滾れよ血潮、漲れよ骨肉
大体2週間ぶりくらいの外出を済ませてきた。
信じられないくらいに汗をかいたが、あんなに面倒くさがっていたのが不思議なくらいにすぐに用事は済んだ。買い物だけだから当たり前か。
久しぶりに買い物をするので、妙なものを買ってしまわないように気をつけはしたものの、終わってみると、なんだか買ったもの全てに宝物のような価値を感じてきた。引きこもり生活からの揺り戻しで何の変哲もない商品が特別に見えているだけだが、それはそれでちょっとおトクである。
まず驚いたのが、「本物の肉」の美味しさである。
コンビニで買った普通のホットスナックが、肉汁迸る極上の逸品に感じた。
日頃から食べている大豆ミートがマズいわけではないが、やはり改めて食べ比べてみると全然違う。脂の量が段違いだ。
代用肉の歴史はまだ始まったばかりで、我々はその生き証人になるのだと思うと、なかなか愉快である。
大豆ミートには植物由来で高たんぱく低脂質という独自の立場があるとして、「本物の肉と何ら変わらない、牧畜に依らない人工肉」の需要も確実にある。牧場が工場へと変わり、牛や豚が鳴く代わりに培養槽が唸るような、そんな世界はきっとそう遠くない。
先ほど、夕飯終わりにコーラを飲んだ。これも実に美味しい。
長らく飲み物と言えば水道水のみの無味乾燥な暮らしをしてきたので、コーラなどの清涼飲料水がもたらす快感に打ちのめされてしまった。
これもやはり揺り戻しの産物に過ぎないわけだが、だからこそ得難く貴重なものだ。
喉を鳴らしながらコーラを飲み、逆流する炭酸に血液の沸騰を錯覚し、それが脳にぶつかって冷たく弾けるあの瞬間! あの瞬間のために私は生きているに違いない。
私は日頃から良質な娯楽や快楽を探すことに命を消費しているので忘れてしまっていたが、娯楽や快楽にとって、希少性や初回性はその質を何倍にも高めうる最高のスパイスなのだ。
そう考えると次の瞬間には「ではその希少性や初回性を慢性的、恒常的に摂取する方法はないか?」という思考になってしまうのが私の悪いところだ。
今ばかりはそんなことは忘れて、希少性によって増幅されたコーラの清涼感に耽ることにしよう。