会社のような学校のような
会社へ向かう車の中で、お気に入りの音楽を聴きながら、指先はリズムを取っている。
リズム感は悪くないと思っていたが、なんとなく指先がついてこなくなってきた気がした。
音楽を聴き、リズムを感じ、頭から指先へ信号を送っているが、それが遅くなってきている。
私の父は認知症で、私も遺伝子的にはそうなる可能性はあるのだろう。
私に似ている父が、そうなってしまった理由を考えることは、よくある。
どこかで、そうなりたくないと思っているのだろう。
定年で仕事を辞め、人とのコミュニケーションが苦手な父は、家にひきこもっていた。
話すのは好きだったと思うが、会話のキャッチボールが苦手だったのかもしれない。
でもお気に入りのゲームを、飽きもせず毎日やって、楽しそうではあった。
苦手を避け、好きなことだけして、もしかしたら幸せだと感じていたのかもしれない。
家族以外と会話しなかったことや、同じゲームしかしなかったこと。
そんなことも、認知症になった原因ではないかと思ったりする。
多少のストレスや、脳に負荷をかけることは、脳機能には必要なのだと思うようになった。
そして、リズムが刻めなくなるのは、普通にそろそろヤバいのかなって思った。
あとは、会社へ行くという日常がなくなった時、私は規律正しい生活を送れるだろうかとも思った。
ひきこもって、誰とも話さなくなり、もしかしたら父と同じ道を、、、
いゃ、そうならないようにしたい。
会社へ行くのがイヤだとか思っているけれど、実は、時間や場所が決まっていなければ、動けないのかもしれない。
そんな人は、意外とたくさんいるかも。
フリーランスの人、すごいなって思った。
自分に厳しくできる人なのかもなって。
でも、ある程度、時間や場所が決まっていなければ動けない。
そんな人の居場所があればいい、と考えた。
すると、あ!学校?って思った。
子供達だけではなく、年齢関係なく行ける学校があればいいな、と。
みんなで一緒に、勉強や、図画工作や音楽を習ったり。
時には、生徒である高齢者が、先生になったり。
子供達が先生になり、おじいちゃんやおばあちゃんに教えてあげたり。
給食だって、みんなで食べよう。
困ったことがあれば、みんなで話し合おう。
年齢なんて、関係なくって。
学校も会社もいけない、ひきこもっている人も、ふらっと立ち寄り、自分を取り戻せる場所。
なんか分からないけれど、そんなことを考えて、なんとなく涙が出そうになった。
年齢とか関係なく、みんな行けるといいよね。
少子化が進んで、子供達が少なくなっている学校に、近所の高齢者がいてもいいんじゃないかな。
子供達や高齢者、いろんな世代のそれぞれの自分らしさを、活かすことができるんじゃないか。
なんだかめちゃめちゃ本気で、そんなことを考えて、真剣だけど、にやけてしまった。
全世代が、当たり前に通える場所。
会社でもなく、学校でもなく。
いゃ、会社のような、学校のような。
なんだか、そんな場所があればいいな、作りたいなと、突然思いついたので、今日のnoteに残しておきます。