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ほんの立ち話くらいのこと

朝寝坊の秘訣


生まれてこのかた朝寝坊というものをしたことがない。

ゆっくり寝過ごすことのできる休日も、いつもの時間にパキッと目が覚めてしまう。

疲れていても体調が悪くても、決まった時間にいちどは目が覚める。さすがに夜ふかしすれば寝過ごすかと思いきや、結果はただ睡眠時間が削られただけだった。

性分なのか、はたまた体質なのか。朝寝坊の秘訣があるのなら知りたいところだ。


ついこのあいだも、やはり休日だったがいつも通りの時間に目が覚めてしまった。

しかたなくベッドを抜け出すと、ふだん仕事に出かけるのとおなじ時間に家を出て、日比谷公園の中にあるカフェをめざした。


カフェは空いていた。まだ時間も早いし小雨も降っている。すこぶる快適な店内でゆったり時間を費やす。


都会に暮らすということは、言いかえるの、人の多さと折り合いをつけるということにほかならない。けれど、他人と異なる行動パターンを意識的に取り入れれば少しは快適に暮らすことだってできる。


どうせ朝寝坊できないのだ。それなら、こんなふうに時間を使ってみるというのもひとつの在り方ではないか。


雲についてⅠ

体調がわるく、一日ゴロゴロしてすごした休日。ベランダ越しに夏空を見上げると、ちぎれた雲が風に飛ばされていた。


この雲のかたちは、ああそうだ、いつか有元利夫の絵でみた雲だ。

絵のなかで雲はずいぶん風変わりにみえたけれど、こんなふうにしてつくられた雲をもしかしたら有元もみていたのかもしれない。


塚本邦雄の短歌もそうだが、どんなに非現実的なかたちをしていようとも、芸術家が表現するものには「嘘」はないのだな、とあらためて思った。


ゆきたくても誰もゆけない夏の野のソーダ・ファウンテンにあるレダの靴(塚本邦雄)


オナガについて


いままで生きてきて、ここまでたくさんのオナガを見た年があっただろうか。そのくらい、今年は自宅や職場の周囲でたくさんのオナガの姿を見かける。

鳥だけに“大手を振って”というわけにはいかないが、群れをなして我が物顔で飛び回っている様子を見ればさすがに驚かされる。


ところで、オナガというのは見たところなかなか愛らしい姿をした鳥である。黒いあたまに水色の羽、そしてなんといっても尾が長い。


そのいっぽうで、どうにかならないものかと思うのは啼き声だろう。本人たちにはどう聞こえているかわからないが、人間の耳にはずいぶん汚く、またうるさく感じられる。

群れでゲェーゲェーと啼きかわしていたりすると、あまりの騒々しさに腹が立つのを通り越して笑えてくる。「歌も踊りも最悪なアイドル歌手」のように見えるのだ。


調べてみると、オナガは「スズメ目カラス科オナガ属」に分類されるらしい。なるほど、スズメの敏捷さとカラスの大胆不敵さ、その両方の属性をオナガはあわせもっている。


じっさい、オナガにはなかなか獰猛なところがあるが、これはきっとカラス科の血だろう。

ある日、おもてがなにやら騒々しいと思って見るとオナガがものすごい勢いでカラスやムクドリを追いかけまわしていた。

そして、そんな姿を見ればぼくはどうしたって「歌も踊りも最悪な、しかも性格のきついアイドル歌手」を連想せずにはいられなのだ。


公園と広場

日比谷公園まで来たので、長らく工事中だった「第二花壇」の様子を見にいく。

うわさに聞いていたとおり、そこはすっかりただの芝生広場につくりかえられていた。イベント広場としての使い勝手を考慮しての仕様変更といったところか。残念な話である。


どうしてこういうことが起こるのか? 

ひとことで言えば、それは「公園」と「広場」の違いについて、ぼくら日本人がちゃんと考えてこなかったせいだろう。


ほんらい「公園」というのは街路から隔絶された独立した空間を指し、そのためしばしば公演は都会の喧騒を忘れることのできる憩いの場として機能する。その意味で、「公園」とは「いつ行っても変わらないこと」を身上とする「静」の空間といえる。


いっぽう「動」の空間である「広場」は街路の延長上であって、そのため週末には「市」が立ったり「祭り」が行われたりする。


ところが日比谷公園の例をみるまでもなく、日本では「○○フェス」などと称して「公園」を「広場」として使う例が少なくない。結果、そのたび公園で憩うことを日課としている人たちが「○○フェス」によって締め出されるといった悲劇が起きてしまう。


要は、イベントがやりたいのなら「公園」をいじくって壊すのではなく、最初から「広場」をつくればよい話だ。


いっぽうに「静」の空間としての公園があり、もういっぽうに「動」の空間としての広場がある。ふたつはそれぞれ別物であって、その両方があってこそ都市は豊かといえるのだ。


ナマケモノについて


実家に立ち寄ったとき、テレビ(「チコちゃんに叱られる」)でナマケモノの生態について知った。

驚いたことに、ナマケモノがおおいうもっさりとした動作になるのは摂取しなければならない食料をごく少量で済ませるためだという。じっさい、ナマケモノが口にする食料はほかの哺乳類とくらべるとずいぶん少ない。


それにひきかえ、この自分ときたらどうだ。怠け者のくせに食事だけは三食きちんきちんと摂っている。

食ったら動け、動かないなら食うな。

本家本元のナマケモノならきっとそう言うにちがいない。

自分のことは、本家に申し訳ないのでこれからは《劣化したナマケモノ》と名乗ることにしよう。


雲についてⅡ

しごとの帰り道。信号待ちの横断歩道から見上げた空が《夕焼けオブ・ザ・イヤー》だった。

いまさら一人で寂しいと思うことはもうそれほどないのだけれど、こんなとき、傍らにうつくしい夕焼けを共有できる相手がいないのはなんだか残念だなあ、とは思う。

体温計くわえて窓に額つけ「ゆひら」とさわぐ雪のことかよ(穂村弘)

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