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カウントダウン



「3日間だけ、支店を手伝ってくれないか。」


嫌です、と。

はっきり断らなかった、僕も悪い。

本店チーフの3年目、店は郊外に広い支店をと言う今までの歴史に無い展開に、全員がやや浮き足立っていた。

色んな物件をうろうろした挙げ句、決まったのは街中から徒歩10分少々の、古い城下町。

3階建で、上2階は大家さんの住居。

その1階。 

もとはハンバーガー主体のダイナーだった店内は、素人の僕が見ても拘りだらけの造りだった。

テーブル席の奥は、全面開き戸のステンドグラス。
開ければ、目の前には川が流れ、その向こうには変わらない職人町の風景が見えた。



ただ、思いがけなく広かった。


着席でテーブルが約70席。

ゆったりと席の間を取ったカウンターは6席で、本店のぎっちり8席、なんなら9席と言うざっくばらんな酒場感はない。

バックバーの後ろも、ステンドグラスで、綺麗なんだけど陽の光が入る。

酒のボトルを並べるバックバーは、酒の質が落ちるので、何より太陽の光を嫌う。


ここは、バーとして作られた訳じゃないのかも知れない。

ぼんやりと、そう思っていて、立派な内装にもピカピカの厨房にも何の不満もなかったが、そこにだけ違和感があった。


それに、やっとひとりで回せるようになった、メインカウンターを、再び誰かに渡したくはない。


あそこは僕の場所だと、やっと思い始めていたんだ。



が、しかし。


「新店舗の立ち上げってのは、とにかく最初の数日が大事なんだ。うちのエースを投入しないと無理なんだ。」


エース。


僕は野球部だった小学校時代。
二軍の二番手投手だった。


エースと言う肩書には、弱い。


かくして、「3日だけだからね。」とリレー方式に騙されて僕に連れてこられたまことと二人、支店に来てもう6年が経つ。



その間に「あと1ヶ月だけ」とか「もう一息、3ヶ月で手を打とう」などと、新聞の契約の様に期間は延び、まことへの説明は「一蓮托生」の4文字で済まされた。



支店が、どうしても嫌だった訳じゃない。


カクテルオーダーも接客量も確かに減ったけど、その分僕は洋食を覚え、空いた時間にケーキを焼いた。

リキュールとフルーツの相性を見極めながら作るデザートは、カクテルを作るのに良く似ていて、気付けばレパートリーは200を越えてたし、それだけを目当てにいらっしゃるお客様もあった。


そこには勿論、やりがいも喜びもあった。


ただ、微かな違和感が消えることは無かった。




支店の営業は午後11時までだったから、うまく行けばその日のうちに店を出れた。


自転車で帰る道すがらにある本店の周りは、週末じゃなくてもタクシーが並び、深夜だというのに酔客が賑々しく通りを歩いている。


それを横目で見ながら、見てないふりをしながら自転車を漕いでいる自分が、少し情けなかった。


一度、帰りに本店に寄ってみたことがある。


週末なのはわかっていたし、多分行ったら後悔もするだろうとは知っていた。

けれど、その日。
特に何の理由付けもなく開けた、地下のバーの扉の奥からは、熱気と音楽と話し声が塊になって僕にぶつかってきた。

カウンターに、ずらりと並んだ常連客に歓待され、満席だった場所に無理やり詰め込んだスツールに半分だけ座って。

僕は僕がかつていた場所を見ていた。

復帰したチーフがダウンライトの下でシェーカーを振り、奥の厨房では打楽器のように店長が鍋をターナーで叩く。

僕は全ての常連客と乾杯をし、色々をごまかす様にさんざん酔っぱらって、その日以来本店に寄るのをやめた。







12月の最後の日は、毎年恒例のカウントダウン・パーティーだ。



その数日前。早めに年末の休みに入る支店の、最後の営業日。

その夜は長っ尻で、最後のお客様は日を跨いでまだカウンターにいた。

古いオーナーの知り合いでもあるその人は、よくそんな風にひとりでウイスキーを飲んでいた。

もしかしたら、手持ち無沙汰な僕に気を遣っていてくれてたのかも知れない。

「あ、そうだオーナー。カウントダウンは本店に皆揃うんでしょ。久々に店長がシェーカー振るの見れるなあ。すっかりこっちの顔になったから、向こうで見れるの年に一回だもんね。皆にも声かけとくよ、貴重な機会だし。」


何の含みもない、ただの世間話に、僕はうまく笑えていただろうか。


「そうですね。絶対来てくださいよ。」



上ずった声から、嫉妬に似た気持ちは見透かされなかったろうか。





大晦日の夜更け。


僕は、本店メインカウンターの真ん中にいた。

「俺は出戻りだから、一応後輩になる。だからお前が真ん中にいろ。」

気を遣って、チーフは言う。

「ただ、絶対に敬語は使わないからな。」

だそうだ。


年明け5分前。


零時ちょうどに、シャンパンで乾杯するのも毎年の事。
僕らはなれた手付きで、振る舞い用のボトルのコルクを抜いていく。


「さすがに腕は衰えてないみたいだね。」
「こっちのカウンターで見るの新鮮。」
「もうシェフって呼ばないと。」


色んな声に、フラットな笑顔で返す。

久しぶりに立つ、カウンターの内側に違和感はない。
見なくても目当てのボトルは手に取れるし、ショウケースに手を伸ばすときは、シンクの下に足を引っ掻けて体を支える。
ギリギリ二人がすれ違えるかどうかの空間で、僕は端から次々とシャンパンを注いでいく。


だから、余計によくわかった。



正しいとか、違うとかではなく。
良いとか、悪いとかでもなく。


細かい泡が立ち上る、グラスの向こう側の景色。


僕が見たかったのは、ずっとこれじゃないか。



10ー!9ー!8ー!7ー!


カウントダウンの声が揃う。


6ー!   


と同時に「あっ。」とまことの声がした。

直後にバチンと店の全電力が落ちる。

非常口の明かりに辛うじて照らされて、シャンパンのボトルを握ったまま呆然と入口の真下に立つ、まことの横顔が見えた。


ざわつく店内に「こわいー。」と小さく声がした。


「まことの馬鹿がシャンパン暴発させて、コンセントにかけた。ブレーカーで立ち上げるからちょっと繋げ。」


真っ暗闇の中、いつの間に来たのだろう僕の後ろを通っていきながら、店長が小声で囁いた。


そんな、急に。


騒ぎの中、とっくに年は明けている。


ざわめきは次第に大きくなり、どこかでグラスが倒れ、割れる音がした。


早く何か言わないと。そう思えば余計に焦り、言葉が出てこない。


辺りにチーフを探すが、自分の手すら見えないんだ。



「えーと、皆さん。」



サブカウンターのあたりから、オーナーの声がした。


途端にぴたりと静まった店内で、見えるはずはないのに、合図したようにチーフが引き取った。



「チークタイムです。」



思わず噴き出した、数人の笑い声が伝播していく。


店内にそれが行き渡った直後に、明かりがついた。


笑顔で溢れかえる店内に、店長に小突かれながら、まことがシャンパンをサーブしている。


そう、間違いない。


見たかった景色じゃなくて、ずっと僕が居たかった場所は、カウンターの内側からのこの景色の中だ。



だから。

だからこそ。

思いっきり惜しんで、未練もたっぷりと残したまま。


この店を上がろうと、この瞬間に決めた。


離れたくない場所から、前を向いて離れる。


独り立ちとは、多分そういう事だろ。


自分に言って、フロアを見渡す。


おめでとうと、新年の挨拶を繰り返す皆の顔はやっぱりまともに見れなくて、たまたま近くに居たまことの頭を、僕はただ意味もなく派手に叩いた。





そして、ここに続く。





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gm
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