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遠いゝ日々 思い出は美しすぎる
元気で華やかだった80年代の記事を見ながら当時を振り返るのは、楽しくも切ない時間旅行です。
過ぎ去った風景が手に取るようにそこにあり、瞬間移動してその時代に身を置くことができます。関係ないと思っていた点と点が実は結ばれていたのに今さら気づいて驚き、感慨にふけることもあったりして。もう30年以上も前の、今の私には何の関係も無いどうでもいいことなのに。
母がNHKで理容師として働いていて、その関係で遊びに行くようになってそこでジャニーさんに会って、合宿所に遊びに行くようになって、レッスンを受けるようになって。 1985年 ヒガシ
あの歌は、昔別れた人のことを思って書いたの。 1991年 キョンキョン
最近よく、元アイドルなどの芸能人が昔を振り返って「あのとき実はこうだった」的な発言をすることがあります。暴露的なこともあったりしますが、自身の若かりし日の行動について「--したのは--だったから」「これは実は私が---した」「この歌詞は--を想って書いた」といったエピソードとして。ですが、それらの認識と事実が異なっているのに気づくことがあります。確かに、過去のその時点で建前やハッタリで言ったのも多少はあるでしょう。昔の記事記録だから第三者や編集者が適当に言ったり書いたりしているかもしれないし。でも、これはきっと時を経てその人の記憶がすり替わったり置き換わったりしてるんだろうな、というのに出会うことがある。それは本人の単なる勘違いというわけでも、嘘をついているというわけでも決してなくて、過去とはそういうものなんだと思いました。記憶とは断片的なもので、その隙間を後から自分の解釈で埋めたり、起こった事に折り合いをつけるために合理化したり、自分にもファンにも夢が持てるように後付けアレンジがあったり。そしてそれが当事者の真実として語られる。事実ではなくても。
NHKホールからの帰り、渋谷のスクランブル交差点で信号待ちしていたら、男の人が車から降りてきて突然スカウトされて。それがジャニーさんだったんです。 2010年 東山紀之
あの歌は、お父さんを思って書いたのを覚えています。 2017年 小泉今日子
でもそれは決して悪いことではなくて。
遥か遠い季節、何をしたかどう思っていたかなんて、当の本人でさえもはや分からない。ひたすら若かっただけ。
だから私自身もきっとそうなんだと。過去を振り返って目に浮かぶ風景や想いは、自分が創った物語なのかも。自分では鮮明に覚えているつもりでも。確かな事実だと思っていても。良かったことは増幅されて、良くないことは適度に忘れて、全体の流れは創作されて。そうでないと人は前に進めないのかも。
「もうマンションには帰れないよ。事務所に帰るか、社長宅に行くか、どうする?」と彼女に聞いたんです。 1986年 「週刊平凡」
「どこに行きたい? 名古屋の実家へ戻るか、自宅マンションに戻るか、事務所に行く?」と彼女に尋ねたんです。 2016年 「週刊朝日」
だから、思い出は全部美しすぎる。