笑われて、笑われて、強くなる
すっかり読まなくなってしまったが、太宰治が大好きだ。
とはいえ十年以上太宰の作品に触れておらず、人生の酸いも甘いも多少知った今「ハッ、このメンヘラすけこまし野郎が」などと罵倒しかねないことを恐れてますます読めずにいる。
ただ、中学生から二十代にかけて太宰治の作品に励まされて生きてきた。大げさに言えば命綱だった。「女生徒」の一節を日記に書き写してお守りとしていた。C-PTSDや虐待についての研究が圧倒的に進んでいない時代、己の生きづらさに苦しみながら生み出した作品が時代も場所も超えて赤の他人を救っていたとは太宰も予想外であろう。
表題の「笑われて、笑われて、強くなる」は太宰治の有名な名言だ。
「人間失格」に書かれているらしいが、あらすじもまったくもって失念していた。ただ、この言葉だけはずっと覚えている。もしかしたら太宰自身、己を鼓舞するために言い聞かせていたのかもしれない。
虐待サバイバーはどうしてもはにかみ屋になりやすい。生まれ育つなかで散々コケにされてきたから。馬鹿にされ、見下され、それでもその歪な環境で生き抜くためには道化にならざるをえないから。だから、笑われることは死ぬほど怖い。これ以上自分をゴミ扱いしないでくれ、と叫びだしそうになる。一番安全なのは何もせず、じっと縮こまって留まることだ。同時にそれは最も愚かな選択でもある。自分の人生を始めるためには覚悟を決めて立ち上がる瞬間が必要になる。それを世に問うとき、不格好で無様な姿を嘲笑する人は一定数現れるだろう。最低だが、わたしも嘲笑する側の人間だったから、わかる。
それでも、その歩みを続け人生を切り拓くことでぐしゃぐしゃに踏みつけにされた尊厳を取り戻せる。あなたをコケにしてきた相手は成功しようともずっとバカにし続ける。どうもがこうとも彼らにとってあなたは格下なのだ。そこに理由などない。でも、内在化した恐怖に立ち向かっていけば、少しずつ自分の人生を取り戻せていく、と信じている。わたしの中に「お前なんかなにもできるはずないじゃんwwww」という嘲笑が残っていても少しずつやりたかった思いをわたしと共に果たしていく。
きっと、みんな、みんな強くなれる。大丈夫。