遠吠えワンルーム #真夜中インター
大学に行かない大学生時代に真夜中から朝方まで、
焼酎を途中からストレートで飲みながら書いていた小説は一回のネット投稿が250文字しかできなかった。
授業では使った覚えのないレポート用紙に書きなぐった酒場の物語は、1ページを3~4回に分けて投稿しなければならず、下書きからしたら2日がかり。
ただ、時間だけは無限にあったので、僕は宛先の書かれていない手紙を出すように毎晩ボールペンを握り、その後で緑色に光る携帯の画面を睨んでいた。
i-mode。
ネットに繋がった携帯電話は、半分勘違いなんだけど僕を世界に繋げた。
ただ、繋がってはいたけど繋がった先に人はおらず、たまに通りすがる人もチラッとこっちを見たり見なかったり。
ガラケーの小さな画面の閲覧数は、日に数回もカウントされれば良い方だった。
それが、堪らなく嬉しかった。
中学の時。
学校と家庭を繋ぐ連絡帳の様な物の、「今日の反省」の欄に勝手に小説を書いていた。
担任の先生は読んでるのかいないのか、毎日そこに赤丸をくれた。
赤丸のサイズはまちまちで、だから大きければそれだけ「よく書けてます」という意味だと勝手に解釈してまた数行の物語を続けた。
30年前の話なので詳細は忘れた。
ただ「労働拡張法」なる謎の新法律に労働者が虐げられる世界のお話は、連載が半年以上も続く。
主人公の青年と現場の親方との触れ合い。
定食屋の娘さんとの淡い恋。
労働拡張局の査察官からの圧力。
そして、倒れた仲間達。
ある夜。
とっくに閉まっている定食屋の前で、青年は別れをちいさく呟くと、振り返って歩きだす。
「一人で行くのか」
はっとして路地の先を見ると、沢山の人影。
「教えただろう。仕事ってのはチームワークだ。仲間を信じてなけりゃ大事な現場で怪我するぜ」
「親方…。みんな…。」
明けきらない真っ暗な路地を歩きだす。
増えた足音の数だけ、夜明けが向こうから近付いてくるような。
青年は、そんな気がしていた。
とか、なんとか。
明日は役所に乗り込んで、大立ち回りの乱闘で、さてどう書いてやろうかと鼻息の荒い僕に返ってきた連絡帳には赤丸ではなく
「中学生には不適切」
と書かれていた。
先生は、ちゃんと読んでくれていたのだろう。
それは、今ならばわかる。
ただ、とにもかくにも自由だと思っていた物語の世界で、羽を折られたような、口を塞がれたような気持ちになったのも確かで。
だから、毎日数人にしろ、読んでくれた証としてカウンターが増えていくのが嬉しかった。
長いお話を書ききったのは、その時が初めてだったんじゃないだろうか。
レポート用紙が数十枚になり、カウンターの閲覧数が300を越えた頃、真夜中のワンルームでたった一人嘶き続けた、僕の遠吠えとも言うべき物語はひっそりと終わる。
ここにいるぞと、鳴き続けていたような夜が終わった後どうやって日々を過ごしていたのかはもう忘れた。
多分また、違うなにかを書いていたような気もする。
山で遠吠えが聞こえても、吠えた主の姿が見える訳じゃない。
ただ、存在を感じるだけで、その透明な繋がりを求める事の出来る道具があっただけ、僕は幸せだったのだろう。
noteでまた書き始めて、それはより強く思う。
姿までは見えなくっても、あの頃より明らかにはっきりとした繋がりは、もはや遠吠えとは呼べない。
そこには宛先があり、返信だってある。
返信で思い出したんだけど、数か月前TwitterにDMが届いた。
文面はこうだ。
「20年前くらいにアイホームと言う携帯用サイトで○○と言う小説を連載されてませんでしたか?あの頃ずっと読んでたんですが、アイホーム自体が無くなっちゃってそれからどっかで書かれてないかってずっと探してたんです。noteに同じタイトルがあって気付きました。」
薄暗い6畳のワンルームから、遠吠えは届いていた。
背中を丸めて携帯のボタンを押し続ける、あの頃の自分に教えてあげたいような。
教えてあげたくないような。
そんな贅沢な気持ちにもなる。