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編集者は「絶滅危惧種」か。

「昔は・・・」なんていう言葉はベテラン世代からよく聞いたものだ。
しかし、心の中では「今は時代が違うからなあ・・」と思っていたのも事実。

書籍関連の仕事をしていると、版元によっていろいろな編集者と一緒に仕事をする。経験上の話だが、割と名の通った出版社の編集者には外れは少ない。ただし、離職率の高い版元はやはりダメな編集者が多かった気がする。
要するに、編集者とは名ばかりで、編集ができないのである。

編集という仕事は、例えば雑誌であれば、担当誌面をどうプロデュースするか、
ひとことで言えば、全体を把握して製作する仕事だ。
担当編集の考える誌面構成を実現するのが、ライターやカメラマン、イラストレーターということになる。

雑誌全体の構成を見ているのが、いわば編集長になる。

しかし、いつからだろうか。特に小さい版元では編集経験もない人間が、入社していきなり「編集者」の名刺をつくっている。
アシスタント期間もない。

派遣社員の「編集者」というのも少なくない。

問題は「編集」を単なるオペレーションにしか考えていないケースが多くなったことだ。
例えば、雑誌でいえば
「2ページなので、写真は4点ほど入れて、文字量は1200〜1500文字くらいでまとめてください」という編集もどきがいる。

美容と健康でというテーマだとして、どういう切り口で、美容の何にポイントを置くのか、そういうことを説明もせずに文字数だけ言えばいいと勘違いしているもどきが増えている。

こちらも素人ではないので、ゼロベースで書くことはないので、いままでの経験からだいたいの範囲はわかるが、編集部の意向が明確でない場合は厄介だ。

何となくの雰囲気で、「●●号のときの健康特集と同じ感じで」・・・なんて半端な説明でおわってしまう。もちろん、構成すら考えられない相手にこちらも期待しない。

要するに編集者がいない時代になった。いや、絶滅しかかっているように感じる。

逆に言えば、もう編集はオペレーション作業で、
ページの見栄えを整える、進行整理になってしまっているのだろうか。

ネット時代になって、活字量は多くなっているにもかかわらず、
文章レベルや表現の中身は薄くなっているように感じる。

かつて「知」の資源として活用されていた書籍文化は
その大部分が紙の「エンターテイメント」化した成果物に置き換わってしまった。
だから、編集者も編集できなくても仕事をしているつもりでいられるのだろうか。
そういう意味で、つまらない書籍が氾濫しているようになったのかもしれない。

編集者が「絶滅危惧種」になっていると思うのは、
私だけではなさそうだ。



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