬は口に苦し」というのは薬だけでなく仲間の忠告や上司の意見にもあてはまる。
善悪の問題は本当に難しい。
その場で答えを教えてあげれば、その人からは感謝されるだろう。しかしその人のためにはならないだろう。かと言って教えないのも悪い気がする…
結局のところ、善悪は人それぞれによって答えが異なるのだろう。
だからルールがある。だから法律がある。
それが国であり、会社であり、学校である。
法律は決して善ではない
法律に従うことは正しいこと、犯すことは間違いである。
しかし、法律に従うことが良いことで、犯すことが悪いこととは限らない。
なぜなら、時代や社会によって法律は違うから。人殺しが英雄になる時代もあった。
加害者を許すことのできない凄惨な事件も多い。
日本に死刑制度が残っているのも議論の余地はあるだろう。
しかし社会が決めた法律に善悪はない。それは変わるものだから。
しかし、いつの時代も変わらない善悪もあるはずである。
善悪の基準は、自分の心の中にある
結局のところ、善悪を決めるのは個人のパーソナリティーである。
だから常に自分の心で考えなくてはならない。その時その場で自分で判断して行動しなくてはいけない。
それがマナーであり、その人のアイデンティティなのではないだろうか。
私は生徒に伝えたい。学校こそ社会の縮図だと。
学校こそ個人のアイデンティティを育くむ大切な大切な場所であると。
日々学ぼう。学校で学べることは勉強だけではないのだから。