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『荒野の決闘』

1946年 ジョン・フォード監督

「動」の『駅馬車』に対して、「静」の『荒野の決闘』。西部劇でお馴染みのトゥームストーンを舞台に、男女の機敏を描いたヒューマンドラマです。この映画をフォードの最高傑作たらしめる所以は、あまりにも有名な主題歌や、アメリカの良心を体現するヘンリー・フォンダだけではなく、映像の詩人、ジョン・フォードの風情溢れるタッチと古き良き西部への視線である。


この映画で特に有名なのは、ワイアットがホテルの回廊で黄昏るショットである。柱に足を掛けたまま、椅子の前足を浮かして、バランスを取る。保安官である彼はガーディアンとして街を見張り、それと同時に、クレメンタイン達の痴話喧嘩に介入することは出来ない。そのために回廊にしか居場所が無いのだ。しかし、平和な日曜の朝、街を追い出されるクレメンタインと親しくなり、回廊は孤独を弄ぶ場所から淡い恋を育む場所へと変化する。この演出こそフォードが余りに素晴らしい監督である所以なのだ。風情溢れて、そして平和な日曜の朝。あまりに幸せなシーンである。

『荒野の決闘』はこれだけでは無い。馬車を駆るドクと、それを馬で追うワイアットのシークエンスである。クレメンタインと親しくなったことでドクを追う権利を得たワイアットが保安官として、男として動くシーンのダイナミズム。私が初めて「ショット」に触れたのは『ウェスタン』における決闘シーンだが、この追跡劇はそれに比肩するだけの衝撃があった。巷で話題の『アベンジャーズ』シリーズのVFXを駆使したアクションや、『マッドマックス 怒りのデス・ロード』(2015)の砂嵐のレースも所詮はまやかしである。この追跡劇を前にしては遊びに過ぎないのだ。私が思うに「映画の魔法」とはこういうシーンのことを言うのだと思う。圧倒的に美しいショットと怒り狂うような蹄の轟音。一瞬で観るものの脳天をブチ抜き、体の神経細胞を全て破壊するに充分なだけのカットバック。ワイアットとドクの心情は表現を超え、激情的な概念は、映像によってのみ代筆されるのだ。

 そして圧巻はラストシーン。モニュメントヴァレーをバックにした、ワイアットとクレメンタインの映るロングショット。淡い恋心を抱いた相手に別れを告げるラストはあまりに切ないが、硬派である。セオリー通りに考えると、ワイアットは故郷にて然るべき役割を果たし、クレメンタインはこの街で冒険者を迎え、送り出す。個人的には、ロングショットの寵愛を受けた「美」は、クレメンタインに表されていると思う。きっとクレメンタインはこの地に根を張り、新しい西部を癒し続けるのだろう。風によって翻る白いエプロンが象徴するのは、伝説の決闘で傷ついた街の復興と未来である。

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