「私の看護理論に対する印象は決して良くなかった。大学最初の看護の講義「看護学概論」で看護理論なるものに初めて出会った。その時は臨床実践で繰り広げられているものが何か分からず、看護といえばナイチンゲール‼ということで、看護を何か「温かい心のこもったもの」としてとらえることを強いられたようだった。・・・(中略)・・・看護理論では常に看護師の存在が語られているが、私の事例の体験からすると看護師抜きの患者の世界をできるだけ広く俯瞰し、そこに看護師の存在を置いてみることもできるのではないかと気づいた。患者との関わりのいつ・どこに看護師(自分)を置くのかは自分で決められるのかもしれない。そうなると看護理論は無限に拡がっていくことになる。看護師一人ひとりに看護理論ができ、患者一人ひとりに対しても看護理論ができる。それはもはや理論ではない、という見方もあるかもしれないが、どのように患者の世界を俯瞰するのか、またどんな風に看護師を置くのか、というプロセスは看護学が一番大事にしている「個別性」に続いていくのではないだろうか。ーあとがきより一部抜粋」
というわけで、現代看護理論、できました。