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プラスの裏側

子供の時にピーマンとか魚のはらわたとか
食べれないのには好き嫌いとかではなく
感覚が敏感で苦味を大人よりも感じるからだと
友達か誰かわすれちゃったけど誰かしらからきいた。

これを聞いてなんとなく感じたことがあった。
ひとつは親が「好き嫌いなくたべなさい!!」
っていうのは半分正解で半分間違っているんだなと。
大人以上に苦みを感じるのであればそりゃ食べる気も失せる。
別に特別栄養が豊富なわけでもないのに。
他で全然補えるのに。親で栄養に詳しくないのに
自分がつくったものやからたべろという半分パワハラみたいなもので
強要させているのかと。
坂上忍やったら
「パァワァハァラだよねぇ!!」っていうくらいに。
結局人って自分の常識の間でいきてるんやなと。

もう一個は大人になってピーマンとか魚のはらわたとかって
昔嫌いやったのにたべれるようになったのは
俺も大人になったんやなぁってお酒飲みながら
しみじみ感じて得も言われぬ気持ちになってたけど
食べれるようになった分、敏感な感覚を失っているんやなって。
何かを得るためには何かを失うのはやはり共通しているのかと。
どっちがいいとかはないけれども
子供の時に感じていた無邪気な気持ちも年を取るにつれて
薄れていき、感動していたものが薄れていく方が
心は豊かではなくなって、全部打算的に考えてしまうのは
何かもったいないなと感じてしまって
ピーマンおいしいって感じること以上に
何か大切なものを失ってしまっているのでは?
と。そうやってふと思いながら乗っていた電車の車内を見渡すと
みんなスマホに目を落とし
まるでスマホにたましいを吸われているかのように
目に正気はないようにみえた。

スマホをあえてもたずに出かけた休みの俺は
無敵だと感じた。自分で自分を満たすために。

その代わりに先輩と予定していたのに
先輩が仕事早く終わったから先行ってる
という連絡見れなくて
入れ違いで会えませんでした。
スマホって便利ですね。
令和ですね。

では、また。 こまでぃでした。

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