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金にならない時をもつ

2023年3月17日。街に繰り出し、用を済ませ、帰るバスを待つ。すると前に並んでいたおばあさんが「今何時ですか?」と尋ねてくる。腕時計はしないたちなので、ポケットからスマホを取り出し、時刻を確認しようとする。追い打ちをかけるように「私、時計を持ち歩かないものですから・・・」とぼそっと言う。無事時刻を伝え、謝辞をもらい会話は途絶えた。

英会話の例文みたいなやりとりだったな・・・と思いつつ、このおばあさんの生き様にある種のかっこよさを感じた。時間の概念に常に縛られるバス、そして利用しようものなら縛られることを強いられるのがこの世のルールはずなのに、そのものさしを持たずに乗ろうとしたものがいたのかと。

いたく勝手に感動しながら、バスの中でphaさんの著作『持たない幸福論(幻冬舎文庫)』を読み進めると、この抱いた気持ちを代弁する一節があり、びっくりした。

時計やカレンダーばかり見て(=共通化された時間ばかり意識して)、自分が本来持っているはずの時間の流れ方を見失ってしまうと、「時間に追われる」という感覚から抜け出せなくなってしまう。
本来時間というのは人間を追いかけたりするものではなくて、それぞれの人が何かをするときに持っているそれぞれのペースのことだ。

共通化=交換可能、まさに時は金なりの精神を受けいれるのは便利ではあるが、その世界の競争を享受することにつながる。時のレーサーになってしまうと、高いパフォーマンスを追い求め本来得るべきなにかを見失ってしまう。わたしもよく巻き込まれる。仕事終わり疲弊しているはずなのに映画見て~と時間に合う作品を探してしまうことはまれによくある。

共通の世界から離れるためには、それぞれのペースが存在しうる営みをすることへつながっていくわけだが、いまのわたしの生活のなかで最たるものは「自炊」ではなかろうか。

食べ物なんてコンビニで買えば一瞬、冷凍のものでも数分あればごちそうが生まれる。しかし時間をかけて作るのもまた一興である。むしろ食べることよりも作ることに意識を注げるようになると、時の概念は消えている(これがまた難しいのだが)。

その後、マイ自炊界のなかでもタイパの対極にいるジャンル「中力粉レシピ」よりもちもちドーナッツを作った。


琺瑯深型Mで揚げ物をすると手軽、そして太白ごま油を使うと揚げ物の質がものすごく上がるという最近手に入れた叡智をたずさえて作った。

この料理を作ってみて感じたのはポンデリングの企業努力である。上のレシピみたいなボール型ならころころ転がせるのだが、リングはそういかない。まんべんなく火を通すのはなかなかのものだ。

あと揚げ物レシピに頻出する「キツネ色」はそれぞれのキツネ像でグラデーションがあるよなと思って困った。キタキツネなのか、かいけつゾロリなのか。結局、いろいろなキツネ色で作ったが全部おいしかった。
強いていえばキタキツネ色は出来たてが外カリカリ中しっとりになったが、丸いドーナッツにおいては、どっちでもいいかなと思った。

工程はものすごく簡単なのだが、とにかく時間がかかった。しかし時間をかけることで、楽しさを見出すこともできた。

四角い皿に丸を積み上げる様式美

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