2022/4/23 『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』
アートを駆動させる人
問題意識や、なぜ現状はこうなっているの?
と、物事のありように疑問をもってしまう。
素朴に考えて、アートはそこから始まると思います。
素晴らしい作品をみて、美意識を磨けば磨くほど、自分にもその見方がインストールされ、ああでもないこうでもないと現状について考えることがあります。
最近では、妹島和世論-マキシマル・アーキテクチャー-
を読んで、世の中の建物の窓が目にみえたり、不動産が動かないもの、家具は動かすことができるもの..
など、あれこれバラバラな街の住宅やその他の建築などに感情移入?してしまいます。
かといって、仕事や生活上でそのモヤモヤをそのまま表現することは間違いなので 笑
なんらかの調停として、アート的なアウトプットを自分は欲しているのだと気づきました。
アートは人の視野を狭くするものでもあると思います。
しかし、余白があると。
なるほど。視野が狭いから、人から見たら余白があるようにみえるんでしょうね。
そう思うと、身体性や他者性、過去や未来をも視野に入れた壮大な世界感を音楽というフォーマットで表現している彼を思いだしました。(服もつくっているみたい)
今、私が興味をもって聴き始めめているカニエ・ウェストです
彼は大きなスタジアムなどに客演を呼んで、直前にレコーディングしたり、リスニングセッションなどでリリース前のアルバム曲を大衆に聴かせながら、曲順を考えたり、作り直しているそうです。
大衆を創作に巻き込み、不透明なメディア(材料)でモノをつくり直し、再定義していく。視野が広いなと思います。
一方で、伝わる言葉で人と話すことや、妹島さんのように、自分を透明にして、透明な素材(誰にでも単一的にわかる素材感)で、物をつくる事で、私と世界に関係性をもつものをつくる。
それを他者である私がみる事で、新たな視点が生まれ、さらになんでだろう?と問題意識が芽生える。
この対比はアートの力として、反対方向だと思いますが両方とも魅力的です。
アートするときの手つきとして、つかう材料(メディア)が透明なのか、不透明なのかというポイントにも
何か答えがありそうでもう少し考えたいです。
自己同一的な美意識の妹島さん、双極的美意識のカニエ。
先ずは、仕事を愛す。
で、放送が締めくくられるのも、とても味わい深かったです。