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しょげたときやればいい

8/29
映画『山女』を見る。引きの自然のカットに美しさを感じることは、その奥に何かがいるのかもしれないという信仰があるのかもしれない。自然観をゆるがされて、そんなこと前にもあったような気がして、記憶を引き出す。内田節の著作『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』を思い出す。

かつての日本は自然を訓読みして「おのずからしかり」つまりは「自然とこうなった」といったニュアンス強く、神とか霊などの見えないものがひとの心の中に存在していた。近代化すると西洋の「nature=本来の、生まれながら」の意味合いが強まり人が介在していき、技術が進み、見えないものは見なくなり、忘れてしまった。どちらが良い悪いという問題でなく、昔から継がれてきたものは大事にしていきたいなあと思う。


8/30
夕飯に回鍋肉を作る。先週ぐらいに作って好評につき2回目。
キャベツと肉と味噌があればとりあえず成立する手軽さ。そして猛暑で最近スーパーに野菜があまりないもしくは高騰気味のなかキャベツだけやたら安いという世の中の流れがマッチした。1玉100円切る。
キャベツと豚肉を茹でてから炒めると、仕上がりがやわらかくなってうまい。焼くだけでなく、茹でることを覚えた今年の夏は自炊年表においてターニングポイントになるかもしれない。


8/31
ユーカリがしょげてたので水をやると、すぐしゃかりきっと元気を取り戻した。そこそこ暑さには強く、表面の土が乾くまでは水をやらないようにしなくてはならないのだけど、乾きすぎると枯れてしまうので、加減が難しいと思っていた。けどこんなにすぐ戻るなら、しょげたときやればいいのではという仮説を思いつく。対人だと遅いけど、ユーカリはこのくらいの距離感がいいのかもしれない。
ここ数日『おいしい資本主義/近藤康太郎』を再読していて、今日読み終わる。名前が違う文庫本を最近本屋でみかけて立ち読みして(これは読んだことある・・・?)と思って、家で単行本を再読したら同じだった。けど、面白くてもういっかい読んだ。オルタナティブ(主流とは違うほかのやり方)を模索する姿や、自足精神を、身をもって表現している姿に感銘を受けたことを思い出した。
おそらく3年前ぐらいに読んだ。読書が生き様に効いてると感じるのは数年かかるのかと思った。
最近植物に関心が高まっているので、今回は米作り自体の話をすこし近い存在として読めた。ただ、土にヒビが入るまで何日も乾かして稲の成長を促す「中干し」については、さすがにユーカリにはできないなあと親心が勝ってしまった。


8月が終わった。暑さにやられてしまって記憶は抜けていったが、まとめてでも残すと、ささいな感情は残り、ときに読みかえして思い出せてよかった。週報スタイルに慣れてきた一方で、もう少し深いところに踏み込みたいという欲も出てきた。
すこし見渡せばたくさん面白いことは散らばっているのだけど、その奥にはもっと希少で根源的なことが潜んでいるかもしれない(まったくないこともありえる)。かつて習った大陸棚のような感覚だ。深堀りというより遠洋漁業。
暑さがやわらぎ、頭が帰ってくることを祈り、9月は遠くを目指していきたい。

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