日仏妊婦&出産比較記3(妊娠後期)
2020年1月、日本で娘を出産(32週早産、1136gの極低出生体重児)。2023年4月、フランスで息子を出産。日本に比べてフランスの出産ってこんな感じなのか!と参考になるものが書ければよいのだけど、高血圧&高齢出産のダブルハイリスク妊婦ということで日本でもフランスでも特別コースを歩んだ。なので残念ながら、これからフランスで出産!という人の役に立つような内容は書けない。
おもしろいと思って読んでくれる人がいればな、と記録に残しました。
もし何らかのご縁でここにたどり着いた方の中で「これからフランスで産むから詳しい制度とか情報を知りたくて調べものしている」という方はこの記事はエンタメ程度に読んで、他のちゃんとした方のブログなどを検索することをおすすめします(ごめん)。
そして娘の妊娠期間の記録をほとんど残していなかったので、ついでにここに多少残すことにした。日仏の出産までの流れの比較だけじゃなくて話があちこちに飛ぶ内容になっています。
【出産妊娠関連の投稿一覧】
日仏妊婦&出産比較記1(妊娠初期)
日仏妊婦&出産比較記2(妊娠中期)
日仏妊婦&出産比較記3(妊娠後期)>この記事
日仏妊婦&出産比較記4(出産)
日仏妊婦&出産比較記5(出産後~退院)
日仏妊婦&出産比較記6(退院後)※後ほど
日仏妊婦&出産比較記 番外編(病院食)
24時間蓄尿検査
28週で受けた検診で処方された「尿蛋白を調べるための2週間毎の尿検査」。1ヶ月に1回のトキソプラズマ血液検査と合わせてラボに予約を入れた。
受付でフランス語で何か言われ、でっかいボトルを差し出されたのだけど、よくわからない。普段は、多少知っているフラ語単語、英語に似ている単語、文脈に助けられざっくりと理解できるんだけど、全く会話の推測ができない。
で受付のお姉さんは「24、24!」と言っている。ん…..??あああああー、そうか24時間の蓄尿か!!!言われてみれば主治医が尿検査処方する時にそんなこと言っていた気がする(忘れるなよ)。
これ、娘の出産の時に入院中にやっていた。だから何のことか想像ついたけど、やったことなかったら翻訳アプリに頼らないと分からんかっただろうな。ていうかそれでも24時間?おしっこを?溜める……??どゆこと?ってなってたと思う。
娘の時は、普通の尿検査で尿蛋白の数値が上がり始めたころに24時間蓄尿検査を始めた。今回は尿蛋白出ていないのにいきなり24時間蓄尿が始まった。
2週間に1回。朝起きてから翌朝起きるまで、すべての尿をでっかいボトルに溜める。その日は出かけられない。正確にいうと、別に出かけられないわけではない。しかし、ただでさえ妊婦は頻尿がちだ。ボトルを持ち歩けば出かけられるのだけど面倒。またこのボトルの蓋の締まりが甘い。ちょっと傾けると漏れる。危険すぎる。ので外出は控えたい。
日本での検査の時は入院中だったので病院内だった。溜めるボトルの中に、尿が腐らないようになんらかの薬液を入れて蓄尿した。今回はそんな薬液もらってない。いいのか?
助産師さんの定期訪問はじまり
28週の検診で処方された「週1回の助産師による訪問検査」が30週から始まった。家に来てもらえるのはありがたい。
基本的には「調子はどう?」っていう問診、出産に向けての質問があればする、そしてメインはNSTという感じ。NSTとは出産経験がある人ならわかると思うけど、お腹にパッドみたいなのを付けて30分ほど胎児の心音と子宮の張りをモニターするもの。
胎児の心音はずっと一定じゃなくて速くなったり遅くなったりするらしいんだけど、「速くなる」タイミングが30分に5回以上あるといいんだってさ。日本の病院で何度もNSTしてたけど(入院中に至っては1日に複数回)初耳。
助産師さんいわく、NST始めて少しもしないうちに、心音聞いてこれは順調、余裕で30分で5回は行く、と思ったらしい。そのくらい経過が順調でなんとも嬉しい。
順調すぎて、いつかどこかにまさかの落とし穴があるんじゃないか?とたまに考えてしまう早産脳。「順調な経過」を素直に喜ばなきゃな。
助産師さんに関しては、両親学級的なものを開いているので普通はそれに参加したりするんだけど、私は言葉ができないから、ビデオあるからそれを夫と二人で自宅でみるといい、と初回の面談の時に言われた。が、結局見ていない。そのうち見よう……日本と違う点とか確認しておかなきゃな、と(結局出産まで見ることなく終わってしまった)。
ということで出産まで週1の助産師さんによる訪問は続く。ありがたや。
31週の妊婦検診
そろそろ未知の32週突破も迫るということで、質問をいっぱい携えて検診に挑んだ。
まずはエコー。経過はすこぶる順調。胎盤の位置もさらに上がってきていて、ボルドーでの出産はないでしょう、ということだった。ほっ。
体重は1670g。胎児発育曲線のほぼ平均値。すごい!娘は32週で産まれて1136g。お腹の中の子は産まれた時の娘よりもう大きいのか……。不思議な感じだ。
幸い、日本と違ってコンビニがないうえに、食べたいものが簡単に入手できないので(猛烈に小腹が空いたときに食べたくなるのは、おにぎり、うどん、せんべい、ラーメン……)、すっごく暴飲暴食している気はしない。それでもここ最近よく食べてるなぁと感じる。しかし我が家に体重計はない。今回は先生に体重どう?とも聞かれず測定もしなかった。私の体重は今どんなことになっているのだろうか。
日本の病院では最初の頃に助産師さんとのミーティングで入院時の話とか、各ステージごとのイベントごと(両親学級とか)とか、入院時の持ち物の説明があった。さらに、名前は忘れたけど色々説明が書いてあったりバースプランを書き込める冊子をもらった。しかしここではそんなものもらっていない。
娘が産まれた32週を越える=いつ産まれてもおかしくない、というのが私の頭。なので持ち物や、このまま順調に行った際の帝王切開予定日が知りたかった。
持ち物も帝王切開予定日も検診の翌週に病院から連絡があって決まる、とのこと。おお、いよいよ。お産は人それぞれ。帝王切開でも経腟分娩でも楽も大変もないけども、予定帝王切開のいいところを強いてあげれば事前に計画できるところよね……もちろんそれより前に生まれる可能性はゼロではないけど、「少なくともこの日までには産まれている」という日が分かる。特に上の子がいると、心の準備、様々な生活の手配ができてよい。
他に言われたことは、毎日飲んでいる低用量アスピリンは35週0日で終了してね、ということ。
あとは、麻酔科医との面談およびその数日前に血液検査を受ける処方箋が出された。
帝王切開日の連絡が来る
検診で主治医から「帝王切開日は来週病院から連絡がいく」と言われた”来週”はずっと音沙汰なし。と思ったらその週の金曜の夕方に電話が来て、メールも来た。助産師さんからだった。
帝王切開日は39週0日。ええ!そんなに遅くていいのか?その日までに、陣痛きたり破水したりしたらいやだよ。経腟分娩の痛みと帝王切開の痛みダブルでは経験したくない。しかも計画帝王切開じゃなくて緊急帝王切開になってしまうかもしれない。
言葉が通じない国での出産だがそこまであたふたしていないのは、前回の経験から自分のリスクを理解しているし、そのリスクが現実となった場合に何が起こるかもわかっているから。
が!ここに陣痛とか破水とか経験したことないものが加わると、さすがにフランスではパニクるのではないか……?
気になって調べたらこんなグラフを見つけた。
半数以上の赤ちゃんが40週より前に産まれてるじゃんか!!でも予定日は39週0日だから、39週より前を見ると26%か。そう考えると39週0日はそんなに怖い日取りではない。
そもそもそんな心配するより、まずは正産期に到達することが目標じゃないか。。。連絡を受け取ったのは32週の半ば。前回の出産日32週0日を超えてちょっと調子に乗っていたな、と。
もらった書類や持ち物の連絡
助産師さんからの連絡で、電話では入院時の持ち物を指示され、メールでは様々な書類が送られてきた。
【持ち物】
新生児のおむつ
病院でも用意するけど足りないこともあるので予備で用意新生児の着るもの
ベビーバスの湯温を測る温度計
バスタオル
私のも産まれる子のも洗面用具
だけ!!
フランスで出産した方の日本語ブログを読むと、家族手帳やらの行政&医療関連書類、水分補給のスプレー、使い捨てパンツ、はたまたベッドライトやら持ってくるように指示されてるのに……これでいいのか?(結局あとからちゃんとしたリストが病院のHPにあるということを訪問の助産師さんに教えてもらい知った。さすがフランス。担当者によって言うことが違う、というのあるある)。ていうかHPにあるならそれ教えてくれればいいのに。
日本では、検診について、両親学級、出産の心得、入院の持ち物、入院中の面会ルールなどあらゆる情報が載ったしおりというか本みたいなのを通院初期のもらった。それを読めば全て安心、みたいな内容。そういうのあると便利なのにな。
【受け取った書類】
帝王切開日と理由の連絡
日にちは39週0日。帝王切開の理由は「前回帝王切開だったから&本人の希望」と書かれていた。
この「本人の希望」とちゃんと確認を取るところは大事なのだろうなと感じた。過去帝王切開出産をした人はだいたい2回目以降も帝王切開になるのだけど、経腟分娩が絶対にダメというわけではない。なので最終的には本人の意思を確認することも大事なのだろう。
ちなみに私はそもそも前回「この方が速くて安全だから」と手術台の上でさらっと有無を言わさず縦切りを宣告された。過去縦切りだと経腟分娩の選択肢はほぼないらしい。そもそも安全第一なので希望はしていない。帝王切開の説明(リスクなど)
帝王切開の同意書
何か起きても訴えませんよ、というような内容私と夫の72時間前以降PCR検査の処方箋
着圧タイツの処方箋
検診でお願いして着圧タイツ処方してもらったけど、どうやらこれは希望したからだったらしい。入院する時は全員処方されるようで、あらためて処方された。処方箋に自分の足の長さとか書く欄があってそれを薬局に持っていく
麻酔科医との面談
31週の検診で出された、病院麻酔科医との面談処方箋。面談前に血液検査を受けるように言われたので前日にラボで血液採取。
面談を担当してくれたのは日本に3週間旅行に行ったことがあるという麻酔科医。あーだこーだと日本での楽しい思い出を語ってくれた。なんか嬉しい。
診察では前回の帝王切開の様子や今回の妊娠の経過を確認された。あとは何か質問や不安は?とも聞かれた。質問ではないが、前回麻酔が気持ち悪くて多少吐いた、と伝えたら、じゃあ気持ち悪くならない薬出すね、と言われた。そんなんあるんか。助かる。
驚いたのは「で、旦那さん立ち会う?」と。帝王切開に立ち会ったというフランスの友人の話は聞いていたが、どうやら地区によってルールが違って私たちの住んでいるところはNGだと聞いていた。でも違うらしい。立ち会えるらしい。ということで立ち会うことに。
手術室での立ち会いってどんなんなんだろうか。経腟分娩と違って、麻酔打ってお腹切って、はい生まれました、だからなんかあっさりしすぎているような気もする。でも前回麻酔が気持ち悪くて、助産師さんがずっと背中さすったりしてくれていたから夫がいるのは安心かも。そして出産に立ち会った経験のない夫がその経験ができるのは嬉しい。
日本の友人が、日本でも帝王切開立ち会えるところもある、と言っていたので調べてみたら、やっぱりできるところもあるらしい。知らなかった。
念には念を、の終盤戦
34週の検診を経て、最後の検診は37週。そこで羊水が少し減ってるから翌週も来るように言われた。羊水の量そのものは全然心配ない値なのだけど「前回より多少減っている」というのが心配らしい。
ということで38週に病院の助産師さんの検診が予約された(主治医の検診ではない)。行くとまず最初にNST。そのあと代理医師によるエコー。推定体重の計測などはなく、あくまで羊水の確認だった。結果問題なし。
しかし!NSTで30分の間に1分間、心拍数が落ち気味の期間があったので心配だ、ということで2回目実施。今度は心拍落ちる期間なく結果良好。と同時に血液検査(結局なんのための血液検査だったのかよくわからず)。
これで帰れる、と思ったら念のために3回目のNSTも、と言われ3回目実施。NSTの結果は問題なし。でも、血液検査の結果がまだ出てないから、あと1時間待ってと言われる。9時の予約で病院来てすでに12時。病院のカフェテリアで昼食を食べながら待つ。
戻ると血液検査の結果OK。病院内のどこかにいるであろう主治医の見解も問題なし。ということでようやく解放された。と思ったら「念のため明日も
NSTしに来て」と……。念には念を、がすごすぎる。私がハイリスク妊婦だからなのか、フランスがそうなのか、主治医がそういう人なのか。何はともあれ、些細なことまで見逃さずチェックしてもらえるのはありがたい。
翌日も出向きNST30分。結果問題なく返された。が、助産師さんが主治医を捕まえて報告して判断仰ぐまでに+20分くらいかかって、結局病院に1時間ほど滞在。
さあ、今度こそ、次に病院来るのは入院時だ……。
第一子出産時の「妊娠後期」=2回目の入院生活を紹介
第一子の出産予定日は3月初旬だった。もちろん中期で入院してからは、恐らくそこまでいかないんじゃないか、と心のどこかで思っていた。
当時のtwitterを元に振り返ってみる。ツイートを元に書いてるから、他の箇所と文章の温度感違うけどごめんなさい。
胎児が成長曲線の下限に近付いていく
12月中旬の27週の検診で胎児が小さめなので来週も来てと言われ、結局28週も29週も検診へ。徐々に胎児成長曲線の下限ギリギリのギリギリに近づいていくお腹の子の推定体重。年末年始はかろうじて自宅で過ごさせてもらったけど、クリスマスや正月のご馳走の塩分にビクビク怯えながら、これ恐らく年明けたら入院生活が待ってるなーと感じていた。
30週4日で再び入院
年始最初の診察で胎児が成長曲線から外れた。尿蛋白も+4に爆上がり。ということで入院決定、30週4日で再び収監される。中期に入院した時と全く同じ部屋の全く同じベッドをあてがわれた。病棟の看護師さんたちに「あら久しぶり~」と言われる始末。
入院早々、輸血についての説明を受ける。さらに自己輸血のために採血9本。もういつ手術になってもいいように段取り組んでるんだなという印象。
若干高いなと思っていた血圧が入院当日の夕方に180までぐいーんと上がって看護師さんと一緒になってビビる。再計測したら200になっていて目ん玉飛び出そうになった。で、指示された薬を飲んだら170まで下がったけど、いよいよ、いつ「その時」が来てもおかしくない感じ。と思ったら就寝前に120台まで下がっていた。んで翌朝はまた170に上昇。
いつ出産になってもいいように準備が進む
私の主治医はファンモン加藤先生なのだが、その上にいる教授が「妊娠高血腎症の研究に力を入れている先生」、つまり私がこの病院に送り込まれたその理由の張本人である。この先生は前田吟にとても似ていた。そして50半ばを過ぎていると思う脳だが肌艶がとても良い。いつもニコニコしていた穏やかな感じの先生。ということで私は勝手に肌艶吟先生と呼んでいた。
入院翌日に、肌艶吟先生がベッドに来て相変わらずの穏やかな優しい口調で「血圧上がっちゃったねぇ。薬だけでは安定しなさそうだから点滴始める予定でいるよ」と。
その10分後くらいにファンモン加藤先生がいつものように病室に登場。ノックなしにカーテン開けて「どう?」。おい。
血圧下げる点滴開始、そして子癇防止のためにマグネシウム製剤の点滴も始める、さらにステロイドも打つからと伝えられる。34週前の胎児はまだ肺が出来上がっていないから、肺の成長を促進するために2日連続でステロイドを打つ必要がある、と。
出た!教授回診
入院中、シャワーは好きな時間に浴びれるんだけど、看護師さんが「もうすぐ点滴始まるから今のうちにシャワー浴びな!」と気を利かせてくれた。そしてシャワーから戻ってきて濡れた髪にバスタオル巻いてベッドの上でへらへらストレッチしてたら、ファンモン加藤先生がまた突然登場。健康体そのものみたいな私のいで立ちにひと笑いしたあと「教授回診来るから!」と。
肌艶吟先生も教授なんだけど、産婦人科のトップではない。今まで私が会ったことのない、紳士的教授部長がお出ましになって「血圧あがっちゃってるんだね、頭痛ない?目チカチカしない?」と高血圧妊婦に対してお決まりの質問をして30秒も滞在せずに去っていった。人生で初めての教授回診。ちょっとした緊張感はやはり漂っていた。研修医などがぞろぞろあとに続いていたのもドラマと一緒だった。
いつ手術になっても大丈夫なように…
入院3日目は心電図と胸部レントゲン。帝王切開に向けての準備らしい(ちなみに第二子の時はどちらもやらなかったなぁ)。
点滴に効き具合を2日間みて、あまりよくなさそうだったら2日後(金曜日)に帝王切開だから!と言われる。もう目の前までその時は来ている、感じ。金曜日に手術するかどうかっていうのは週末を迎えて人員が手薄になる前にっていうことなんだろうね。
ということで金曜の午前の診察で手術するかどうかを決めるから朝食は延食と言い渡される。延食なので一応目の前に運ばれてくるわけで。いわゆるお預けの状態で診察を待つ。
結局、血圧は一旦安定したので来週また判断しましょう、となった。
そして日曜日に「また月曜に判断する」となった。で月曜朝は延食。血液検査もして、まだいける、となり「また金曜に判断」と。この病院の体制的に緊急帝王切開はなるべく月か金にやった方がいい人員体制なのかななんて勝手に想像する。
むくみと頭痛と苦しさと
子癇防止のマグセント、噂には聞いていたが体調を絶不調に追いやってくれる。なんか気持ち悪いし、顔もむくんでくる。高血圧妊婦によくある、足が象のようにむくんでくるっていう現象はなかったけど、顔がフランケンみたいになって目がつぶれてきた。倦怠感がすごい。頭も痛い。不調を訴えたら、マグセントやめることになった。そんなに簡単にやめさせてもらえるとは思わなかった。いいんだろうか。
そしてこの頃からはめちゃくちゃお腹が苦しくて息がしにくかった。普通の妊婦さんはここからあと8週くらい耐えるわけだ。もっとお腹大きくなってもっと苦しくなるのか、すげーな、なんて思った。のは思い違いだった。
私が苦しかったのはお腹の成長のせいではなく、腹水が溜まり始めていたからだった。勘違いも甚だしい。ちなみにマグセントやめても顔のむくみはなくならなかった。これも腹水の影響だったっぽい。
今日はやらない、からのやっぱり今日!
32週0日。朝食延食。午前診察。とりあえず、帝王切開は今日じゃない。という判断。また乗り切った。
と思ったら夕食後、当直だった艶肌吟先生が来てお腹の水のたまり具合を見て「もう限界だねぇ」と。血圧急上昇や体調の変化が今晩起きなければ明日の昼間、何か起きれば今晩だね!と。
21時の消灯前に肌艶吟教授がもう一度様子見に来たあと、看護師さんが血圧測定にきた。吟先生にもう一回念のため血圧測るように言われたらしい。血圧は確か140前後/104だった。160/110がいろんな意味でのラインだから、看護師さんと下がちょっとだけ高いけど許容内だねーなんて話してた。
そしたらその30分後くらいに、看護師さんに連れられて見知らぬ当直医さんが暗闇の中、懐中電灯と共にぬぼーっと現れて、冷静すぎる口調で本日の緊急帝王切開を告げに来た。教授と、あと電話でも主治医を交えて相談した結果、もう身体が限界だからねって。主治医は今病院に向かっている、と。
産んだのは一般的な妊娠後期のタイミングだけど、産んだ時の話は第二子の出産の投稿で紹介しようと思います。ちゃんちゃん。
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