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死角のある家
だったら、死角のある家がいい。そう、Kは言ったのだった。Kとは、もうずいぶん前に別れた妻である。
そのとき、ぼくらは結婚後に暮らす新居を探していた。
当時はふたりとも個人事業主だったが、ぼくは自由に時間をつくれない仕事だったこともあり家探しはおのずとKの仕事になった。
どういう部屋を選ぶかは、まかせる以上Kの好みに合わせる。こちらとしてもそれで異存はなかった。冒頭のセリフは、そのときKが口にしたものだ。
こうして、ぼくらの新婚生活は小さな矩形をいくつかつなげたような、ちょっと変な間取りの家でスタートしたのだった。
じつをいえば、ぼくはどちらかというと間仕切りの少ない開放的な部屋のほうを好んだが、いざ暮らしはじめてみると「死角のある家」での生活はそれなりに快適なものだった。
それはやはり、ぼくらがふたりとも個人事業主であったことが大きい。仕事の時間も休日もまちまちで、時期によっては自宅での事務作業が深夜におよぶといったことも少なくなかったのだ。
その点、小さいながらも「死角のある家」というのは、相手の生活行動から受けるストレスを最小限に抑えるメリットがある。
くわえて、ぼくらは「朝型」「夜型」という点でも真逆だった。
たとえば休日の過ごし方ひとつとっても、日付の変わるころには床につき、朝は遅くとも8時すぎには目覚めるぼくに対して、Kは深夜の2時、3時まで起きていて、そのかわり翌朝は昼近くになってようやく起き出してくる。そんなふたりだったから、一つ屋根の下に二つの生活が共存しうる「死角のある家」はたしかに好都合だったのである。
そのいっぽうで、いまにして思えば、こうした生活をつづける中で「自分は元々ひとりを好む人間なのだ」という事実におたがい気づいてしまったのではないかという気もする。寝室とリビング、キッチンと作業部屋とのあいだを鉄道のダイヤグラムよろしく行ったり来たりすることで“運行”されていたぼくらの暮らしは、知らず知らずべつの“駅”をめざすようになっていたからだ。
もちろん、これはたんなる結果論にすぎないし、なにより離婚に至る理由はひとつというわけではない。じっさい、夕食はできうるかぎり共にするようにしていたし、休日があえばあちらこちら散歩もした。なにより、彼女が「死角のある家」を選んでいなかったら、あるいはもっと早く離婚していたかもしれないのだ。
だから、それが決定的な要因だったとは少しも思わない。けれど、それはやはり別離へと至る“遠景”のひとつではあったろう。
休日、街では仲良く肩を並べて歩くおなじ年恰好のカップルをよく見かける。
そうした姿を目にするたび、けっきょく自分という人間はそういう生き方を選ぶことをしなかったのだ、とあらためて考える。
それがはたして自分にとって正解だったのかどうか、まだわからない。
去年、たまたま加藤和彦の《優しい夜の過ごし方》という曲を知る機会があった。いまから三十年くらい前の曲で、ちょうど金子國義がアルバムジャケットのイラストを描いていたころの作品のひとつだ。作詞は、もちろん安井かずみ。
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主人公の中年男は、いくつかの出会いと別れを経て、いまはどこか都会の片隅でひとりの日々を過ごしている。その生活を、彼は楽しんでいるわけでもないが、かといって悔やんでもいない。ただ淡々と、穏やかに、そんな「ひとり」の自分と向き合っている。
その心境にはどこかいまの自分にも通じるものがあり、また、年明け以降の多忙さもあってうっかりこんな内省的な文章を書いてしまった。
It's all right
そんな人並みな時もあった
it's all right
君が選んだモノクロームのリトグラフ
窓際の
優しい夜を見守る