背中を押す 共に歩く
我が家の日めくりカレンダーには、今日はこんなことをやるといいよとか、これはやめておこうねみたいな、ひとことコメントが書いてある。
今日は、あまり動かない方がいいよ、みたいなことが書いてあった。
でも、私的には、仕事も休みである今日、動きたい。
やりたいこともあった。
娘に話すと、あっさり、いゃ今日やるべきだよね、と。
そんなひとことコメントに、決めてもらうのはおかしいよね、と。
確かにそう。
自分でも分かってる。
でも、それ気にしてるんでしょ?と。
そうだね。
確かに気にしてる。
明日はやる気ないかもよ。
でも今日始めたって、やらなくなったら、そのひとことコメントのせいにするんでしょ?
だけど続けられたら、そのひとことコメントのことは忘れると思うよ。
占いとか、誰かに何か言われても、自分がやらずに後悔するのはイヤだから、私ならやる。
お母さんも自分で決めればいいよ。
私の答えはすぐに決まった。
はい、やります。
最近、私を占ってくれた方々も、優しく背中を押してくれた気がする。
娘も身近な存在だからこそ、本音で厳しく感じるが、確実に背中を押してくれる。
そうやって、背中を押してくれる存在が、私には必要。
そして、そんな人達に助けられて、私は前に進んで行くのだと思う。
私も、1歩踏み出せない人の背中を、押してあげたい。
でも優柔不断だし、出来ないかもしれないと感じる。
ただ一緒にゆっくり、歩いてあげられるかも。
そんなことを考えながら、私のいろんな経験を思い出す。
私もそうだった、ではなく、私は今もそうである。
そう伝えるということ。
自分は違うではなく、自分も一緒だってことを伝える。
そして、一緒に歩いていこう。
そう言えるように。
そんな場所作りに、少し踏み出せた気がしています。
そして、また学ぶことが増えて、時間割を作らなければと、考えているのです。