2022年というか来仏後の生活をざっと振り返る
2022年5月末にフランスに移住。「映える」瞬間を撮るような日常を過ごしていないので、Facebookもインスタも放置気味(カメラロールの写真は子どもの写真ばかり)。日々ぼそぼそとつぶやくtwitterではリアルで近い友達とはあまりつながっていない。仲のいい友達とは定期的に連絡を取るもなかなかリアルタイムでやりとりできないので、どうしても情報が断片的になる。
バタバタと過ぎた半年ちょっとを自分のために振り返りつつ、「結局まゆこはどんなフランス生活を送っているのか?」と少しだけ気にしてくれている人たちもいると思うのでざざっと振り返ってみようと思う(という割にはめちゃくそ長くなった)。
こんな感じの7か月
5月:月末にフランス到着。義家族と対面
6月:とりあえずのんびり夏休み&気候が最高
7月:そろそろ在宅保育がつらい&地元でバカンス
8月:ブルターニュでバカンス。在宅保育まだつらい。
9月:娘の学校(幼稚園)がやっと始まるも予定外の登園断固拒否
10月:在宅保育在宅ワークつらい
11月:ヌヌありがとう&書類系がやっと落ち着く
12月:やっとやっとやっとの新居決定&ノエルバカンス
到着後~夏休み:ゆったりしながらも色々カオス
到着時は夫の弟妹が帰省していて歓迎してくれた。ビデオ電話であいさつしたことはあったけど実は会うのは初めて。人見知り大絶賛中のはずの娘は、びっくりするくらい義母、義妹弟にすぐに馴染んで遊んでくれたので助かった。義母の母も遊びにきてくれて、まとめて挨拶できた夏。
そして6月は気候がめちゃくちゃよくて、緑もきれいで、街並みも新鮮で、夫に「この街はまゆこには退屈だよ」と言われていたけど、いやいや住める全然住める、2万人という小さな規模だけど観光地だからある程度エンタメ揃ってるし、自然そこそこあるし、20分車走らせれば大きなモール的なところあるし、と。満喫していた。
気候が気分に与える影響ってすごい。この冬は雨続きで激寒の日もあったかと思えば15℃なんてクリスマスの雰囲気のかけらもない日もあったりで、全然気分がのらない、上に半年も経てばよいところに加え不満も出てきて、「ペリグーにずっと住める」は撤回(笑)。
夫の職業訓練学校は9月開始。そのための手続きを開始(フランスに住んでいないと手続き開始できないので入国前にはリサーチ以外何もできず)。学校と職業紹介オフィス?みたいなところが連携して手続きを進めるんだけど、さすがフランス、全然進まなかった。しかも空きがあるから7月から始められるよーと言われながらも、一向に始まらず、ずるずるずるずるして結局7月の最終週に始まった。ので「夫ナシでの在宅ワーク&育児がいつ始まるのか?」と日々不確定なままビクビク過ごした。心の健康に良くない。
その間に娘の幼稚園関係の書類揃えたり役所行ったり、でも行って無駄足だったり担当者によって言ってること違ったり、担当者バカンスで何も動かなかったりと、夫の職業訓練校申し込み以外にもフランスの行政対応の洗礼を受けた。
夫の学校がそんな感じでスケジュール決まらないからバカンスの予定も立てられず諦めていた。ところ、義父一家が私たちの街まで1週間ちょい遊びにきてくれた。プール付きの自然の中に建つ、でかいエアビーを借りてくれたので一緒に生活。自分の住む街にいながらバカンス気分を味わえた。義妹もたくさん娘と遊んでくれて大助かり。
そして夫の学校が始まり、学校の夏休みがあることがわかったので8月の頭には急遽、夫の祖父母宅があるブルターニュへ。夫の叔父&いとこ、叔母も集合し、いわゆる親戚があつまるバカンスを体験できた。海が近いの最高。シーフードが身近なのも最高。なぜか例年見ない猛暑だったペリグーより断然涼しい夏も最高。祖父母宅とはいえ観光地なので、バカンス気分も味わえて最高。祖母宅が広くて庭も広くて娘を放し飼い(!)にできて最高。
ペリグーの夏は(というよりフランスの夏は)比較的涼しい。湿気がない。はずなのに2022年はヨーロッパ各地猛暑。山火事発生したりして大変だった。
元々夏が暑くないので家庭にエアコンがない。ので、死ぬ。38℃とかをペリグーで体験するとは思っていなかった。そして日本ならイオンに避難!とか地下街やデパートに避難!とかできるのに半日、1日過ごせる大型商業施設がない。ので、石造りの家で木の窓を閉めて日陰を作り出し暑さをしのぐ日々だった。
娘の学校開始!の喜びもつかの間
フランスの教育システムは9月が新学期。2か月の在宅保育を乗り越え念願の新学期!
フランスの義務教育は3歳から
こちらは3歳になる年から義務教育。おもしろいのは新学期は9月はじまりだけど、年齢とういか学年のカウントは1月生まれから12月生まれまでが同学年となる。日本の新学期も同級生の始まりも4月からっていうのとはちょっと違う。
娘の年齢だとまだ義務教育年齢ではないので、多くの共働き家庭の子どもはcrècheと言われるいわゆる保育園的なところに行っている。ちなみにこのcrèche、妊娠3か月だか4か月の時点で申し込みをしないと全然入れないのだそう。パリとか大都市だけではなくある程度の郊外でもそんな感じなんだそうだ。保育園問題日本でもすごいけど、子育てに手厚いイメージのフランスでも激戦なのか……と。
ということで、2歳半で引っ越してきた娘がcrècheに入れるわけもなく、選択肢その2の幼稚園へ申し込むことに。日本語では幼稚園って私は勝手に呼んでいるが、フランス語ではecole maternelleと呼ばれている。ecoleは学校、maternelleは単語としては「母性」「母方の」「母国の」みたいな意味がある。まあでも「幼稚園」が分かりやすいのかな。
娘は義務教育年齢前なのだけど、幼稚園によっては1学年前から受け入れているところもありそこに入ることに。いわゆるプレ幼稚園みたいな感じ?日本でいうと。水曜以外の平日は8:30-16:30。水曜日は午前だけ。給食の時間は家に連れて帰る家族もあれば幼稚園で食べさせる家族もある。
ちなみに給食時間の子どもの世話は教師ではなく市の管轄らしい。その時間は先生の休憩時間ってことか?労働者が守られている、と思う。けど噂によるとフランスでも先生の離職率は激しいらしい。あくまで数人から聞いた話で何かデータを元に話しているわけじゃないので、世間話程度に捉えてください。
日本と同様、最初の1週間程度は慣らし。まずは午前だけの日を数日ってことで。教室は事前面談の時に見せてもらったけど、広くて安全そうで、おもちゃもたくさんあって明るい感じだった。お昼寝は別部屋があってコットが用意されいてる。給食は別棟の食堂で食べる。
周りの子どもが一回りでかい
初日、連れて行ったら、なんか、みんなデカい、子どもたちが。娘は低体重児として産まれNICUに6週間いた、が、今は成長曲線のど真ん中に追い付いていて、若干細身だけど小さいという感じはもうない。なのに、みんななんかデカい。アジアの血が入っているから小柄なのか?なんて思いながらとりあえず預けた。なんか寂しそうだったけど、まあどこでも初日はそんなもんだ、と。午前を終えて迎えにいったら、先生曰く、ずっと先生のそばから離れなかった、と。
翌日からはもう行く前からなんか行きたくなさそうな感じ。私が去ろうとすると泣き出す。まあまだ2日目、まだそんなもん、と思いつつ…….。
娘を日本の保育園に預け始めたのは1歳少し過ぎたころ。あの時も最初の3日間は泣いていたけど、まだしゃべれないし、意志表示も今ほどできなかったから親の心のダメージが低かった。今回はなんか切実な目をして「行きたくない」と訴えかけている感じが切なすぎる。そして言葉に出して「学校行かない」というのも心に刺さる。
そんな日々を繰り返しながら3-4日経っても、先生に「まだちょっと午後は難しい」と言われしばらく午前だけを続ける。日に日に娘の泣き叫びはエスカレート。到着しても上着を脱ぎたがらない、リュックも下ろしたくない。「私はここに属していないのだ」と言わんばかりに。大粒の涙を流してここにいたくないアピール。迎えに行くと大粒のうれし涙を流して絶叫しながら飛び跳ねて喜んでいた。
ただの慣れの問題ではないのかも、と思い始めた。でも約3か月の夏休み在宅ワーク&自宅保育を乗り切った私は、泣き叫ぶ娘を切なく思う気持ちとともに、ほんと毎日午前だけ、とかたった1時間半でお迎え呼び出しとか、もう、ちょっと、どうにも、仕事が……という感じでアップアップだった。
ちょっとお休みしてみることに
2週間を迎えたころ、先生に「ちょっと一回お休みした方がいいと思う」と言われた。担任は若い先生なのだけど、体調崩して数日間、校内の助っ人専門ベテラン先生みたいな人が担当してくれていた。そのベテラン先生に言われた。
きっと若手だと先生側からの提案として決断できなかったであろうところを、ベテランらしくはっきり言ってくれた。「私がこの子の親なら、一旦休ませる」と。
休み時間に外遊びが始まると門のところに行って「ママ―!ママ―!」と泣き叫ぶ。教室内でも定期的に、思い出したように「ママ―!ママ―!」と泣き叫ぶ。「泣く」じゃなくて「泣き叫ぶ」。
フランスでは、なのかこの学校では、なのかよく分からないけど、障がいを持った子どもも普通級に一緒に通っている。その子の専任アシスタント先生がついて。で、娘が泣き叫ぶことによって、センシティブな自閉症の子がパニックになってしまい、そこもちょっと困っているのだ、と。
それを聞くと、そうか、もう多方面的にダメなんだこれは、と思った。先生も、自閉症の子も、娘本人も。いつ迎えの呼び出しが来るのか不安な気持ちの中、仕事するくらいならしばらく家で見ていた方がいいよな、娘の心も心配だし、と、しばらく休ませることに。
クラスメイトは同学年ではなかった(おい!)
休ませた方がいい、という話をしている中で「娘ちゃんは一番年齢下だし」と言われた。19人の学級を先生3人で見る、と聞いていた。日本でいう2歳児クラス19人を3人で!と驚いていた。が、どうやら違った。
19人は、娘と同学年の2歳児クラスが1学年上の義務教育1年目の3歳児クラスに合体しているクラスだった。。。どうりで娘が小さく見えるわけだ。
ん?でも1月生まれだからプレ学年の中では最年長のはず、なんて思っていたら、プレの学年は4人ほどしか登録していなくて、その内1人はクリスマスまで午前中通い、残りの2人は登録だけしていたまだ登園開始していないんだと……。そういうことか。そりゃ圧倒されるよなと。
さらに、さすが「学校」と名前に入っている通り、日本の「幼稚園」とは違い、ちゃんと休み時間とかが決まっててその時間に外で遊んだり(実際の学校の様子)、机に向かってちょっとお勉強とかしたりするらしい(ネット情報)。ので日本の保育園とかと全く雰囲気違ったんだろうなと思う。まあ娘の年代のしかも新学期の「机に向かって」は工作とかが主だったみたいだけど。
そして、娘を休ませるようになって周囲のフランス人にいきさつを話すと「まだ早いよねー学校は」と色んな人に言われた。やはりcrècheとはやることが全然違うんだろうな、とその時やっと気づいた。みんなもっと最初に教えてくれよ……。3人育てたと言え義母も幼児育児はブランク15年以上(夫の妹は21歳)、夫はフランスの制度よくわかっていない、ので、今後はもっと自分でガツガツ情報を取りに行かねばという教訓を得れた。
ということで、登園開始2週間後からお休みに。在宅保育に戻った。朝の数時間、昼寝の間、夜寝かしつけ後、に仕事をする日々。
「お休み」とは言ったものの、娘が一番年下でしかも「学校」的環境のところに戻したいとは思えず、まあ無期欠席だな、どうしようかな、以前見学に行って少人数でかなり雰囲気良かったけど学費高すぎて諦めた近所の私立に思い切って通わせようかななんて考えていた。
ヌヌが色んな意味で大当たり
在宅ワーク&育児そして体力を持て余している娘の寝かしつけに1-1.5時間かかり、ヒーヒーいいながら過ごす秋。
フランスには「ヌヌ」という託児制度がある。ヌヌは通所型複数人ベビーシッターみたいな感じ。ヌヌの自宅で0歳から就学前の子たち(確か)最大4人を一人のヌヌが預かってくれる。このヌヌは研修を受けて市から許可を得てヌヌ業をしているので、無資格でもできるベビーシッターとは違う。
彼らはちゃんとした給料をもらっているのだけど、私たち親は全額を払う必要はない。市が、世帯収入に応じてカバーしてくれるので、ベビーシッターに払うようなとんでもない金額を払わなくてよい。日本人の私からしたら日本の保育園より断然安い。が、こっちの人は「ヌヌは高いよね」なんていう。
crècheが激戦であるのでおのずとヌヌも空きがない。が、幸運にもそれなりの近所に空きが1つあることが判明。10月の末に話を聞きに行って晴れて11月から通わせることに。
最初「自宅で子どもを預かる」と聞いて、その人の家のリビングで子どもたちを保育しているイメージを持っていた。さらに、子育て終えたおばあちゃんみたいな人がやっているイメージだった。
たぶん多くのところはそうなのだと思う。が、娘を預けることになったヌヌは、家の改装と同時に、ヌヌ業専用の部屋を作っていて、入り口もご自宅の玄関とは別。明るくて安全に作ってあっておもちゃや本もたくさん。ミニ保育所みたいな感じで感動した。そして子ども3人いて一番下はまだ7歳。現役の子育てママ。若い。
ちなみに昼食は1日3ユーロで手作りの昼ご飯を作ってくれる。3ユーロ払わずに弁当を持たせてもよい。
3€(今のレートだと日本円で520円)って聞くと子どもの給食としては高い気もするけど、朝弁当なんて作りたくないし、他のフランス人の子たちが食べるようなものを外で経験してくれるのはありがたい。私はどうしても日本食フュージョンになりがちだから。聞くと海老やお肉をちゃんと出してくれていて(この地域で海老は日本よりもさらにお高めのたんぱく源、肉も比較的高い)、バリエーションも様々でありがたい。
最初数日はちょっぴり泣いたりしていたけど、3-4日もしたらすんなりと通うようになった。
娘にとってヌヌは当たりだった
2か月たった今では月齢が±2か月違いのお友達2人と楽しそうに通っている。名前を覚えて呼び合うまでになった。
通い始めた当初は「お友達の名前なんていうの?」に対して「コパン!(フランス語で友達という意味)」と返ってきていたけど。そして生後4か月の赤ちゃんも通っていて、日ごろから自分より小さい子が大好きな娘は「べべ、べべ(フランス語で「赤ちゃん」)」と興味津々の毎日。
日本でも小規模保育所に通っていたので0-2歳まで20人以下、同学年は6人というアットホームな中で保育されていた。さらに兄弟はいないし賑やかなのには慣れていない。娘にとってこじんまりとしたヌヌはちょうどよかったと思う。
5月末にフランスに来て、義母がフランス語で話しかけるので、それなりの速度でフランス語を身に着けていた娘だけど、やはりお友達の力&1日6時間フラ語オンリーで過ごす環境はすごい。ぐんぐん言葉を吸収している。
娘の二か国語習得の様子はまた別の投稿で記録として残しておきたいって思ってる(思っている、書きたいことはある、でも身体が動かない。気持ちだけは前のめり)。
とにかく、5月中旬に日本の保育園に最終登園してから夏休み終わりまで在宅保育、たった2週間の幼稚園登園のちまた在宅保育という約5カ月を経て、やっと昼間に落ち着いて&娘の心の心配をせずに仕事をできる日々が来た。ブラボー!
聞いていた通りフランスのお役所関係は大変
フランスの役所手続きは一筋縄にはいかないと聞いていたけれど、自分たちの場合もご多聞に漏れず。
国民健康保険的なものの申し込み、到着前から色々調べ、入国直後から動いていたのに11月中旬にやっと整った感じだった。
幼稚園入園の手続きや夏休みの託児場所探しの時も似たような感じだった。のんびり感とたらいまわし感。
担当者によって言うこと(持って来いという書類)が違う、とにかく提出書類が多い、基本的に全部紙(日本の役所も紙と言われているけどそれ以上な気がする)。いいところを挙げると、役所がそんな感じだから、医者や病院に健康保険的なものに加入できていなくても手続き中だと伝えると「じゃあ加入できたときに支払いよろしく」みたいな感じで対応してくれるところ。役所がきっちりしていない分、世間もガチガチではないイメージはある。
これはあるあるではないのかもしれないけど、担当者がバカンスに入っているから、とその業務が止まっていたこともあった……。バカンスは良い、これはフランスのいいところだと思う、人生を楽しむって感じの。顧客のために無理してまで働け、とも言わない。担当者が休暇中ということによって多少業務の質が落ちるのもいたしかたない、かもしれない。が、担当者が休みだからってその業務そのものが止まるのだけは勘弁。
一旦怒涛の役所通い&書類提出は落ち着いた。残るは1つ。9月くらいに申請した日本運転免許→フランス免許の書き換えの音沙汰が、ない。こちらは2年半前からネット申請が可能になったので楽ではあった。5月まで国際免許有効だから別に急いではいないけど、もう3か月たってますぜ。ああ~ん?
在仏の人から聞くところによると、免許に限らずビザとかも、音沙汰ないとしびれ切らして問い合わせると「あ、できてるわよー」みたいなことよくあるらしい。そろそろ問い合わせたほうがいいかな。
移民の世話は手厚い
私は配偶者ビザで入国している、いわゆる長期ビザ。長期ビザでの滞在者はOFII(移民局みたいな感じのところ)から招集がかかると聞いていたけど、入国4か月後の9月になってやっと連絡が来た。家から1時間半のボルドーにある移民局で健康診断と医者の問診。
そして11月には面談と語学テストで再度招集。
12月から約4回の市民講座(フランスの歴史や法律、就労に関する情報なんかを学ぶ)と200時間の語学講座が始まった。
日本で夫のビザ申請1回、ビザ更新2回したけど、日本は初回の申請がとても面倒で、でも承認さえされれば在留カードもらってあとは放置って感じ。
かたやフランスは配偶者ビザ取るの結構簡単だった(基本フランス人の配偶者であればよっぽどのことがなければ承認されるイメージ)けど、とったあと色々義務(招集される、講座を受けるなど)がある。
さすが移民や難民が多い国だなと思った。日本は、大学に入るのは難しいけど入ってしまえば……みたいなのに似ているななんて思ったり。
とりあえず日本に住む外国人は「在留カード」が身分証明書になったのに対し、フランスでは(少なくとも1年目の私には)そのようなものは発行されず、基本パスポートしか身分証明書にならないという点が不便。
このOFIIの招集、市民講座、語学講座は、興味深かったので詳細は他の投稿で(書きかけ放置中&まだ受講中)。
年末、やっと引っ越し先が見つかる
来仏当初、家が見つかるまで義母宅に仮住まい、という予定だった。が気づけば12月……仮住まいとといいながら既にもう半年以上住んでいる。
来てすぐの夏休みはいろいろな手続きやらに追われてすぐに家探しできず。たまにアパート情報は見ていた。
生活リズムも落ち着いたころ本格的に家探しを始めるも
夫の身分が「無期限雇用」ではないため難航
しばらくは車なし生活なので住める地域が限定されている
2階以下の物件はそうそう見つからない
幼稚園/ヌヌから徒歩圏内でないとつらい
などの制約によりぜんっぜん条件を満たすところが見つからず。
夫の身分が「無期限雇用」ではないため難航
フランスでは雇用形態がいくつかあるのだが、「CDI」というのが水戸黄門の印籠みたいな位置づけ。CDIとは無期限雇用契約。日本でいう「正社員」なら社会的信頼があってお金借りたり家借りたりするのがスムーズ、というのと同じ。
夫は職業訓練学校に通う身なので、かなり賃貸契約上の信用は低い。業種的にヨーロッパ全土でかなり需要が高く、2月に訓練終了&国家資格取得後、就職はほぼ必ずできるくらいの求人需要があることは多くの人が知っているんだけど、それでもやはり「現在の身分は職業訓練生」であることに間違いはなく。
職業訓練生といえど国から手当てをもらっているので無給ではない。私の収入と合算すれば別に狙っているレベルのアパートを借りられないような世帯収入ではないのだけど、「フリーランス」はこの国でも日本同様信頼が低い。毎月の安定した収入が保証されていない、という点。
夫の母は自営業。持ち家を所有。が、やはり自営業、CGIより信用は低いらしい。ならば保証人を二人立てよう、と夫の父にもお願いした。夫の父は物価も給与水準もフランスよりはるかに高いヨーロッパのとある国で会社を経営している。
が、家主によっては賃貸契約の保険が「借り主の収入」の下限があるものだったりして、はじかれることがあった。これは最初に義母宅から徒歩3分の最高のロケーションに値段も間取りもそれなりにいいアパートを見つけた時の話。保証人以前の問題だった。
学習した私たちは、これぞというアパートをネットで見つけては、エージェントに連絡を取り、夫の身分と今後について、私がフリーランスであること、保証人は最強であることを伝え、ひっかかる保険に入っていない大家さんかどうか、などを見学前に確認する日々。
しばらくは車なし生活なので住める地域が限定されている
夫には車の免許がない。若いころ「車なんて環境に悪いものを運転するために20万もお金を使うくらいなら旅に使う」とか言って免許を取らなかったらしい。まあ20代前半、パリに住んでたし分からないでもない。ということで現在自動車学校に通っている。
で、義母宅は街中から徒歩10分以内。街中のスーパー2軒徒歩圏内(品揃えいいわけじゃないし割高だけど)。新鮮な野菜が手に入るマルシェが週に2回開催される広場ももちろん徒歩圏内。ということで早急に私のためだけに車を購入する理由が見当たらない。通勤してないし。
なので引っ越し先も街の中心に徒歩で行ける範囲で探さなければならない。
ちなみに引っ越しとは関係ないが、私が義母の車を借りられないことはないがマニュアル車。私はオートマ限定。なのでちょっとした用事の時に借りることも不可。フランスはいまだマニュアル文化。中古市場もマニュアル車の方が安い。時代は21世紀だよ、なんでだよ。
2階以下の物件はそうそう見つからない
フランスは建物が古い。地震がない国だから、石造りだから、この地域が空襲の被害を受けてないから、など色々理由はあると思う。
この町はパリやボルドーみたいに大都市じゃないから背の高い建物は少ない。それでもアパートは4-5階建てが多い。で、建物が古いからエレベーターがついていないアパートが多い。
そんな中、1階または2階の物件を探すのは結構難しい。子連れでまだベビーカー持ち歩く&買い物は週に1回まとめて購入という生活を考えるとエレベーターのない3階以上は無理。日本でもエレベーターのないアパートの3階に住んでいたけど、階段の幅が全然違う。こっちの階段は建物の中(屋内)にあって、基本狭いイメージ。螺旋で歩きにくい。フランスのアパートは日本に比べて天井が高いので1階分の距離も長い。こども連れて1週間分の買い物袋下げて3-4階まで上がるとか無理無理無理。
幼稚園/ヌヌから徒歩圏内でないとつらい
夏休みの時点で通う幼稚園が決まっていた。また11月に入ってからはヌヌが決まっていた。車がないので徒歩でヌヌに通えるロケーションじゃないと無理、という条件も加わりさらに家探しは難航。
立地的に街に近いのもあり、1LDK的な間取りの方が多く市場に出回っていた気がする。うちが探していたのは少なくとも2部屋があるアパート。郊外に行けばこの条件に当てはまるところはもっとあったと思う。
最終的に直取引で決まった
不動産屋さんを通すと、色々しっかりしている反面、個人的な細かい交渉ができないのが難点。今の私たちの状況だと直の方が通りやすい、ということで日本でいうとなんだろうジモティにはあまり近くないけど無理やり例えるとやはりジモティみたいなサイトで家探しを始めた。
そしたら街の中心から徒歩10分弱、ヌヌの家にも近い、しかも1軒屋の2DKを見つけた。2LDKじゃないのが少し残念だけど、そもそも今の身分で探した家に何年も住むつもりはなく1-2年住めればと思っていたのでとても良い。
自転車好きの私たちはグラベルバイク2台、そして子どもを載せて引く自転車用トレーラーを保持している。この家にはガレージがあってそこに自転車もベビーカーもトレーラーもなんならキャンプ道具もなんでも押し込める。
ロケーションは完璧、ガレージがあるのも完璧、ちょっとせまいけど家賃も身の丈に合っている。ということで契約決定。
直取引のため、大家さんは夫の現身分はあまり気にしていなかった。夫父のプロフィールが大家さんにとっては最強の信頼の証だったよう。また、夫と同じ高校出身だったという地元感&義母が持ち家を持ってこの地に住んでいるというのも、こいつは逃げないだろうという安心感があったのかも。
家の見学前に「社会地位的クレジットがないので、現金で家賃3か月分先に払います」という交渉のカードを持って行ったけど、信頼しているから不要だと言われた。ありがたや。
あとから聞いたら70件以上のオファーがあったらしい。その中で結構初期にコンタクトとって見学予定取り付けた私たちはラッキーだった。
ペリグーはリタイア組に人気のエリア。元々不動産的には売り手市場らしい。そこにコロナで収入が減って引っ越しを控える人が出てきてさらに市場に物件が少ない、というあまりよくない状況で、まあなんとか契約までこじつけてよかったよかった。
フランスで初めてのクリスマス
色んな人から「フランスのクリスマスはどんなん?」と聞かれる。たぶんみんなのイメージ通りだと思う、フランスのクリスマス。
街中のクリスマス
クリスマスマーケット的なものが各地で開催され(マルシェ・ド・ノエルと呼ばれてる)、もともと情緒ある町並みがイルミネーションで飾られさらに「いわゆるヨーロッパのクリスマス」な町並みになる。もちろんこの街はパリの華やかさには全く届かないけど。
街のインスタ投稿貼っときます。
街の中心からかなり近所に住んでいるので、クリスマスマーケットには気軽に行ける。が、気軽に行けすぎて&引っ越し準備で忙しくて、結局まじめに訪問することなく12月が終了。買い物のついでに何度か通過したくらいで、本格的に「マーケット行こう!」といったタイミングはなかった。とはいっても、小さな町なので規模もそんなに大きくなく、そもそも本気を出して訪れるほどのものではないけど。
行くなら夜の方が雰囲気あるし、せっかくだからホットワインなんぞ、なんて思うんだろうけど2歳を連れていると寒い12月に夜出歩くってことに対してのハードルがかなり高い。
プレッツェルやラクレットなんかの食べ物、ホットワインとかを売っている屋台があったり、革製品とか地元の特産品とか売っているお店があったり(雑貨関連はなぜこのチョイスなのかよくわからなかった)。あと小さなスケートリンクがあってスケートを楽しめる。週末はすごい行列かつ、リンクの上はイモ洗い状態。
ちなみに家族そろって買い物帰りに歩いた日は、メインステージみたいなところで素人カラオケ大会やっていて、それがマーケット全体のBGMになっていて耳が死んだ。「素人歌上手い人カラオケ大会」ではなく「ほんとの素人カラオケ大会」だった。やるならメインステージだけの音響でやってくれ。
このマーケットの他に、町の中心の反対側の大きな駐車場に、移動遊園地が現れていた。ネオンキラキラのバイキングとかあった。けど2歳児とアラフォーには無縁なので足を踏み入れることなく終了した。
来年は時間にもう少し余裕あるだろうから「フランスのクリスマス」を一応きちんと経験したいと思う。
家族と過ごすフランスのクリスマス
ガイド時代、欧米諸国の人に「日本のクリスマスってどんなん?」と聞かれると日本のクリスマスは欧米の正月、日本の正月は欧米でいうクリスマスみたいな感じ、と答えていた。欧米とかいって、アメリカとオーストラリアのクリスマスしか生で経験したことないくせに。
で、これはフランスにももちろん当てはまっていて、クリスマスは家族や親せきとあつまってごちそドーン!、正月は花火とかあがったりして友達や恋人とパーティー!みたいな感じ。
といっても義母宅は、妹弟が1週間ほど帰省し、イブの夜に恒例のラクレットとチョコミントアイスケーキを食べる、というかなりあっさりしたものだった。在仏日本人妻たちが、19時や20時からアペロ(なんていうんだろご飯の前の前菜みたいな、スナックとかカナッペとか出てくる感じ)が始まり、ディナーは20時や21時開始、食べて飲んでしゃべってだらだらだら、気づいたら日付越えている、これが連日(しかもチーズやバターメインの料理)、というフランスの習慣に胃も心も疲れ果てている悲鳴を多方面から聞く感じ、このあっさりは意外とラッキーかもしれない。
でもやっぱり、年末年始のメインは食!&12月に入ると、12月30-1月2日あたりの献立を家族で相談し始める家庭で育った私には若干物足りなかった。
やっぱり日本人としては正月気分に浸りたい
せめて正月っぽくということで31日の夕食に、その辺のスーパーで入手できる何の変哲もない韓国製蕎麦(乾麺)で作った鳥南蛮そばを食べた。
2023年は気合入れてお節を作ってみたいと思う。
大都市に住んでいないので食に関して金で解決できない問題も多く(れんこんとかかまぼことか全く見当たらない。ネットでも生鮮食品は調達できない。たぶんボルドー行けばあるはず。あ、結局「交通費」という金で解決になるのかこれは)かなり事前のリサーチと計画が必要だとは思うけど。やっぱり「正月!」って感じに浸らないと新しい年が始まる新たな気分になれない。自分は日本人だと感じる瞬間。
フランスは1月2日には世の中が通常運転に戻る。この投稿を仕上げているのは実は既に1月3日。日本の友達との新年のあいさつLINEや、SNSで流れる箱根駅伝の様子をチラ見しながら、ちょっとだけ正月気分に浸っているけど、なんか2023年の幕開け列車に置いて行かれたような気分になっている。
結局毎日はどうかというと
日々の生活はというと
平日
6時半起床、家族でごはん。夫出勤、娘をヌヌに送り(8時開始)家で仕事。
15時に娘を迎えに行き、家で遊び(天気よければ近くの公園で遊ぶ)、17時過ぎに風呂(またはシャワー)に入れ、そうするうちに夫が帰宅。18時過ぎ夕食。19時半には娘就寝準備。運良ければ娘20時に就寝、運悪ければ娘21時半に就寝。それから自分の時間、で22時半~23時に就寝!
日本にいるとき夕食は3品くらい作ってたけど今は1-2品。だいぶ楽してる。そもそも小皿とか小鉢ないし(と器のせいにする)。
どんなもの食べてるかはまた別で書いてみたいと思います。
土曜日
マルシェの日なので、マルシェでにぎわう街中へ朝からGO!パン屋さんでパンオーショコラを買い、知り合いのアメリカ人が経営する英語本屋兼カフェで朝ごはん食べながらコーヒー飲みながらだらだら。ここの子どもが5歳と1歳なので娘の遊び相手してくれて楽。
店主としゃべったり英語をしゃべるフランス人客としゃべったりフランス在住英語話者としゃべったり、色んな情報&刺激を得る。フランスという国や文化を客観的にみれる人が集まるから、心地いい。フランス人でも海外に15年以上住んでいた、という人も来るので、視野が広くておもしろい。
あと、元チェスのグランドマスターのおじいちゃんが定期的に顔をだしてくれるので夫はここで毎週チェストレーニング(なのか?対局なのか?)をしている。
午後は週1の大型買い出しにでかけたり、天気がよければ川沿いを散歩したり、日本人の知り合い家族に遊んでもらったり、なにも予定なく寒すぎたり暑すぎたりしたらNetflixやディズニー+にかじりついて過ごす。。。
日曜日
ほとんどの店がやっていない。国を挙げて「休息日ですよ!」という感じが、いいなぁと思う。ただ、そういう姿勢がいいなぁと思うだけで、子連れ共働き家庭にとっては土日の買い物のチャンスの内1日なかったことにされているので、大きい買い物したい時とかはけっこうつらいシステム。
土曜の午後同様、サイクリングしたり、近所の公園行ったり。車がないので日曜日の充実度はまだまだ低い。
フランス生活半年経ってみて&2023年は
「フランスの生活はどう?」とよく聞かれるんだけど、仕事は日本でやってた仕事を引き続きリモートで、子育てと家事など日々の生活はほぼ日本と変わらず。で平日の生活は日本とほとんど変わっていない。
もちろん定期的に発生するお役所関係の書類提出、子どもを医者に連れていく、など日本とは違うシチュエーションはあるものの、劇的に何かが変わった感じはあまりしない。
買い物がスムーズじゃない
欲しいものの調達に時間がかかるというのはあるかもしれない。そもそも欲しいと思う商品がフランスに存在しているのか、から考えなければいけないから(スポンジの投稿参照)。あと、社会人生活20年で蓄積した「これが欲しい時はこのお店、このブランド」みたいな知識がないので、買い物に対して腰が重くなった。こんな感じのこんな価格帯のジーンズが欲しい、って思ったときどこで探せばいいんだ?って感じで。
買い物つながりで言うと、安くて栄養ある食材!しかも簡単!みたいな今までの生活で蓄積してきた定番レシピが通用しないことが多くそれはストレスでもあり冒険テーマでもある。
納豆、もやしをはじめとした大豆製品が全然見当たらないのが痛い。こちら野菜は結構安いけど肉や魚は高め。なので良質&リーズナブルなたんぱく源である大豆に頼りたいところだけど、ほとんとみかけない、または見かけても激高い。
同じように食物繊維豊富、安い、香り豊かなキノコ類があまり豊富じゃないのも悩みの種。もちろんフランスにも色んな種類のキノコは存在するが、日本で「マッシュルーム」と呼ばれているキノコ以外は毎日の食卓に出せるような価格ではない。
職業病を掘り下げたい
人々の習慣や行動傾向、世の中で起きていることと、それらの背景にある歴史や文化、法律などを紐づけようとする職業病。人の行動や不満に思う社会的習慣を「なぜこの国はそうなのか?」と考える日々が楽しい。
考えるだけでなく在仏10年のニューヨーカーと意見交換したりして、それも楽しい。アメリカと日本は文化違うな、なんて思ってたけど、フランスを比較対象にすると、日本とアメリカは大きな視点でいうと同じサイドにいる気がする、フランスに対して。働き方の文化とか。
まだまだ理解不能なことたくさんあるけど、2023年はさらに多くの人に聞いたりリサーチしたりして深掘りして、フランス生活を楽しみたいと思ってます。
フラ語学習
あとは、フランス語がんばります。ありがたいことに仕事もあるし、英語でつるめる心地良いコミュニティを見つけてしまったりで、語学上達に対する動機がかなり行方不明。だけどやっぱり語学は世界を広げると思うので、仏語学習もちゃんとしたいと思います。
仕事をフランスカレンダーでやる
日本の仕事をしているので大型の休みはなるべく日本の休みに合わせて働くようにしている。とはいえリアルタイムで連絡を取り合いながらする仕事ではないので、単発の祝日に関しては、日本の祝日に働き、こちらの祝日には休ませてもらっている。
とにかくフランスは学校の休みが多い。
9月に新年度が始まったと思ったら
10月の終わり~11月の頭まで2週間の秋休み
クリスマス休暇が2週間ちょい
2月中旬から3月頭までの冬休み2週間ちょい
4月下旬から5月頭まで2週間ちょいの春休み
7月頭から夏休み2か月
や す み が お お す ぎ ! ! !
ヌヌは社会人に合わせたカレンダーで稼働してくれるのでうちの娘は今度の9月まではそんなに休みは多くない。が、9ヶ月後の就学後のことも考えて、取引先の都合ではなく自分主導でスケジュールを決められる仕事を増やしていきたいなぁというのが2023年の計画。
子どもと過ごせる時間はあっというまに過ぎてしまう、という先輩方の助言を受け止めているというのと、娘に日本語や日本文化を伝えられるのは私だけと考えると娘が家にいる時間はなるべく日本に触れさせれてあげたいと考えると、仕事を調整する必要がある。
仕事に振り回される人間だとは思ってないけど、仕事が楽しくて&無意味な責任感で仕事の没頭するタイプだったので(それは必ずしも悪いことではないんだけど)、もっと自分の人生を楽しむ、仕事はおまけ(?)なフランススタイルを取り入れていきたいと思う。
趣味
3歳児育児して仕事しながらだとなかなか趣味の時間なんて、という感じだけど、夫の帰りが18時前、と早いこともあり夜に多少時間がある。のはフランスのいいところ。
チェスをやる人が周りに多いのでチェスを嗜めるようになりたいと考えてます、はい。その内、将棋も理解できるようになれたらな。
2023年もよろしくお願いします
なんだか結局15,000字近い長文投稿になってしまった。書き残しておきたいことはまだまだあるわけで。メモだけで残っているものを早いうちに日の目を見させたいなと思っています。
では、2023年もよろしくお願いします。夏には一時帰国するぞー!したいぞー!(宣言、言霊)。
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