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【東大受験】現代文に苦手意識のあるあなたへ

はじめに

以下の記事を投稿してから有難くも当初の想定以上の反響があり、やはり当時の私と同じ悩みを抱えている方は多いのだなと実感する次第である。

個別指導についても有難いことに記事投稿直後から早速に申し込みがあり、顔も名前も知らない私の個別指導に大きな勇気と決断を持って申し込んでいただいたものと認識している。
正直なところ、現在の学力状況に関係なく、そのような決断ができる時点で大きな才能があると考えており、そのご期待に報いるべく、私が苦節して獲得した東大合格や司法試験(予備試験)合格のノウハウを惜しげもなくすべて伝授させて頂くとともに、基本的な受験戦略の立案から各個別科目の対策まで、全力で支援させて頂く意向である。
「東大に絶対入りたい」という、強い意志と執念があり、その為であればいくらでも努力できるのに、努力の方向性が分からないが故にゴールの見えない不安の中をもがき苦しんでいる、(かつての私のような)まさに君の為にこそ、私の個別指導は存在しているからだ。

現代文の学習法

さて、今回の記事は、みなさん悩む人が多いであろう、現代文の学習法についての話である。
一般的に、東大現代文については、学力が低くても意外と高得点が取れたりする一方で、必ずしも勉強量と比例して点数が伸びる科目ではないとされており、また採点基準についても数学や英語などと比べればブラックボックスの要素が強いため、あまり対策に時間をかけすぎない方が良いとされている。
それゆえ東大国語については、比較的標準的な難易度とされている古文漢文を固めて、現代文は守りの答案を書く、というのがセオリーであり、その方針自体について、私の方から特段異議を述べるものではない。

しかし、「勉強すればするほど指数関数的に点数が伸びる科目ではない」という点については、私は否定したい。私は、現代文を伸ばすことのできる科目であると考えている。
なぜか?すなわち、私からすれば、現代文を伸ばす方法は確かにあるものの、巷の参考書や予備校でそれを教えるのは極めて難しい、というだけにすぎない。

以下、ご説明しよう。

◯一般的な現代文の学習法

一般的に「現代文の勉強法」と言われてすぐ思い浮かぶものは何か?

  1. 読解法系の参考書を読む

  2. 現代文の予備校講座を取る

  3. 問題集で問題演習を行う

  4. キーワード・語彙系の参考書を読む

  5. 読書する

  6. 新聞を読む

色々挙げてみたが、おそらくメジャーなのは上記1〜3あたりではないかと思われる。
なお勉強熱心な受験生は4についても抜かりない。
5、6は、どこかで一度は耳にして試してみるやつである。

◯どの勉強法が最も有効か?

では、上記1~6の勉強法のうち、本質的な現代文の力を伸ばす上で、どの勉強法が最もよいだろうか?
さて、早速結論を言おう。
最も効果があるのは、5の読書と6の新聞
だ。

上記結論について、君は意外に思われるかもしれない。
「親や学校の先生に言われて、読書やら新聞に目を通すやらしてきたけど、実際にやってみて現代文が伸びそうだなと思ったことなんてないぞ。」
その気持ちは物凄くよくわかる。何を隠そう、この私がその一人だ。
親や先生の言葉を信じて、沢山の小説を読み、毎日、新聞にも目を通した。
しかし、それによって何の現代文の実力の増加も実感できなかった。
その結果、私は「カリスマ予備校講師」だの「現代文対策の名著」だのが教えている「文章を意味段落に分け、キーワードを四角で囲い、それらを線で繋いで…」だの、「本文中の言葉のみを使って解答案を作成し…」などという、今思えば本質でも何でもない馬鹿げた芸当に貴重な受験勉強の時間をつぎ込むことになってしまったのだ。

しかし、現代文の力を実質的に伸ばすには、少なくともその初期段階において、読書や新聞に目を通すことは不可欠であると言っていい。
問題は、そこに一定の条件があることである。「読書や新聞を読め」という輩は(私の両親含め)ごまんといるが、私が知る限り、この「条件」の部分を教えている人にまず出会ったことがない。

◯ではその「条件」とは何か?

冷静に考えてみよう。そもそもなぜ本や新聞を読むだけで、現代文の力が上がるのか?そこでもし「語彙力が増えるから」とか言ってくる人たちがいれば、彼らはおそらく読書や新聞を読むことの意味を何にもわかっていないので、一切無視してよろしい。もちろん、本や新聞を読めば副次的に一定の語彙は増えるだろうが、それを主目的として本や新聞を読むのはあまりに非効率的すぎる。それこそ語彙系の参考書でも読んだ方が幾分マシである。

ではなぜ本や新聞を読む必要があるか?
結論を言おう。
それは、現代文が、常識の学問だからである。
すなわち、現代文の力を実質的に伸ばすための「一定の条件」とは、この「常識」が身につくような方法ないし態様で、本や新聞が読まれている(読むべき本や新聞が取捨選択されていることも含む。)ということである。

◯「常識の学問」とは?

では、「現代文は常識の学問である」とはどういうことか?
簡単に説明しよう。以下の文章を読んでほしい。

  1. Aさんは、まず起きて朝食にパフェを食べることにしている。

  2. その後Aさんは出勤後、昼休みになると、ランチは職場の近くのケーキ屋でショートケーキを買って食べることにしている。

  3. そして帰宅後の夕食では、ホットケーキにたっぷりと蜂蜜をかけて食べるのが日課だ。

では問題を出そう。「上記文章から、Aさんは、どんな人だと言えるだろうか?」

わかりやすくするため、あえて簡単な問題文としているので、普通に読者の皆様の常識ベースで考えてほしい。
おそらく、普通に考えれば、「甘党の人」とか、「甘いものが好きな人」とかいう答えが出てくるだろう。(さらに頭が回る人は、そう答えさせるのが出題者の意図だな、ということまでわかる。)
もしここで、巷に流布しているような「文章中の言葉を使って」解答しようとし、「朝食にパフェを食べ、昼食にケーキ屋でケーキを食べ、夕食にホットケーキに蜂蜜をたっぷり食べるのが日課な人」などと解答してしまうことが、いかに採点者の興を削いでしまう行為であるか、上記の例からよくわかるだろう。しかしながら、得てして現代文が不得意な生徒(かつての私もそうであった。)は、混乱の果てに、上記のような解答案を作ってしまうのである。

ちょっと脇道に逸れたので、本題に戻る。なぜ現代文が常識の学問か?という話だ。
上記の問題を解答しようとした時に、我々の脳内では以下のような処理が行われたりする。

  1. 朝食にパフェを食べる?なぜ?異常だ。なぜ朝からそんなに甘いものを食べるのか?甘いものが好きなのか?

  2. 昼食にケーキを食べる?なぜ?これも異常だなぜおにぎりやサンドイッチではなく、甘いデザートのケーキなのか?やっぱり甘いものが好きなのか?

  3. 夕食にホットケーキ?それ自体ちょっとおかしいが、これまでの文脈を考えればなおさら異常だ何でこの人は3食甘いものを食っているのか?少なくともこの文章を読む限り、Aさんは異常なレベルで甘いものが好きな人としか考えられない。

ここで重要なのは、上記において、パフェ=甘いもの、ショートケーキ=甘いもの、ホットケーキ+蜂蜜=甘いものという認識(さらに言えば、それらを朝昼夕の三食で食べることが異常なことであるという認識)については、当然の常識として前提にされており、一切本文中で説明されていないということだ。

つまり、一見簡単に見える上記の文章題は、パフェ=甘いもの、ショートケーキ=甘いもの、ホットケーキ+蜂蜜=甘いものという「常識」がない限り、絶対に解くことができないようになっている。(例えば、「パフェ」、「ショートケーキ」、「ホットケーキ」をそれぞれ「クラブジャムン」、「バルフィ」、「ジャレビ」に読み替えてみよう。読み替え後の単語が甘い食べ物であるとわからなければ、同じ問題でも絶対に正解できないだろう。)
よく、「答えは本文中にある」「本文中の根拠のみから論理的に考えろ」などと教える予備校講師などがいるが、これはかなりミスリーディングだと思う。
すなわち、どれだけ問題文を論理的に把握して、そこから考えようとしたところで、問題作成者が問題作成に際して当然の前提として想定している「常識」を解答者側が知っていなければ、現代文で高得点を取ることは絶対にできないようになっている。
これこそが現代文が「常識の学問」たる所以である。

◯読書と新聞は、君の常識を豊かにする

では、現代文が「常識の学問」であることと、読書や新聞がどう関係するか?察しの良い人はもうお気づきかもしれない。
読書や新聞は、現代文を解く上で隠れた前提となっている、君たちの「常識」を豊かにするツールなのである。
「なるほど、言いたいことはわかった。でも、単に時事ネタとかに詳しくなれば良いのなら、各種SNSやネットニュースを日常的にみていれば身につくのでは?」
残念、ことはそんなに簡単ではない。ここで一つ注意点がある。これが実は現代文の対策を最も難しくたらしめている、隠れた、しかし最重要の原因なのだが、現代文における「常識」とは、「問題作成者たる大学教授陣にとっての」「常識」である、という事実である。

◯大学教授の考える「常識」とは何か

現代文における「常識」とは、「問題作成者たる大学教授陣にとっての」「常識」であること、これが何を意味するか?
そのためには、大学教授が普段どんなことをやっている人たちか、考えてみよう。
大学に行ったことのある人ならお分かりだろうが、大学教授というのは、その学問領域を問わず、究極的には「知」ないし「真理の探究」というものに人生の全てを注ぐことを決意した人々であり、古今東西の難しい古典文献や最新の論文を読んで、理解し、そして自らも論文を書いて発表したりしている人である。また、恐らく現代文の問題作成にメインで携わっているのであろう文系の教授たちは、現代社会における各種の社会問題(や、その背後にある社会の構造)の理解にも強い関心を有し、その情報収集の方法として、新聞を大いに活用する。(なお、現代では新聞を時代遅れの産物とみなして一顧だにしない者も増えているように思う。勿論彼らの指摘には一理あるが、同年代ではもはや絶滅危惧種のごとく日々複数社の新聞を読んでいる私からすれば、これは非常に勿体無いと思われる。テレビやネットニュースでは決して得られない「裏話」のような部分(なぜこの法案は可決/否決される見込みなのか?その問題の背景にどう言う業界団体が控えているのか?等々)が新聞には大量に記載されており、この辺の理解は社会情勢の正確な把握に大きく役立つ。(ただし、各新聞には独自の政治スタンスがあるので一紙の情報のみ鵜呑みにするのが危険であることは言うまでもない。最低でも左右両陣営の新聞を比較検討するのが望ましいが、おそらく現代の普通の高校生はそもそも新聞を読みすらしないと思うので、一紙でも読んでいるのであれば上出来である。))

彼らが本や新聞を読むことで形成されてきた「常識」と、普通の高校生・浪人生が幼少期からスマホでSNSやネットニュースを見ることで形成された有する「常識」には、巨大なギャップがあることがわかるだろう。
現代文を得意にしたいのなら、簡単ながら彼ら大学教授陣の有する「常識」が身につくような本…例えば大学教授の書いた一般向けの入門書とかを読むべきだし(分厚い本を読んでいる時間はないので、新書レベルで良い。なお、私の個別指導を受けてくれた人には、この辺のおすすめの書籍も伝授するのでお楽しみに。)新聞についても、ただ出来事を何となく読むのではなくて、その背後にどのような構造や因果関係が隠れているかを考察しながら、社会で現在起きている問題と、目の前の勉強との相互関係(この相互関係は必ず存在するそして、それを理解しておくことは極めて重要だ。なぜなら、大学入試で問うている知識や能力は、究極的には、君たちがこの社会問題を理解し解決するために必要な前提知識や能力であるからだ。)を理解しながら読むべきである。

◯既存の予備校や参考書での対策は難しい

現代文の対策が難しい理由は、そもそも講師側が上記の「常識の差異」の事実に気づいていないか、気づいていても、自身の教養の不足でそのギャップの埋め合わせができなかったりする。上記のギャップを埋めるには、そもそも講師自身に一定のアカデミズムの教養・素養がなくてはならない。あなたの現代文の講師は、政治学、法律学、経済学、哲学、歴史学、文学等々の各種文系学問領域について、最低でも入門書や代表的な古典(言うまでもないが、ここでの「入門書や古典」については、「学問研究に際しての」入門書や古典のことを指している。巷の書店の店頭に並んでいるような、「超訳〜」だの「◯分で分かる〜」だのと言った「ビジネス書」のことではない。)は読んでいるだろうか?個別指導を始める前の凡人の私ですらその辺は学部生の段階でごく基本的な一般教養として読んでいるのだもし読んでいないのなら、申し訳ないがその講師は論外と言わざるを得ない。早急にアカデミズムを齧っていそうな別の講師を探すべきだ。

また仮に教えられたとしても、構造的な問題もある。
まず、情報伝達形式が「一対多」である参考書形式や予備校形式では、教えられた情報の実践に際しては基本的に各受験生の主体性に大きく任せることとなるので、「本を読め」「新聞を読め」というアドバイスをしたところで、アドバイス後、各生徒が実際にどんな本・新聞を読んだか、そしてそこから何を考えたか、という一番重要な部分をキャッチアップすることができない。
また、参考書や予備校のビジネスにおいては、上記「一対多」の情報伝達形式における「多」側の母集団の数が多ければ多いほど儲かるのであり、それが実質的に効果があるか否かを問わず、多数派の母集団に刺さるような情報を発信した方が良いということになるのである。「文章を意味段落に分け、キーワードを四角で囲い、それらを線で繋いで…」とか、「本文中の言葉のみを使って解答案を作成し…」とかいう、わかりやすく、すぐに実践が可能で、しかも(例え無意味であっても)何となくやった感の出る「文章整理テクニック」を教えることに終始する参考書や予備校講師が多いのには、おそらくそういうある種の構造的な問題も絡んでいるのだろう。

ちなみに、そういう情報整理技術については、私から見ればどう見てもいわゆる「受験テクニック」の類に分類すべきものと思われるのだが、なぜか受験テクニックをメインで教えている講師に限って、「テクニックには頼るな、私が教える「読解法」こそが本質だ」などと自らのテクニックを「読解法」などと称して喧伝したりする傾向にあるように感じる(しかもそれで、現代文の予備校業界の頂点付近に君臨したりもしている。)。この点は注意が必要であるように思われる。
なお、念のためであるが、勿論そういう「情報整理をすること」それ自体が悪いわけではない。メモしながら読んだ方が読みやすいのは当然である。問題は、そういう単なるメモ技術にすぎないものをあたかも万能ツールか何かのように教えてしまうことである。表層的な文章整理をいくら行っても、目の前の文章を読むために必要となる「常識」が問題作成者の想定レベルに達していないのであれば、残念なことに、いくら情報整理をしても無意味という他ない。

◯では、どうすべきか?

上記のように、既存の参考書や予備校のやり方では、東大教授陣と受験生の常識の「ギャップ」を埋めることは、難しいと思われる。(かつての私のように、大きな試行錯誤が求められるだろう。)
では、諦めるしかないのか?そんなことはない。
結論として、東大教授側の価値観や問題意識を理解している講師による個別指導であれば、両者間のギャップをある程度埋め合わせる(少なくとも、大学教授側の問題意識は理解させる)ことは可能であると考えている。

私自身、東大在学時代は当然東大教授の講義を受講し、彼らのゼミにも参加して日々彼らと議論した経験があるので、その過程で彼らが基本的教養としてどんな・どのように本や新聞を読んでおり、また学問についてどんな価値観を抱いているか(≒どんな学生を求めているか)、ある程度理解しているものと自負している。

受験生当時は考えられなかったことであるが、今の私は、東大入試だろうがどこの入試だろうが、現代文の問題文を読むと、「ああ、この論点についての話ね」「世間一般の常識ではこう言う議論(理解)がされているはずだけど、今回の問題ではどう切り取ってくるんだろう(どう理解して欲しいんだろう)」「ここは普通の高校生の常識では理解が難しいだろうから、ここを丁寧に書き切れるかどうかが勝負だな」のような、ある種メタ的な読み方ができるようになっている。

正直なところ、東大現代文の入試では、上記ようなメタ的視点の端くれに到達するだけでも十分高得点が取れるものと考えている。だって、既存の予備校や参考書に頼っている通常の受験生たち(かつての私もその一人である。)は、単なる「常識」のギャップが原因で理解不能となっているものを、「読解法」なる文章整理術や文脈判断により無理やりカバーしようとし、それでは当然文章理解は不完全となるため、結果方向違いのズレた答案が生み出されると言う悲劇が大量発生しているからである。
私自身、試行錯誤と苦節の果てに東大の教授はどんな学生を欲しているのか?」という逆転の発想をするに至り、メタ視点の端くれに到達したからこそ、凡人の割には比較的高得点で合格できたものと考えている。

私の個別指導では、おすすめの参考書籍(どれも大学教授が一般の人たち向けにわかりやすく学問の解説をしている、短い書籍である。)や新聞の読み方を丁寧に解説し、それを通じて上記のような大学側の問題意識や「メタ視点」が自然と身につくように指導していく。
一見、非直接的・非効率的な授業に思えるかもしれないが、上記のような「訓練」をある程度継続して終えた後に現代文の過去問などを解いてみると、身についた「常識」により、恐ろしく文章が読みやすくなるのがわかるだろう

さらに付け加えると、上記のように読書や新聞に慣れ親しんでいることは、受験対策を超えて、必ずやその後の人生でも役立つものと信じている。
アカデミックな本や新聞を読むことを続けていると、難解な内容の書籍を読むための基礎体力がどんどんついていくので、良質な教養がどんどん身につく(そしてそれが楽しくなる)とともに、現在の社会構造の正確な把握や、将来の社会の動きのある程度の予測などもできるようになっていく。
私個人、そのおかげで、予備試験・司法試験の受験における法律学習は非常にやりやすかった。
就活や日々の仕事でも、読書や新聞を読むことが習慣になっていない人よりは明らかにワンランク上のアウトプットができるようになる(そしてそれは当然目立つし、評価される)であろうし、交友関係趣味の領域などでも、引き出しが広がり、年次が上の人とも話が合いやすくなる
現代文の力(国語力)が全科目の基礎である、というのは、実際その力を磨いてみてよくわかる。まさに「知は力なり」である

現代文で悩む君へ。連絡を待つ。

もし、日頃「現代文の名著」や「カリスマ予備校講師」の教えている「読解法」を一生懸命に取り入れながら、現時点で全く本質的な実力が伸びている実感がないということであれば、入試当日までに早急に対策が必要と思われる。
上記の通り、この部分は「常識」に関わるものであるため、私の個別指導でも指導可能であるものの、当然一朝一夕で身につくものではなく、個別指導の対策開始は早ければ早いほどよい。
もし、
この記事を読んで、私の個別指導に僅かでもご興味を持って頂いた方がいれば、いつでもgnothiseauton.1789@gmail.comまでご連絡いただきたい。現代文の勉強法に関して日頃悩み苦しみあらゆる勉強法を探求してこの記事まで辿り着いて下さったような、合格への強い執念と粘り強さのあるあなたにこそ、私のノウハウを全て伝授したい

「何としても現状を変えたい」と心から願う、君からの勇気ある連絡を待っている。


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