俺の屍を越えてゆけ
いつの世も「昔に比べて現代は悪くなっている派」と「現代は昔より良くなっていく派」が常にいるように感じている。わたしは「今は(たとえ停滞し後退する時期があったとしても)昔より良くなっていく派」だ。ここ10年ほどでこちら側の考えに転向した。
デジタルネイティブではないものの、インターネットの恩恵にあずかり様々に雑多な知識をかいつまんでこれた。たった百年前の過去であっても、上流階層でもない庶民(それもどちらかと言えば今は貧困層だ)がその気さえあればある程度の情報にアクセスでき、飢えずに済んでいることはとてつもないラッキーである。これはわたしの実力でもなんでもない。たまたま生まれた時代と国に恵まれただけだ。ご先祖様の努力のたまものだ。
ここまで来るのにどれだけ多くの先祖たちが屍となってくれたのか、と思うと「こりゃもう拝むしかねぇよな」と泣きそうになる。今の私がそうであるようにご先祖様もアレキサンダー大王級のどでかいことを成し遂げたわけではないだろう。日々の生活を営々と続け、一生懸命に生き抜いたのだと貧弱な想像をする。大正生まれの母方の祖母は「冬はあかぎれが痛くてね」と話してくれた。両親たちは元道産子だ。お湯なんか出るわけもない真冬に、共用水道で洗い物をしていたのだろう。雪かきだってしなきゃいけない。外に稼ぎに行きつつも、子どもたちのセーターも手編みしていたというのだから私なんかが足元にも及ばないほどに八面六臂の働きをしていたのだ。
令和の今だって「女である」悔しさに奥歯をギリッと噛みしめそうになるときもある。昭和、大正、明治と時代をさかのぼれば、その悔しさはもっと大きかったはずだ。母のことは嫌いだが、おそらくそれなりに頭脳明晰だった彼女はどれだけ「女なんだから」の鋳型にぎゅうぎゅうと押しこめられしまったのだろう。
父に対しての強い憎しみは拭い去れないが、向上心を持って上京した先で圧倒的な文化資本の差を見てしまった辛さはどれだけのことだったろう。北海道では多少は文化的だと思っていたちんけなプライドを粉々に打ち砕くほどのハイソサエティの周縁に居た惨めさはどれだけのことだったろう。
その結果として物質的にも文化的素養も自分たち世代より恵まれ、恵まれているが故にその恩恵を理解できない子を見たときの理屈では抑えきれないとてもない嫉妬心に彼らもどれだけ苦しめられてきたのだろう。
親子ってのは業が深い。歯を食いしばってつないできた命のバトンも、この一族では風前の灯火だ。図らずも受け取ってしまったこのバトンを子らにどう渡していくか皆目見当がつかず怖がっているが、それでもやるしかねぇんだよな、と肚をくくりかけている。
わたしに連なる多くのご先祖様のおかげでここまで良い生活をさせていただいたのだから、わたしもせめて子どもたちの生活の礎になれる屍になっていきたい。
俺の屍を越えてゆけ